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小野竹喬展:大阪市立美術館(スケッチ&コメント)

2009-11-18 18:46:23 | スケッチ


小野竹喬展:大阪市立美術館

江嵜企画代表・Ken



 「生誕120年、小野竹喬展」が天王寺公園の中にある大阪市立美術館で12月20日まで開かれている。行ける時に足を運ばないと結局行けなくなる。今回の展覧会は、初公開作品11点を含む本画119点、素描52点が一堂に会する。朝から生憎の雨だったが、とるものとりあえず出かけた。

 竹喬は14歳の時、故郷の岡山県笠岡を出て、京都の竹内栖鳳に師事した。ここで19歳まで過ごす。竹喬は栖鳳がそうであったように、西洋画に関心があった。特にセザンヌに心酔したと自身語っている。その一方で、富岡鉄斎などの南画の影響も受けた。32歳の時2度目の欧州旅行をしている。目指す写実表現が日本画の技量材料では十分達成されず、その解決のために1921年に渡欧した。その時描いたスケッチも今回の展覧会の見所のひとつである。

 展覧会は第一章(1903~38年)と第二章(39~79年)に分けて展示されている。第一章は「写実表現と日本画の問題」と捉え、第二章は「自然と私との素直な対話」というタイトルが付けられていた。小野竹喬は「茜色(あかねいろ)の画家」と呼ばれた。夕焼けの空を背景にした樹木の姿を描いた絵が今回も多数見られる。絵の前に佇んで動こうともしない多くの人の姿を目にした。

 会場内はスケッチ出来ない。作品を見終わったところに一画を仕切り、ビデオを放映していた。「池」という題の絵を入れてスケッチした。広沢の池の絵である。

 ビデオのナレーションの間にお孫さんが画面に登場した。「小学校から帰り道、夕暮れの空があまりにきれいだった。おじいちゃんに報せたくなって、はよう写生せんとあかんでと、言うて、ランドセル置いて走りました。おじいちゃんは、慌ててスケッチブック持ってきて、写生を始めました」と思い出を語っている。

 ナレーションの中で、「西洋文化を肌で感じる中で、日本画とは線の美しさだということに気付く」という言葉が聞こえた。「60代で新境地を開く。身の回りの自然に注目するようになる」と紹介していた。 

 次に娘さんが画面に出て来た。「父がこれでええと言うたのはこの絵です」と広沢の池の絵が出て来た。「父は日展会場へも絵具を持って行って描いていました。これでいいと、自分で思えるような作品にはなかなか仕上がらないようですよ」と話しておられる。

 もう一度会場に戻り、第二期以降の絵を二度繰り返し見た。急ぎの人は立ったままビデオを見てください。時間の余裕のある人は、ソファーのある休憩室で同じビデオを見れることがあとでわかった。そこでも多くの人がビデオを見ていた。

 会期終了までもう一度足を運びたい。大阪のあと岡山で年明けの1月3日から2月14日まで、東京で3月2日から4月11日まで開かれる予定と案内にあった。(了) 

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