ハリックの診断即治療&虹彩と、Kenさんの経済学&スケッチ

虹彩には、体質や、現在、過去、未来、のデータが秘められています。虹彩学による虹彩分析を針灸、巨針、食事療法の指針に!

中国ドラマの紹介(1)

2009-11-23 10:57:42 | 情報や案内及び雑談
中国ドラマ (1)   (2)   (3)  



中国語の勉強を始めたのは随分前の話だが、途中何度も勉強が途切れた。
仕事に追われたり、他の勉強に追われたりで何年も休んだりしたからですが、鍼灸」という職業柄、中国語の本と触れる機会は多いので、中国語の勉強は何となく続いている。

外語を勉強して楽しいのは、外国語で外国人と話のできること。
時々思うことは、話にくいことでも外国語なら話やすい時がある。

ただ、話せるようになるには、それなりに時間がかかることは言うまでもない。
本屋に行くと、すぐにでも中国語が話せるようなタイトルの本が並んでいる。
何冊も買ったのだが、そう簡単に話せるようにはならない。

そして、「外語は現地に行かないとモノにならない」ということもよく耳にする。
確かにそうかも知れない。
現地に行かないとモノにならないかも知れない。
しかし、そんな時間はない。

一般的には、外国から日本に留学してきたら、1~2年は「日本語学校」で学ばなければならないし、日本から外国に留学しても、その国の語学校を経なければならない。

中国の南京大学から、日本語学校を経ずに直接大手門大学に編入した留学生がいた。
南京大学で2年学び、3年からは大手門大学で心理学の勉強をしていた。
彼女に聞いてみた。
「どのように日本語を勉強したのですか?」
「はい、いろいろありましたが、日本のアニメをビデオでよく見ました」

そうか、そうだったのか。
それはいい手だ。
そう言えば、前に台湾から送られてきたビデオを毎朝見ていたときがあったが、あの時は急に中国語が聞きやすくなったのを覚えている。

これでやろう。

彼女に「中国で流行っているドラマはないですか。もしあったら、それを教材に勉強したいのですが・・・」と話したら、
「あります。奮闘というドラマですが、あれは正しい中国語ですし、今の中国社会が表現されていると思います。とても人気のいいドラマです」と言い、そのドラマを教材に勉強することになった。

方法は、中国語の字幕を彼女がタイピングし、それをテキストにする。
週に一回、月3回程度の勉強ですが、予習としてタイピングされた字幕の単語を調べたり、表現方法などを読んだりしておき、当日は私がテキストを音読し、分からない表現があったら、中国の社会事情なども含めて彼女が説明してくれる。

会話のタイミングと表現方法は、本でいくら勉強してもダメだということがわかった。
日本語でもそうですが、本で勉強していると、どうしても固い表現になるので、会話に適しない。

炭酸泉の HP に書いた中国語は、普通の中国語会話ですので、興味のある方は日本語表現と中国語表現を見比べながら読んでみてください。
きっと楽しいと思います。

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フクロウのように生きてみませんか(学校で教えてくれない経済学)

2009-11-23 09:04:18 | 経済学
 「フクロウになぜ人は魅せられるのか」(小林誠彦著・木魂社)を読み始めた。フクロウの耳と思っていたのが耳でない。耳は顔の左右に埋没している。飛び出している「耳」は羽根の束である。古来、フクロウのことを「つく」と呼んだ。「耳」が付いたフクロウだからミミヅクと呼んだ。秋の夜長、本を読む効用とは、かくばかりなりと実感している。
 梟の特長として、まず挙げられるのは目の良いことだろうと作者は書いている。一節によれば、人間の百倍の視力があるという。百倍見えるとはどういうことか。だんだん暗くして行き人間が「まっ暗です、見えません」と手を挙げたあと、その明るさの百分の一の明るさに落としてそこで、梟は見えなくなることを意味すると書いていた。
 に梟は耳がよく聞こえる。梟の本当の耳は、顔の左右に付いた耳の位置が右は高く、左は低い。耳の位置の上下の段差で音に時間差が生まれる。獲物との距離感をつかむことが出来ると書いていた。
 さらに梟は音を立てずに獲物に突進する。梟の羽ばたきは3キロヘルツ以上の音は含まれていない。ネズミは3キロヘルツ以下の音は聞きとれない。よってネズミの天敵の梟の爪が間近に迫っていてもネズミの耳には聞こえないという。
 鳥は空を飛ぶ必要からからだを軽くしなければならない。汗をかく汗腺がない。梟も同じである。からだを軽くするために骨も軽くしなければならない。梟の骨の断面はスポンジのように穴があいている。断面はサンドイッチのように何層にも分かれている。
 梟の羽はからだを木の幹に似せて、回りから発見されにくい。擬傷という行動をとる。いきなり木の枝から落ちてくることがある。怪我でもしているように歩く。追いかけると逃げる。いつの間にか自分の巣から遠ざかる。
 ミミヅクのことを漢字で「木兎」と書く。文字どおり「木に止ったウサギ」のイメージである。梟のことを「ねこどり」「猫フクロウ」と西欧の文献にもでている。梟と猫の類似性は、ともに夜行性でネズミを獲物にしている。鳴き声が猫に似ている。
 梟と烏は仲が悪い。柳田国男著「日本の昔話」の「ふくろう染屋」として紹介されている。「昔梟は染屋をしていた。そのころ烏は真っ白な鳥だった。烏が梟のところへやってきて一番いい色に染めてくれという。梟は黒くそめてやった。烏はそれが気に入らない。そのせいで今に至るまで梟を見ればやかましく騒ぎたてるという話である。
 木の葉のような斑があることから「木の葉づく」と呼ばれる梟がいる。コノハヅクはブッ・ポウ・ソウと鳴く。昭和のはじめまでブッポーソ―という別の鳥と混同されていたという話も紹介されていた。
 鷹と梟は獲物の取り方が違う。鷹は自ら大空を舞って獲物を探す。梟は木の枝でじっと獲物を来るまで待つ。獲物が確実に捕えられるところまでなかなか動かない。この慎重さが梟を哲学者たらしめているのだろうが、飼う側から見れば、なかなか思うように動いてくれないというくだりが一番面白かった。
 何でも「経済学」に結び付けると叱られそうだが、不景気だ、不景気だと騒いでも景気はよくならない。今のような不透明な時代はフクロウのように生きるのがよさそうだ。(了)

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