ハリックの診断即治療&虹彩と、Kenさんの経済学&スケッチ

虹彩には、体質や、現在、過去、未来、のデータが秘められています。虹彩学による虹彩分析を針灸、巨針、食事療法の指針に!

ホトトギスの花を色紙に描きました(スケッチ&コメント)

2021-11-28 21:59:31 | スケッチ


ホトトギスの花

画・江嵜 健一郎



ホトトギスの花を色紙に描きました。21日の日本画教室へ教室仲間のUさんが同じ仲間のTさんに持参された自宅の庭に咲いていた可憐な花の姿に絵心を大いに刺激されてスケッチした。次回の教室で猪熊佳子先生にご指導を受けることになっていたが、待ちきれない。Tさんのご好意で2本根分けしていただいた花を自宅に持ち帰り自己流で仕上げた。

教室で、なんの花ですかとUさんに聞いたらホトトギスという。なぜホトトギスという名がついたのか。ヤフーのお世話になると、白地の花弁に紫色のまだら模様の斑点が鳥のホトトギスの羽毛の模様に似ているところから名がついたと出ていた。

葉のわきから2~3センチほどの花を上向きに咲かせる。数日花瓶に入れて眺めていたところ、つぼみが膨らみ始めた。膨らんだつぼみのてっぺんが、お相撲さんの髻(もとどり)のようにみえる。髻が取れると6枚の花弁が顔を出し開花となる。

ユリ科。品名はToad Lily.学名はTrigrtis.原産地は日本、朝鮮半島。20種類あるうちのほぼ半分が日本で自生している。開花期は7~10月。山野の崖や傾斜地など適度の湿り気や水はけのいいところを好む。

日本では300年前の元禄時代から慕われてきたそうだ。お盆過ぎから咲き始めるところから夏の終わりと秋の到来を感じさせてくれる花であると出ていた。

日本画を初めて20年余りが経った。まだまだ鼻たれ小僧であるが日本画の手ほどきを受けていなかったら、この度のようにホトトギスの花ともご縁がなかったかもしれない。

今年もあと1か月少しを残すのみとなり、喪中はがきが届くようになった。日々是好日と迄は行かないが、毎日、毎日の積み重ねが人生だという気持ちを日増しに強く感じる。老醜は晒したくないが、一日でも長く元気に絵を描き続たいと思う次第である。(了)

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森と共に生きる:特別展にて:ギャラリートーク:猪熊佳子画伯(スケッチ&コメント)(作品「天空の森へ」添付追加しました)

2021-11-22 19:45:47 | スケッチ


森と共に生きる:特別展にて:ギャラリートーク

画・江嵜 健一郎



「森と共に生きる~知井地区を中心に~特別展」が南丹市立文化博物館(電話:0771~68~0081)で10月16日~12月5日まで開かれている。関連行事として日本画家、猪熊佳子先生のギャラリートークが10月31日(日)午後1時30分から作品展示会場(2階)であり、あと場所を移して、1階ホールでの「芦生の森~天空の森」と題し、芦生の森で取材され日展特賞を今年受賞された作品についての動画解説では現場でのスケッチの様子、一枚の絵が作成されていく過程も紹介があり、興味深かかった。

会場の様子をいつものようにスケッチした。会場には高島屋友の会「猪熊佳子日本画教室」有志や昔、山科教室で一緒した懐かしい面々にも会うことができ幸いだった。

恥ずかしながら「南丹市ってどこにあるの?どうして行くの?」といレベルの不案内の場所への旅が始まった。最寄り駅JR神戸住吉を朝9時に乗車、芦屋で新快速に乗り換えて京都で下車。ここまで約1時間。京都から山陰線に乗り会場最寄り駅の園部に午前10時44分に着いた。想像した以上に近く感じた。
今は通勤圏だそうだ。ただ、「京都から園部までひと昔前まで単線だった。当時は2時間近くかかった。複線になり便利になった。」と後段に触れるハプニングの際、さるご婦人から聞いた。

駅改札を出て地上に降りるとバス停とタクシー乗り場があった。開場まで十分時間がある。次のバスまで時間があった。まっすぐ歩いて20分と聞いた。初めての町を散策するのも一興かと歩き始めたがこれが甘かった。いきなり峠。あと田舎道も結構難物。途中人に尋ね尋ねしながら会場に着いたのは12時前だった。

展示第一部として会場1階で芦生地区や知井地区ゆかりの歴史資料、寺院、神社、仏像、鎌倉~室町時代の付け書き、代官への嘆願書、山争いを巡る古文書、昭和6年の郷土調査書、大水害の記録、祭りの道具、お面など数多く展示されていた。第二部はお目当ての猪熊佳子先生の日本画含め森をテーマに創作活動を続ける7名の洋画、水墨画、水彩画、染色などの作品を堪能した。全ての作家が森と共に躍動しておられる姿を出展の絵を通して強く印象づけられた。

今回参加された作家が画題として取り組まむ芦生の森は西日本有数の原生林で京都大学と地元が守り続けて令和3年、今年100周年を迎えたと知った。今回の企画展も原生林の存在をより多くの人に知ってもらう狙いと併せ、原生林を末永く残したい強い想いから企画されたと博物館事務局の方の挨拶にあった。

猪熊佳子先生は2点の作品を今回用意された。一点は北海道利尻で取材の森の絵。いま1点が芦生の森の作品だった。「20数年前に父と数回訪れたことがある。昔は鹿の食害もなかった。下草が生い茂っていた。今年、芦生研究林にかかわる企画に参加した。今回展示の「輝きの森へ」は、下草はなかったが木々は鬱蒼と茂っていた。輝く水面にたたずむ鹿を配し、木漏れ日に青金箔を使った。人間は弱い。森と一緒に生きていく鹿を入れ、動植物と共に生きる未来に想いを込めて描きました。森に命を託した作品です。」と話された。動画説明会で紹介の「芦生の森~天空の森へ」は第8回「日展」東京展(令和3年10月29日(金)~11月21日(日)、京都展(12月18日~令和4年1月15日)で展示されると聞いた。

帰路、会場の博物館前から亀岡駅行きのバスに乗車した。当然、園部経由だと思い乗った。どうもおかしい。運転手さんに確かめて初めて反対方向行だっと分かった。慌てて降りた。これが都会者の軽率なミスだった。バス停で時刻表を見ると2時間後でないと園部行のバスが来ない。あとの祭りだった。

気を取り直し一息入れた時、前方から小型のワゴン車が近づいてきた。反射的に手を上げた。手短に事情を話した。運転していたさるご婦人は助手席を指さし「園部駅まで乗りなさい。」とひとこと。なんと車内でいろいろ話が出来た。

「園部の町は単線時代は本当に不便だった。京都からこちらに嫁に来た。ここは今も昔も考えは変わらん。」と。「神戸から来た」というと「六甲道に友達がいて時々神戸へ行く。」と。「地震は怖かった」と言うと「園部もひどく揺れた」と。自然体で美しく応対してくださった。「お礼もできず失礼します。握手させてください」となんども頭を下げると「お礼なんかいらんよ。あの時、よく手を上げられたね。」と笑顔でひとこと。「地獄に仏」とはこういう時に使うのだろう。観音様に出会えた気持ちでルンルンで帰路に就いた。(了)




第8回日展(2021) 特選 天空の森へ

画・猪熊佳子


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干支の色紙の3枚目が出来ました(スケッチ&コメント)

2021-11-20 08:32:41 | スケッチ



干支の色紙3枚目

画・江嵜 健一郎




干支の色紙の3枚目が出来ました。昔お世話になった税理士事務所のA先生にお届けする予定にしている。先日描いた色紙同様に日本画家の猪熊佳子先生のお手本を見ながら今朝描き上げた。

実はお手本を見て簡単に描けると思っていた。ところがいざ取り組んでみるとなかなかお手本どうりに進まない。夢中になって描き上げたあと改めて色紙を見たら絵のトラさんが喜んでいるような顔をしているのに気がついた。まずは良かったなと自画自賛している次第である。

一年間、事務所に毎年飾っていただいているとお聞きしている。いかほどの数のクライエントさんと色紙のトラさんが挨拶するのかなと想像逞しくしていると楽しくなる。

絵や字には人の気持ちだけでなく人柄まで出てくるというから怖い気がする。いつまで色紙を描き続けられるか全く自信はないが老醜だけはさらしたくないなと思っている。

先日描いた色紙に添えた文章に次の寅年は無理だと思うと書いたら、まだまだ大丈夫ですよと愛読者のお一人から暖かいエールを送ってもらい元気をいただいた。人は一人で生きていけない動物だなと最近ますます思うようになった。

お声をかけていただけるうちが花だと思いながら、いただいた命を大切にして今日一日を楽しく元気に送りたい。(了)

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秋の見学会:西宮文化協会十一月行事(大谷美術館&辰馬考古資料館)(スケッチ&コメント)

2021-11-16 19:33:10 | スケッチ


(大谷美術館&辰馬考古資料館)

画・江嵜 健一郎




「人間の動きに寄り添うようにパーツを動かすことが出来る椅子WINKがイタリアで発売されると爆発的人気を博しTOSHIYUKI KITAの名は世界的に広まった。日本では2001年に発表された液晶テレビAQUOSC1のデザインはテレビの新しい形を生み出し世界的に認められるようになった」との話は特に印象に残った。

第二会場の辰馬考古資料館へ徒歩20分足らず移動して学芸員の青木正幸さんの話を聞いた。会場の様子をいつものようにスケッチした。冒頭青木正幸さんは「辰馬考古資料館は昭和51年(1976)開設、初代館長は高井悌三郎先生です」と紹介された。

余談ながら筆者は昭和26年、甲陽学院中学に入学、高校3年までの6年間、高井先生に親しくご指導を受けた生徒の一人である。青木さんの話を聞きながらまん丸の大きな眼鏡をかけた高井先生がよう来たなあと笑顔で迎えて下さったような気がしたから不思議である。

青木さんは「銅鐸の展示会はしばしば開いている。石棒の展示は珍しい」と話を始めた。縄文時代には矢じりのような見た目から用途がわかるものと変わった形をした石製品が登場する。石棒はその代表的なもので祭りの道具と捉えられます。長いものは2mを超えます。」と話された。

有頭式の石棒は、両端部を膨らませた石剣・石刀と非常によく似ている。石棒は男性を表し土偶は女性を表していると考えられる。石棒は会場で配布された出品目録によれば縄文時代後期から晩期にかけて岩手県、青森県、岐阜県から出土地不明も入れて21点展示されていた。土偶は4点展示されていた。土偶には左右に紐を通せる小さなが穴が見られる。祭りの際、手に石棒を持ち、土偶をお面や頭に被ったことが考えられるとの説明を興味深く聞いた。銅鐸はコメ作りが盛んになった時代の資料で豊作を祈願し感謝する祭りに用いられたとする説が一般的と話された。

貴重な機会を用意いただいた西宮文化協会の事務局の皆様にひたすら感謝である。(了)





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来年の干支・ト虎の色紙第二弾が出来ました(スケッチ&コメント)

2021-11-11 17:08:59 | スケッチ


来年の干支・虎の色紙第二弾

画・江嵜 健一郎



小学3年の男の子の孫があす親と一緒に爺さん、婆さんのご機嫌伺いに来るとメールが入った。手土産代わりになればとおもい来年の干支・虎の色紙を一枚仕上げた。

先日、色紙第一弾をメール配信したところ結構沢山の方から応援メッセージをいただき感謝している。目が優しいと書かれた方が多かった。老練で優しい目と書かれた方もおられた。自分では元気盛りのトラのつもりで描いたが、改めて見ると、なるほど年齢がにじみ出ていることに気がついた。

字でも絵でも性格がそのまま出るとよく言われる。特に怖いのは気が入らないときの字であり絵だと思う。心・技・体という言葉がある。まずは元気な体である。加えて素人でもそこそこ技が伴わないと特に絵は見られたものではない。最後はやはり心だと思う。

当欄でもしばしばご紹介の認知症を煩われ生前小生のことを「干支の方」と呼んでおられたという奥様の霊前に供えます。家内が喜ぶと思いますとのお便りがSさんから届き日本画の勉強を続けていて本当によかったなと思う。

今年も猪熊佳子先生のご指導をいただいた。猪熊先生からいい作品ができましたねとご所見が届き元気をもらった。高島屋友の会日本画教室にお世話になって21年が過ぎた。日本画家の森田りえ子先生にはじまり、あと猪熊佳子先生に引き継がれた。素晴らしいご縁をいただきひたすら感謝である。(了)

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来年の干支は寅年、色紙第一号が出来ました(スケッチ&コメント)

2021-11-06 20:53:56 | スケッチ




画・江嵜 健一郎



11月6日の猪熊佳子日本画教室で2022年の干支寅年の色紙のご指導を受けた。教室の時間内に集中して一枚仕上げた。筆者は昭和13年(1938)の寅年生まれである。来年数え84歳になる。いつの間にそんな年齢になったかと思うが、人生つくづく短いなと思う。あっという間だったような気がしてならない。

昨今、人生百年と喧伝されているが、次の寅年を迎えるのは正直苦しい。猪熊佳子先生の手ほどきを受けたからこそ描けた話であるが、人生最後の寅年の色紙を描くことになるかもしれないと思うせいか、正直、自然と色紙を描く筆にも力が入った。今回の色紙第一号は今年も1年お世話になった鍼灸のS先生にお届けする予定である。

ヤフーのブログで寅年を調べた。寅は動く意味。春が来て草木が生じる様子の状態を表す。

来年は五黄の寅年。十二支の干支と九星術を組み合わせて生まれた占い。十二支の寅年は三番目。強い情熱で前へ進む。五黄土星は九星土星のうち前から五番目の星。土のエネルギーが強い星。自分から情報を発信していく。環境は与えてもらうのではなく自分の手で作り上げていくと考えられる星。

五黄土星は9年に1回。寅年は12年に1回。9と12の最小公倍数の36年に1度。五黄の寅年は2022年、1986年、1950年、1914年がそれに当たると出ていた。(了)

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森と共に生きる:特別展にて:ギャラリートーク:猪熊佳子画伯(スケッチ&コメント)

2021-11-02 23:01:58 | スケッチ


森と共に生きる:特別展にて

画・江嵜 健一郎



「森と共に生きる~知井地区を中心に~特別展」が南丹市立文化博物館(電話:0771~68~0081)で10月16日~12月5日まで開かれている。関連行事として日本画家、猪熊佳子先生のギャラリートークが10月31日(日)午後1時30分から作品展示会場(2階)であり、あと場所を移して、1階ホールでの「芦生の森~天空の森」と題し、芦生の森で取材され日展特賞を今年受賞された作品についての動画解説では現場でのスケッチの様子、一枚の絵が作成されていく過程も紹介があり、興味深かかった。

会場の様子をいつものようにスケッチした。会場には高島屋友の会「猪熊佳子日本画教室」有志や昔、山科教室で一緒した懐かしい面々にも会うことができ幸いだった。

恥ずかしながら「南丹市ってどこにあるの?どうして行くの?」といレベルの不案内の場所への旅が始まった。最寄り駅JR神戸住吉を朝9時に乗車、芦屋で新快速に乗り換えて京都で下車。ここまで約1時間。京都から山陰線に乗り会場最寄り駅の園部に午前10時44分に着いた。想像した以上に近く感じた。
今は通勤圏だそうだ。ただ、「京都から園部までひと昔前まで単線だった。当時は2時間近くかかった。複線になり便利になった。」と後段に触れるハプニングの際、さるご婦人から聞いた。

駅改札を出て地上に降りるとバス停とタクシー乗り場があった。開場まで十分時間がある。次のバスまで時間があった。まっすぐ歩いて20分と聞いた。初めての町を散策するのも一興かと歩き始めたがこれが甘かった。いきなり峠。あと田舎道も結構難物。途中人に尋ね尋ねしながら会場に着いたのは12時前だった。

展示第一部として会場1階で芦生地区や知井地区ゆかりの歴史資料、寺院、神社、仏像、鎌倉~室町時代の付け書き、代官への嘆願書、山争いを巡る古文書、昭和6年の郷土調査書、大水害の記録、祭りの道具、お面など数多く展示されていた。第二部はお目当ての猪熊佳子先生の日本画含め森をテーマに創作活動を続ける7名の洋画、水墨画、水彩画、染色などの作品を堪能した。全ての作家が森と共に躍動しておられる姿を出展の絵を通して強く印象づけられた。

今回参加された作家が画題として取り組まむ芦生の森は西日本有数の原生林で京都大学と地元が守り続けて令和3年、今年100周年を迎えたと知った。今回の企画展も原生林の存在をより多くの人に知ってもらう狙いと併せ、原生林を末永く残したい強い想いから企画されたと博物館事務局の方の挨拶にあった。

猪熊佳子先生は2点の作品を今回用意された。一点は北海道利尻で取材の森の絵。いま1点が芦生の森の作品だった。「20数年前に父と数回訪れたことがある。昔は鹿の食害もなかった。下草が生い茂っていた。今年、芦生研究林にかかわる企画に参加した。今回展示の「輝きの森へ」は、下草はなかったが木々は鬱蒼と茂っていた。輝く水面にたたずむ鹿を配し、木漏れ日に青金箔を使った。人間は弱い。森と一緒に生きていく鹿を入れ、動植物と共に生きる未来に想いを込めて描きました。森に命を託した作品です。」と話された。動画説明会で紹介の「芦生の森~天空の森へ」は第8回「日展」東京展(令和3年10月29日(金)~11月21日(日)、京都展(12月18日~令和4年1月15日)で展示されると聞いた。

帰路、会場の博物館前から亀岡駅行きのバスに乗車した。当然、園部経由だと思い乗った。どうもおかしい。運転手さんに確かめて初めて反対方向行だっと分かった。慌てて降りた。これが都会者の軽率なミスだった。バス停で時刻表を見ると2時間後でないと園部行のバスが来ない。あとの祭りだった。

気を取り直し一息入れた時、前方から小型のワゴン車が近づいてきた。反射的に手を上げた。手短に事情を話した。運転していたさるご婦人は助手席を指さし「園部駅まで乗りなさい。」とひとこと。なんと車内でいろいろ話が出来た。

「園部の町は単線時代は本当に不便だった。京都からこちらに嫁に来た。ここは今も昔も考えは変わらん。」と。「神戸から来た」というと「六甲道に友達がいて時々神戸へ行く。」と。「地震は怖かった」と言うと「園部もひどく揺れた」と。自然体で美しく応対してくださった。「お礼もできず失礼します。握手させてください」となんども頭を下げると「お礼なんかいらんよ。あの時、よく手を上げられたね。」と笑顔でひとこと。「地獄に仏」とはこういう時に使うのだろう。観音様に出会えた気持ちでルンルンで帰路に就いた。(了)

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「家紋って何?」、田中豊茂先生、大いに語る、西宮文化協会10月行事(スケッチ&コメント)

2021-10-27 09:49:03 | スケッチ



西宮文化協会10月行事として講師に田中豊茂氏、日本家紋研究会理事を迎えて文化講演会が令和3年10月25日(月)午後1時半から西宮神社会館で開かれ楽しみにして出かけた。会場の様子をいつものようにスケッチした。

はじめに吉井良昭、西宮文化協会会長から「5月行事の予定がコロナで本日に延期となった。11月からは毎月行事を予定している。」と挨拶のあと堀内副会長から「田中豊茂さんは1953年兵庫県宍粟郡の生まれ,現在、丹波篠山市にお住まいで1996年よりウエッブ「家紋World」で家紋と名字、戦国史の研究を発信しておられる。」と紹介があった。

「丹波篠山から電車で2時間かけて参りました。家紋って何やろか?900年の歴史があり奥が深い。家を表す印です。家が出来て家紋が出来ました。」と田中先生は話し始めた。

会場受付で配布の講演会レジメ冒頭に書かれた文に「家紋。その歴史を探ってみますと名字の起り、家の成立、武家の興亡史に深く関わっている事が知られる。又、森羅万象、花鳥風月を巧みに図案化した家紋には日本特有の文化・心映えに根ざした美的センスが凝縮されている。いまでは墓参の時くらいにしか見ることのなくなった家紋。実は日本文化のエッセンスそのもの、近い将来、世界文化遺産に登録されるかもしれません。」とあった。

講演の場に話を戻す。家紋が生まれたきっかけは?貴族の遊びごころからです。貴族社会では家の財産が生じると、居住地の称号が家名として定着いていった。

家紋のはじまりについて「愚管抄」に西園寺家の家紋について「トモエの車など伝えけり」とありトモエの紋が牛車に描かれたのが家紋の始まりとみられるが諸説ある。久我家では装束の文様が家紋となったとある。諸事優雅な公家の紋章は優雅で華やかなものが多い。

武家の祖たちは、氏とは別に自からが開発し居住地(本拠)とした名(みょう)を名乗るようになった。家が確立されると惣領に世襲され名字とし定着していった。まずこのことを抑えてくださいと言って田中先生は話を進めた。

武家の世が家紋を広めた。保元・平治の乱のころ、源氏は白旗、平家は赤旗で彼我を区別、家々の印はなかった。平家が滅び、鎌倉幕府が開かれると白旗は征夷大将軍源頼朝だけになり、鎌倉御家人となった武士たち自らの存在を示す印(家紋)を用いるようになった。武家の家紋は優雅な公家と違いシンプルなものが多い。関東の武士たちが新補地頭として赴任と共に名字・家紋が全国に広まって行った。このことを抑えておいて下さいと話を先に進めた。

鎌倉幕府の滅亡から南北朝時代に入る。名和氏、楠木氏、赤松氏の家紋が登場する。太平記巻十六「兵庫海陸寄手事」には二引両・四目結・左巴など家紋を付けた旗の記述が見られる。武士の家紋は「見聞諸家紋」に詳しい。

関ケ原の合戦のあと江戸時代に入ると家紋は平和時における武家の象徴として用いられるようになった。見て美しい(模様紋)、おめでたいもの(吉祥紋)、武威の印(尚武紋)が生まれた。西日本中心に「女紋」がある。家に紋があるように神社や寺院も紋が用いられるようになった。

「明治維新とともに国民皆姓で家紋が普及した。家紋は「使用者(家)の名字を代替しその家の家人が同じ文様を共有し、代を重ねて用い過去と未来を繋げるもの」と定義される。多彩な意匠、内包する歴史、いつか家紋は世界遺産になるかもしれません」と田中先生は話を終えた。

講演のあと2人、3人、4人と手が上り活発な質疑応答が行われた。最後の質問で「家紋のデザイナーはいたのか。」と聞いた。田中先生は「模様を画く人はいる。デザイナーいない。」と答えたやり取りが印象に残った。

貴重な機会を用意いただいた西宮文化協会事務局の皆様にひたすら感謝である。

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習作「カトレア」(スケッチ&コメント)

2021-10-11 15:25:35 | スケッチ


カトレア

画・江嵜 健一郎



10月最初の猪熊佳子日本画教室から早くも1週間たった。教室で猪熊先生に用意いただいた色紙の中から「カトレア」を選びコピーした。本来なら教室で猪熊先生に指導を受けながら仕上げる。この日は京都に所用があり、自宅に持ち帰り自己流で仕上げた。

文字どうり今年1年かけてグロリオサの絵を描いた。神戸市シニアクラブ美術作品展に出したあと風船が抜けたようにエアポケットに入った状態で数日過ごした。

来年の画題をカトレアに決めた。教室の友達から鉢植えのカトレアを用意して描かれたらいいと思うとアドバイスをもらった。先日、神戸三宮の花店へ出向き、係のご婦人に鉢植えのカトレアを欲しいと話した。

大輪のカトレアなら来年4月になるとのことだった。色は何にしましょうかと聞かれたので薄いピンクの花を注文した。美術作品展は9月末搬入だから間に合うと判断してその場で予約した。

カトレアの花は10年以上前になるが教室の仲間のお一人が見事に描いておられた。いつか自分も描いてみたいなと思っていた。なかなか機会がなかったが、図らずも猪熊先生に先日、用意いただいた色紙の一枚がカトレアの花だった。

カトレアをいつものようにヤフーのブログで調べた。ラン科。英名:Cattleya。原産地:ブラジル。開花期は10月~2月。洋ランの女王と呼ばれる。

花言葉は「魔力」、「魅惑的」。花色はピンク、白、オレンジ、黄、赤、緑、紫と様々。ピンクの花のカトレアの花言葉は「成熟した大人の魅力」と出ていた。(了)

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新鋭作家3人展探訪(スケッチ&コメント)

2021-10-03 14:19:19 | スケッチ


新鋭作家3人展


画・江嵜 健一郎



10月最初の猪熊佳子日本画教室が2日(土)開かれた。非常事態宣言解除初日だったが、朝早かったせいもあり難波や日本橋周辺の人出はさして変わらなかった。次の画題未定ですと猪熊先生お話ししたところ、色紙を3枚教室まで用意下さり、その中からカトレアの絵を選んだ。

今年は文字通りグロリアスではじまりグロリアスで終わる1年だった。本画としては久しぶりの花の絵だったが、来年も是非、花を描きたい気持ちを目覚めさせてくれたいいきっかけとなった。カトリアはむつかしい花よと猪熊先生に言われたが、自分が描きたいと思う絵を描くのが一番だと勝手に思っている。

教室の友達が[再興第106回院展]の切符を用意してくれたことと[新鋭作家3人展]が大丸京都店で開かれていると知り、日本画教室を中座して京都へ向かった。

新鋭作家3人とは飯田穂香、中山千秋、山羽春季と画廊ESCAPE KYOTOの案内はがきに出ていた。お目当て日本画家の山羽春季さんの絵を見ることである。

日本画家、山羽春季さんは猪熊佳子先生のお嬢さんである。猪熊佳子日本画教室でかれこれ10数年昔に六甲森林公園で写生授業があり、当時まだ小学校4年の彼女が参加しておられた。その時のことをご本人に話したらよく覚えていますと答えられた。

躍動感溢れる彼女の画風は母校の京都精華大学での個展やその他の作品展を拝見して強く印象に残っていた。この日は彼女の会場当番日だったことも幸いして次々訪れる山羽春季ファンの存在は気になったが立ち話ながらしばし話を聞くことができ幸いだった。

妖精という言葉が開口一番出て来た。画面いっぱいに飛び跳ねて展開される人は何をあらわしているのですかとの問いに出て来た答えだった。「浅田真央さんのスケートをイメージして描きました」という一言も印象に残った。添付した「この歌は」4号の絵にそれが見事に出ている。山羽春季画伯の絵を見ていると音楽がどこからともなく聞こえてくる。正に銀盤で踊るフィギャースケーターの姿そのものである。

日本舞踊もスケッチすると話した。本日展示の絵に花が添えられていますねと尋ねたら、先日北陸で個展を開いたとき学んだと話してくれた。母上の猪熊佳子画伯は森の絵の画家とも呼ばれる。森の精霊の話を良くされる。画風は親子で違うと思うが、山羽春季画伯の妖精が乱舞する姿を見ていると魂レベルではお二人はつながっているのかもしれない。

「ユーチューブをよく見ます。アメリカの作家、ヘンリー・ダーガー(1892~1973)やイギリスの作家、シシリー・メアリ・バーカー(1895~1973)の絵をよく見ています」と話された。門外漢の身、馴染みのない名前だった。書き間違うといけないからと、彼女に自筆で書いてもらい帰宅してヤフーのブログで検索した。2人の作家とも今話題沸騰の作家であることを恥ずかしながら初めて知った次第である。

「アンゼルセンの童話」「不思議の国のアリス」はじめ童話は子供のころからよく読んだと話してくれた。「グリム童話など欧米の童話には妖精が出てきますね」と物知り顔に話したら、そうですねと応じてくれた。しっかりと人の目を見て話を聞き、真剣に答えてくれる姿勢に感心した。

「お父さんとお母さんの恵まれた遺伝子が1プラス1=2ではない。3にも5にも大きく成長されるに違いない。少女時代から蓄積された素養と経験が今まさに爆発してますね。」と話したら「ありがとうございます」と笑顔で受けてくれた。期待の日本画家の一人の将来が楽しみでならない。(了)



「この歌は」


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