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ハリックの診断即治療&虹彩と、Kenさんの経済学&スケッチ

虹彩には、体質や、現在、過去、未来、のデータが秘められています。虹彩学による虹彩分析を針灸、巨針、食事療法の指針に!

明治・大正・昭和期の日本画ー西宮市制百ねん記念展示会、ギャラリートーク(スケッチ&コメント)

2025-09-01 10:07:22 | スケッチ


西宮文化協会の8月行事として枝松亜子氏(西宮市大谷記念美術館学芸課長)の―明治・大正・昭和の日本画ギャラリートークが令和7年8月10日(日)13時半から西宮神社会館であり楽しみに出かけ会場風景をスケッチした。

 
西宮神社の宮司家と西宮で病院を営んだ堀内家で収集されたコレクションの中から選ばれた約30点が展示されていた。
 
特別展示として会場入り口の西宮大神本紀復元図から始まる。「蛭児命の海上出現」、「神殿と表門」、「陸路還幸」など4点の絵が詞書と共に並べられていた。「昭和20年の空襲で国宝の本殿ともに消失したが令和2年に戦前の絵葉書や書物、調査書等に残された詞書の全文が復元された。」興味深く拝見した。
 
展示コーナーは①「関西で活躍した画家たち」と②「西宮ゆかりの画家たち」の順に配置されていた。「関西で活躍した」のコーナーは、京都画壇を代表する竹内栖鳳(1864~1942)の「双柿」の絵から始まる。2番目には野口小頻(1847~1917)の「淡彩蒼鷹逐雀図」をスケッチに描きこんだ。
 
上島鳳山(1875~1920)の「文政美人」、「萩美人」と続く。金島桂華(1892~1974)の「椿の花に小鳥」。丹念に写生された明るい椿の花が印象的だった。「竹内栖鳳に師事した。」
 
小野竹喬(1889~1979)の「嵐山」。「竹内栖鳳に師事した。日展を舞台に活躍した。」「風景から得た印象を竹喬の柔和な感性により温もりのある作品が生まれた。」山口華揚(1899~1984)の「桔梗」と続く。「円山四条派の写実の伝統を受け継いだ。昭和56年に文化勲章を受章している。」
 
第2コーナーの「西宮ゆかりの画家たち」は深田直城(1861~1947)「岩上鶴鳥図」から始まる。「滋賀県膳所生まれ。1914年に西宮に転居している。」福田眉仙(1875~1963)「月ヶ瀬」、「神松」、「表門」3作が並ぶ。「兵庫県相生市生まれ。1917年に苦楽園に移り、1920年から芦屋に住んだ。」次に大野麦風(1888~1976)の作品「游鯉」「群魚の図」「金魚」など数点が並ぶ。「潜水艇に乗り魚の生態を観察、細部にこだわって作品に仕上げた。」
 
貴重な機会を用意いただいた西宮文化協会事務局にひたすら感謝である。(了)





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[海のパワーとエビスさま」、島村恭則先生大いに語る、西宮文化協会7月行事(スケッチ&コメント)

2025-08-05 10:47:12 | スケッチ


「海のパワーとエビスさまー民族学の視点から」と題して、西宮文化協会7月行事として、令和7年7月23日(水)午前10時から講師に関西学院大学社会学部、島村恭則教授の講演会があり楽しみに出かけ、いつものように会場の様子をスケッチした。
 
はじめに吉井良昭当会会長が「講師の島村先生は今年7月に「海のパワーエビスさま」の上梓はじめ多くの著書を出しておられる。本日は民俗学の立場からお話が楽しみです」と話の後、特別ゲストとして尼崎文化協会会長が紹介された。
 
島村先生は「昨年5月、NHK、Eテレ「趣味どっきり」の「開運!神秘の力 縁起物」シリーズのひとつに「海からのパワーエビスさま」を取り上げた。取材先の一つの種子島の島内にあちこちにえびすが祀られている。その多くは海沿いにある「浜えびす」で海から拾い上げた自然石を積み上げられ海に向かって祀られている。」と話しを始めた。
 
「NHKでの放送をまとめた30分ビデオをまず見て下さい。」と紹介「七福神の一柱がえびす。えびすには、恵比寿、恵美須、戎、胡、蛭子の文字が当てられている。えびすは、蝦夷(えみし)と同じ陸の民から見ればいずれも「異民族」を意味する。」と話しを進めた。
 
「えびすさまはもともと海から来られた。海神族だった。鳴尾の網に蛭子がかかった。御神輿に担いで着いたのが今の西宮神社の場所だった。」「尼崎も尼の名が示す有力な海神族がいた。志賀島、渥美半島,安曇野もそうだ。神輿屋祭りも船の形をしている。もともとは漁師が拾った石だった。石からパワーをもらった。石には霊力が宿っている。それが豊漁をもたらしてくれると考えられた。日本は島国だ。内陸へだんだん入って行き西宮神社に見られるように、立派な建物に変化していったと考えられる。」と話しを進めた。
 
島村先生は「先日、関西電力で話す機会があった。電は雷。凝縮すると霊力になると彼らは話していた。」と紹介した。「霊力が凝固して霊魂になる。それが人離れして祀り上げてカミへ。一方、人霊(人間霊)が祀り上げられて生き神となる。脱魂して生霊となる。人魂は死ぬと死霊となる。それが祀り上げられて祖霊(カミ)となる」と書いた表を正面に映した。
 
「どざえもん(土左衛門)(水死体)へ話は一転した。東京湾の羽田沖には「どざえもん」の供養塔が沢山ある。漁師たちは、水死体(穢れ)を手厚く埋葬することによって「穢れ」がプラスに転嫁する。埋葬する(お返しする)ことによって豊漁をいただくと考えた。日本にはお返しの文化があるがあるがそれと同じだと思われる。」との話が強く印象に残った。
 
質問の時間になった。最前列のお一人が「日本は海の国。えびすさまは農業の神、商業の神,福の神と幅広い。日本人が異民族を受け要れ、それを力にしたことに興味を持った」と質問した。島村先生は「隣国韓国も海に囲まれているが、えびす信仰はない。日本は神話にルーツがあることに違いがある。」と答えた。いまひとりご婦人が「水死体が良い方向に転嫁した話が強く印象に残った。それはえびす信仰にも通じる。」との話がありお開きとなった。
 
貴重な機会を用意いただいた西宮文化協会事務局に感謝である。

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「西宮歳時記 拾遺」、講師:西尾嘉美先生、西宮文化協会六月行事(スケッチ&コメント)

2025-07-14 10:08:17 | スケッチ


「西宮の歳時記 拾遺」と題して、講師に元西宮市立郷土資料館学芸員の西尾嘉美先生の講演会が6月16日(月)13時30分からあり楽しみに出かけ、いつものように会場の様子をスケッチした。
 
吉井良昭当会会長が「熱中アラートが出る暑い日となりましたが、6月14日は大雨で御輿屋祭が中止になりました。御輿屋祭は関西で一番早い夏祭りです。鳴尾を出て西へ西へ西宮神社まで練り歩き、びわ娘から枇杷を受け取ることから「びわ祭り」とも呼ばれます。本日は、西宮市域で伝承された行事について「会報」で「西宮歳時記」を1年間紹介いただいた西尾嘉美先生からのお話です。」と冒頭挨拶があった。
 
西尾先生は「昨年4月から12回に分けて「会報」で「西宮の歳時記」を紹介しました。本日は、紹介しきれなかった西宮ならではの行事について、その歴史や意味合いにも触れたい。」と話しを始めた。
 
「まず明治5年12月30日が明治6年1月1日になりました。1か月季節が早まりました。3月3日の桃の節句には桃の花は咲いていない。七夕は梅雨の最中になった。自然のリズムとカレンダーがずれることになった。」と話しを進めた。
 
「日差しがつよくなると疫痢や伝染病が流行った。病い除けの代表が祇園祭です。二十四節句の半夏生は夏至から11日目の日です。半夏とは薬草の花のことで病除けです。半夏草は新暦では咲いてない。西宮では麦の束を使った。昭和40年ごろまで続いていた。半夏生の日には関西ではタコをたべます。震災で素焼きのタコつぼが作れなくなった。タコはきれい好きのため入らなくなった。」と話しを続けた。
 
「梅仕事という言葉がある。梅酒や梅干しを作ることです。「梅雨明け3日」「梅雨明け㏩」という言葉がある。令和7年の今年の梅雨明けは7月6日で例年より早い予想です。」と紹介した。
 
「夏の最初の祭りが御輿屋祭りです。土地の作物をお供えする。西宮では枇杷を神輿に飾り付け道行く人に配ります。西宮ならではの祭りに百大夫祭りがある」と話し正面に人形遣いの様子を映した。「百大夫祭りの人形遣いが淡路島へ渡り淡路人形浄瑠璃を残し、文楽人形浄瑠璃に繋がっていった。」と話した。
 
西尾先生は小型の手製の人形を取り出し「簡単ですよ。」と会場で人形踊りを時間をかけて、ご披露された。人形は人の形と書く。もともと子供の魂を守るものです。」と話された言葉が特に印象に残った。
 
質問の時間となり前列のお一人が質問した。「会報で教えていただいたが本日ご本人様にお話を聞くことができ光栄だ。」と前置きして「歳時記を残し伝えるにあたりご意見を聞きたい。」と質問した。
 
西尾先生は「昭和一桁代のかたが減って来た。機会を捉え、少しでも多くの方に話しを聞き、資料文献などの紹介も含め、書き残しておきたい。」と話され、お開きとなった。
 
貴重な機会を用意いただいた西宮文化協会事務局に感謝である。(了)

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ボウリング・アミュ-ズメント事業展開の「R」社株主総会風景(スケッチ&コメント)

2025-06-30 09:31:58 | スケッチ



ラウンドワン第45期株主総会が6月28日(土)午前10時から大阪本町にあるマイドームおおさかで開かれ楽しみにして出かけた。開始20分前に着いた。1,000 人は優に入る大展示場ホールに株主が次々集まって来た。登壇して話し始めた議長の杉野公男社長さんを描き込んでスケッチを仕上げた。
 
総会前には会場正面スクリーンにナレーションで事業展開が紹介された。総会が開始、議長が2024年4月から25年3月期の報告と将来について語った。10年先、いわんや、30年、40年先世の中は大きく変わる。そのために今、手を打たなければならない。ダメなものはダメだ。切り替えていく。日本と違いアメリカは人口がいまも増え続けている。まだまだアメリカ事業は拡大する可能性があると話した。
 
当期、米国事業は特にミニ・クレーンゲームの増設と価格改定が寄与した。米国では8店舗新規出店、57店舗となった。当期から食品部門として「ラウンドワンデリシャス」で最高級の日本食の提供を始める。同時にラーメン、うどん、たこ焼きといったB級グルメを展開すると話しを続けた。
 
日本事業は、既存店舗の売り上げ拡大を重視し、ミニクレーン増大、コラボキャンペーンを展開した。若者向けキャンペーンで集客を強化したと話した。10代、20代に力を入れた。
 
売り上げ高は1,770億円(前期比11.2%増)、営業利益270億円(11.6%増)、純利益160億円(2.3%増)。サービス別売り上げは日本;1,024億円(4.6%増)、ボウリング226億円(6.2%増)(22%)、スポッチャ173億円(8.9%増)(16%)アミューズメント506億円(2.3%増)(49%)、カラオケ82億円(6%増)(8%).一方、米国;731億円(22%増),ボウリング66億円(13%増)(9%),スポッチャ17億円(15%増)(2%),アミューズメント544億円(23%増)(74%)、飲食その他102億円(27%増)(14%)と報告した。日米ともボウリングの会社というイメージはないことが年々はっきりして来ている。米国以外では中国に3店舗ある。上海の1店舗を25年3月に閉鎖した。
 
お目当ての質問の時間が10時40分過ぎからはじまった。12時近くまで10人近くの株主が手を上げた。社長さんは時間を割いて丁寧に説明した。
 
最初に若い感じの男性が「トランプ関税が問題化している。御社の現状と将来をどう見ておられるのか」と聞いた。社長さんは「トランプさんはころころ変わる。なんとも言えない。今のところトランプ関税という関連では問題は出ていない。」と答えた。5,6番目の株主は「アメリカで食品部門事業が拡大される。食材の仕入れはどうするのか。板前さんの確保についても聞きたい。」と質問した。社長さんは「会社の方で訓練している。今後もそうする。食材の調達は大切だと認識している。」と答えた。
 
筆者は3番目に指名された。「三宮駅前のラウンドワンに7年前、兵庫県高齢者キャンペーンの一環として特別料金の講習会で初めてラウンドワンのご縁をいただいた。それまで全く知らなかった。上場会社であることも知らなった」と前置きして以下質問した。
 
「6月17日の読売朝刊8ページほぼ全面に掲載された杉野社長さんのインタビュー記事が強く印象に残った。かっての自分同様「ラウンドワン」を知らいないひとはまだまだ多いのではないか。新聞などでの紹介PR活動についてお聞きしたい。」と質問した。
 
社長さんは「広告宣伝費は売り上げの2%使っている。効果はあまりない。会社の新規出店費用や設備更新や日々の店の営業活動に回した方がいいかもしれない。お客さんがラウンドワンで楽しんでもらう。そのお客さんが話を家族や友達に話す。ラウンドワンへ行こうかということでラウンドワンを知ってもらうことが一番大事だと思っている。最近は新聞を読まない。テレビも見ない若者が増えた。10代、20代は特にそうだ。もちろん今回のようにインタビューを受け記事に書いてもらうのは有難いですが。」と答えた。大いに納得した。
 
社長さんは冒頭の業況説明にも会場で配布された株主総会資料にも当社の株価について触れていない。業績向上を市場は好感して当社の株価は堅調に推移している。(了)






















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輸送機器メーカーS社の株主総会風景(スケッチ&コメント)

2025-06-26 09:32:04 | スケッチ


新明和工業の株主総会が2025年6月24日、宝塚市にある本社工場5階大会議室であり会場の様子をいつものようにスケッチした。

当社最寄りの阪急仁川駅で待機中の車に乗り会場に開始20分前に着いた。昔はお土産が出た。コロナ以降は小瓶の飲料水のみ配布される。業績が改善、株価も値上りしてきた影響か、出席者数は昨年より気持ち多かった。最後に議長席の社長さんを描き込んでまとめた。

何のために株主総会に出かけるのか。お土産が出れば行くが出ないから行かないという人は意外に多い。筆者の場合、100株、200株のしがない株主でも社長さんに直接質問出来るからである。

当期2024年4月から3月期の売り上げ高は2,664億円、前年比3.6%増と小幅だが純利益は89億円、同23%増加した。装甲車、平たく言えばダンプトラックの値上げが寄与したと説明があった。今年4月から来年3月迄の売り上げは2,900億円、8.8%増、純利益は2.7%増の92億円を見込んでいる。

トランプ関税ではあらかじめ用意された社長説明では出なかったが質問の際、社長説明があった。

会社説明のあと10時30分過ぎから質問の時間になった。前列の若い男性が手を上げ防衛産業拡大を念頭に置いて質問をした。社長は「とりたてて新しい動きはない。」と答えた。株主には事前にインターネットでの質問が出来る。その中に防衛関連企業としての質問があった。

当社の防衛関連の事業は航空機部門である。ただ、当期の航空機部門の売り上げは全体の12.6%と少ない。当社はボーイング機の主翼の一部を生産している。今期はボーイング社の長期ストライキの影響で減少した。当社は水陸両用の飛行艇を防衛省に収めている。ひと昔前、インドから飛行艇の注文はあったが高額のため沙汰止みになった。昨年防衛省は飛行艇契約継続を決めたため事業存続が可能になった。
二番目に筆者が手を上げた。80年前当社の前身川西航空機がゼロ式戦闘機「紫電改」を生産していた。そのため米軍の空爆を1945年3月焼夷弾、5月大量の爆弾が投下され隣接していた母校、本庄小学校が全壊した縁がある。5月の爆弾投下時には縁故疎開していたため助かったと前置きして以下質問した。

「新明和工業と聞いても知らない人は多い。業界紙や専門の経済紙では紹介されているかも知れないが一般紙では見かけない。昨年は飛行艇の記事が詳しく読売朝刊に出ていた。他紙はどうか。お聞きしたい。いまひとつ、工場に近い地区、地域の小学、中学生などの工場見学はあるのか。先々日本は子供の数が激減する。20年先、30年先の当社の卵になる可能性のある子供たちに飛行艇を見せたりダンプの試乗などは彼らには胸躍る体験となるかもしれない。社長さんのお話を聞きたい。」と質問した。

社長さんは「伊丹工場でも工場見学会、製品紹介会を開いている。一般マスコミへの記事掲載の大切さは十分承知している。今後も当社の存在、企業内容を幅広く知っていただく機会を作り実施致します」などと答え、担当役員も回答に加わり具体的に丁寧に回答いただいた。

3人目は中年のご婦人が「トランプ関税の日本企業への影響が毎日のように懸念されている。当社には具体的にどのような問題点があるのか。どう対応しているのかお聞きしたい。」と質問した。

社長さんは「当社には現時点では大きな問題は出ていない。ただ、一部航空機部品関連メーカーで関税高、部品仕入高などコスト高が出始めている。現時点、日米閣僚間で貿易交渉中と政府から聞いている。7月9日、追加関税適用除外期間終了後問題化すると見ている。その際は、迅速に対応したい。」と答えた。

わずか一、二社の株主総会であるが、せめて足が動く間はと思いながら努めて出かけている。少なくともボケ防止にはなっているかもしれないと、自画自賛している次第である。(了)

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枇杷の絵を色紙に描きました(スケッチ&コメント)

2025-06-20 08:02:55 | スケッチ


枇杷の絵を色紙に描きました。お世話になっている
T歯科の奥様からスケッチにお描きになればいかが
ですかと、思いがけなく診察のあといただいた枇杷
である。描きおわったらいただこうと思ってる。
 
実の形が中国の楽器の琵琶の形に似ていることから
ビワと呼ばれたとヤフーブログに出ていた。
 
原産地は中国南部。江戸時代に日本に持ち込まれた。
多くの薬用効果がある。枇杷の花は11月から2月に
かけ5弁の白い花を枝の先端につける。甘い香りが
ある。5~6月に実がなると出ていた。
 
西宮神社で6月行われる「神輿屋祭り」は関西で一番
早い夏祭りと言われている。氏子約120人が西宮神社
から1キロ練り歩く。旬のビワで神輿を飾りつける
ところから「ビワ祭り」とも呼ばれているとヤフーの
ブログに出ていた。
 
今年はまだ6月半ばなのに30℃を超える暑さである。
盛夏の猛暑が気掛かりだが体調管理に心がけてなんとか
乗り切りたい。(了)

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西宮の国登録有形文化財-西宮神社本殿ほかの登録を受けてー講師:東原直明氏、西宮市立郷資料館学芸員(スケッチ&コメント)

2025-06-11 10:24:02 | スケッチ


令和7年3月13日付で、西宮神社の本殿・拝殿・手水舎など6棟が国登録有形文化財になった。5月29日(木)13時半から東原直明氏、西宮市立郷土資料館学芸員を講師に迎えての西宮文化協会、5月行事に楽しみに出かけ、いつものように会場の様子をスケッチした。
 
「登録文化財」とは何か?「平成8年(1966)の文化財保護法の改正によって、導入された。近年の国土開発や都市計画が進み、日本人の生活様式が変わった。社会的評価を受ける間もなく消え行く危険にさらされている多種多様の大量の文化財を後世に幅広く継承していく。保存や活用が特に必要とされる文化財建造物を、文部科学大臣が文化財登録原簿に登録する制度である。」と東原直明先生は話しを始めた。
 
次に「指定文化財」との違いは何か?「指定文化財は、重要な文化財を厳選する。許可制など強い規制がある。手厚い保護を受ける。指定文化財は勝手に改造したり出来ない。「登録文化財」は、届出制と指導・助言などを基本とする。緩やかな保護措置によって補完する目的で作られた。」と話しを進めた。
 
「登録の基準」は何か?「建築物、土木構造物、その他の工作物のうち、原則として、建築後50年経過し、①国土の歴史的景観に寄与している、②造形の規範となっている、③再現することが容易でないという3つの一つに該当するものとする。都道府県や市町村などが指定したものは除かれる。」と話した。
 
「登録文化財」のメリットは何か?「設計監理・公開活用・災害復旧の修理費の2分の1が補助される。相続税、土地を含む相続財産評価額の30/100が控除される。家屋の固定資産税を2分の1に減税されると話した。
 
令和7年3月13日現在、全国で14,376件(建造物11,468件、土木構造物678件、その他の工作物2,250件ある。西宮市内は22件あると話し、西宮神社に既に登録されている二件、①西宮神社瑞宝橋、②嘉永橋の映像を会場に映した。
 
次に今回登録された文化財6件が映像と共に紹介された。①西宮神社本殿(登録基準:造形の規範となっているもの)(戦災で焼失した旧国宝本殿を戦後復興したわが国唯一の三連春日造社殿)、②西宮神社東翼殿(国土の歴史的景観に寄与している)(本殿の復興に伴い新たに建立した社殿)(斎庭の一角を担う)(建立:昭和37年)、③西宮神社西翼殿(国土の歴史的景観に寄与)(東翼殿と一対で左右対称の景観を形成)(昭和37年)、④西宮神社拝殿(造形の規範となってる)(昭和37年)⑤西宮神社手水舎(造形の規範となっている)(平成7年に震災復旧)、⑥西宮神社銅鐘屋(国土の歴史的景観に寄与)(四面に菱格子を建て、上部は筬欄間とする。繊細かつ丁寧な造りの履屋)。
 
西宮市内の登録文化財14件を紹介した。①松山大学温山記念館(本館など6件)、②浦屋住宅主屋(1件)、③旧山本家住宅(主屋など6件)④武庫川女子大学甲子園会館(1件)、⑤関西学院大学時計台(1件)をそれぞれ映した。
 
登録文化財の目指すところは何か?①身近な文化財の文化的財産価値を顕在化させる、②文化財としての保存・まちづくりの核として活用する。③社会から認知・評価されることで文化財価値が向上すると指摘された。最後に一つお願いがありますと前置きして「西宮の文化財を「まもる・いかす・つたえる」事業に活用させていただきますと、寄付申し込み書を配布された。
 
質問の時間になり一番前に座っておられた方が「登録文化財をいかに維持管理していけばいいか含めてビジョンを伺いたい」と質問した。東原先生は「ひとりでも多くの人にまず存在を知ってもらうことが大切です。観光開発にもつなげていきたい。お金を落としていただけるとありがたい。」と話されお開きとなった。
 
貴重な機会を用意いただいた西宮文化協会事務局に感謝である。(了)

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中村征夫写真展at美術館「えき」KYOTO(スケッチ&コメント)

2025-05-26 14:42:51 | スケッチ


中村征夫写真展が美術館「えき」KYOTOであり楽しみに出かけた。125点の海中写真が撮影場所ごとに展示されており壮観だった。
 
最後のコーナーは京都の海。舞鶴で撮影された。25点ありイワガキの群落その周辺を泳ぐアオリイカを左端に数点の写真を背景に会場の様子をスケッチした。
 
会場入り口に中村征夫さんの履歴が掲示されていた。「1945年、秋田県生まれ。独学で水中写真を撮り始めた。19歳の時だった。撮り続けてまもなく80歳を迎える。ライフワークは東京湾定点観測。世界の海に潜り、作品を通して海の魅力、海を巡るひとびとの営みを伝えて来た。」とあった。
 
展覧会最後のギャラリートークが午後2時から始まった。トークは東京湾でのカニの親子との出会いからはじまった。
 
「カニを撮ろうと静かに近づいた。カニが水中服の胸元近くまで飛び掛かって来たんです。下に落ちた。落ちてもまた飛びかかって来た。」「怒らせたな。ごめん、ごめん」とその日は大人しく引き揚げた。「いままで何度も何度も撮影してきました。生き物は、何らかの方法で、みな自分で身を守っています。」
 
「3日あと同じ場所に出かけた。母親は『かわいいでしょ。見てくれと言わんばかりに子供を並べてこちらをじっと見つめている。』『この生き物は何もしない。大丈夫なんだ。』と思ったんでしょうな。」と中村さんは話された。強く印象に残った。
 
「珊瑚の白色化が進んでいます。珊瑚はれっきとした動物です。白化には様々な要因があります。水温の上昇がまず挙げられます。珊瑚には藻が共生しています。藻が死ぬと栄養がもらえなくなる。珊瑚は生きていけません。」
 
「珊瑚には多くの魚が隠れて生きています。珊瑚の中を出入りしています。珊瑚の一番奥にタコも隠れています。卵を食べたり飛び出して魚を食べています。」
 
「人間は沢山の魚を食べて生きてきました。好き勝手に生きて来た人間が魚に食べられていなくなるかもしれませんね。」と話した。
 
「珊瑚の回りには沢山のプランクトンが生きています。
潮が動くと光合成が活発になりプラクトンが盛んに発生する。それをねらって魚が集まってきます。」
 
「泳ぎの苦手な魚がいます。擬態をやります。」と一枚の写真の前に立ち「どこに目がありますか」と中村さんは聞いた。「周りの環境に合わせてじっとしています。魚が近づくとパクッと食べるんです。」と話した。
 
月1回定期検診で近くのT歯科のお世話になっている。T歯科の診察室には水中写真が天井や側壁に飾ってある。先日も写真に見入って居たら奥様から「お時間許せばお出かけ下さい。」と中村征夫写真展招待券2枚をいただいた。
 
写真もそうだが中村さんのユーモアあふれるトークを堪能した。T歯科ご夫妻にひたすら感謝である。(了)






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ランも暦通り咲きました(スケッチ&コメント)

2025-05-16 22:16:28 | スケッチ


今年も暦通りランが元気に咲きました。まだ3本目である。
 
通りがかりのさるご婦人が珍しい花ですねと声をかけてくれた。
緑を背に色鮮やかな深紅の花がフエンスの鉄線から身を乗り出して
咲いているため遠くからでもよく見えるようだ。
 
緑と赤は補色の関係で色がより鮮やかに見えると昔教室で
猪熊佳子先生からお聞きしたことがある。
 
改めて補色の関係とはなにかについてヤフーのお世話になった。
 
赤と緑は色相関図で正反対に位置しており補色の関係にある。
補色関係にある色を並べるとより鮮度が高くなったように
見えるため色の鮮やかさが強調される。
 
一例として精肉屋さんのショーウインドーでは肉を緑の
マットに並べると肉の赤身が強調される。そのため鮮度が
高く感じられると出ていた。
 
当のランは、自分で植えた記憶はない。おそらく鳥の
落とし物が芽を出し花開いたのだろうと思ってる。
かれこれ10数年、我がもの顔で居座っている。年々
根が盛り上がって来ている。水もやらない。肥料も
やらないが一人楽しそうに咲いてくれるので頼もしい。
 
まだ走りなのでこの先、次々花を咲かせてくれるだろう。
梅雨先ごろまでは道行く人の目を楽しませてくれそうだ。(了)

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「市制百周年と全国の西宮」、講師、吉井良昭氏、文化協会会長、西宮神社宮司(スケッチ&コメント)

2025-05-12 10:40:48 | スケッチ


西宮文化協会四月行事として令和7年4月30日(水)14時30分から「市制百周年と全国の西宮」と題して吉井良昭、当会会長、西宮神社宮司の講演会があり楽しみに出かけ、いつものように会場の様子をスケッチした。
 
吉井会長は「昭和26年生まれ、市立西宮高校、國學院大學卒業のあと福岡県の宮地嶽神社、春日大社を経て昭和58年に西宮神社に奉職しました。」と話しをはじめた。「春日大社は格式高くかつ伝統のある神社で、神様のお供えの仕方から神職、宮司の仕事含め様々なことを学ぶ事が出来た。保管されていた数多くの文献書籍を読む機会に恵まれたことに特に感謝している。当会会長を令和3年に山下前会長から受け継いだ。」と紹介された。
 
「今年は西宮市制施行百年である。西宮文化協会の前身の西宮史談会設立110周年の年である。記念として「全国の西宮」を刊行した。①地名、②「西宮」のつく施設、③全国の西宮神社。④旅日記から見る西宮、⑤石造物に刻まれた「西宮」⑥絵図に描かれた西宮の6章。320ぺージにまとめた。」と話しを進めた。
 
「市制施行奉告祭として大正14年4月1日午前9時30分より西宮神社本殿で神事が行われた。当時の新聞に「近来稀に見る盛大厳粛の祭典、市民1,000人余集まる境内。歓呼の声満場に充つる。」と紹介された。祭典奉仕は社司吉井良晃。初代西宮市長は紅野太郎。参列者総代は辰馬吉左衛門。会場正面に映された大正4年5月8日の大阪毎日新聞の「阪神十里 悪太郎行脚」の切り抜き記事に「吉井さん(良晃氏、吉井会長の曽祖父)は上品な家の人、太郎さん(紅野氏)は先生の代わりをする人、篤一さん(辰馬氏)はお金持ちの人と言った3人3様だった」と伝えている。3人の生れ年は、慶応3~4年。同じ小学校だった」と吉井会長は紹介された。
 
「全国の西宮」本論に入る。①地名「西宮」では110。現存48。②施設「西宮」115。遺跡が32で多い。③西宮神社は750社。内現存408。④旅日記では江戸期100件。⑤石造物は道標58。現存53。⑥絵図は35点。
 
地名「西宮」110件の内、「現地名」48では中部12件で最も多い。近畿は7件。北海道は0。旧地名62件。四国が16件で最も多い。近畿は5.北海道は0.
 
地名の由来では①石宮神社鎮座、②えびす神社以外の西宮神社鎮座、③えびす信仰による、④方角の「西」、⑤由来不明。現地名では方角、旧地名では西宮神社由来が多い。
 
全国の西宮神社では、中部(169社)、近畿(105)が多い。県別では静岡県が96。高知県が43。兵庫県が33。地名ではやや東日本が多い。神社名では圧倒的に東日本が多い。逆に西宮神社を含めえびす神社の分布を見ると西日本が半数を占める。西日本は十日えびすを始めとするえびす信仰に対して東日本はえびす講中心の個人のえびす信仰という形が推定できる」と話した。
 
西宮神社のえびす信仰は,公儀御免(幕府認可)の下、東日本の個の信仰地域へ御真影札を頒布し、その結果、東日本に「西宮」が周知されたと考えられる。北海道は地名としては0であるが、西宮神社は新旧併せて18。いずれも小樽以南,渡島半島に集中。北前船によりえびす信仰がもたらされた。銚子市に西宮神社が3社ある。
 
各地への分霊の経緯として、村方から一致した要望があった。鉄道の拡大で分霊が進んだ。分霊を通じて各地に西宮神社,恵比寿神社が祀られ、それと共に「西宮」の名も浸透していった。その中には、西宮出身者の尽力もあった。西宮の漁業を通して江戸初期以来、西宮人の房総半島進出、移住が続き、人々の移動と共に西宮の痕跡が各地に残っている。
 
石造物に刻まれた「西宮」の中に秋田県十日町神社境内に「西宮大見」碑に「雄物川漁 サケとえびす信仰「トウ西宮大神宮」と唱えていると紹介された。サケは成魚として海から川に帰る。えびすも海から来られたとの話しは興味深かった。
 
貴重な話を聞くことが出来、西宮文化協会事務局に感謝である。(了)

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