ハリックの診断即治療&虹彩と、Kenさんの経済学&スケッチ

虹彩には、体質や、現在、過去、未来、のデータが秘められています。虹彩学による虹彩分析を針灸、巨針、食事療法の指針に!

第3回F-1腹話術グランプリ2024atうはらホール(スケッチ&コメント)

2024-04-18 13:51:11 | スケッチ


第3回F-1腹話術グランプリ2024が神戸市東灘区文化センター(うはらホール)で4月13日(土)午後1時30分から開かれ楽しみにして出かけた。はじめに主催者代表のやないあつ子(柳井篤子)さんから「面白くて笑い、面白くなくても笑ってください。」と挨拶があった。

  1. エンターメント部門(4分半)、予選を勝ち残った8名、②
映像部門(1分)4名、③仕事に使える腹話術部門(7分)(3名)それぞれに分かれ午後4時までの熱演を堪能した。

審査員はいっこく堂さんはじめやないあつ子さんも入り5名が出演者ごとに所見感想時に指導する。審査員が交代に行う参加者とのやり取りに注目した。

最初に登場したきんちゃん「妖怪ノンジョルノ」では「アイデアがすばらしい。明るい。お客さんとの呼吸をうまくとっていた。敢えて言えば、人形のしゃべり方に工夫があればもっとよかったかもしれない。」と言った具合だ。

2番の宮本敏企さんの「全ての願い叶えます」は人形を両手に抱えて演技した。審査員の一人は「マジックを取り入れた演技が良かった。お金でかなえられない願い事を演じた。ご自身が3人目のキャラになり笑い顔を切らさなかった。子供一人一人に感情が入り「希望の星」です」と誉め言葉が並んだ。

5番目の香之島さんの「大好きなあの人」では審査員を務めたやないあつ子さんは「お年寄りには聞き取り難いところがあった。テンポをおとしたらもっとよかった。」と所見を述べた。

かぶりつきで聞いておられた審査員が聞き取りにくい。まして会場の舞台から距離があればなお聞き取りにくい。「ちいさな唇の動きも審査ポイントになるそうだが、身振り手振りで笑いをとることは大切だが、演技者の基本として小さな子供でも分かることが一丁目一番地だと率直に感じた。

8番目のJunさんの「HappyBirthDay,Happy腹話術」では「お客さんに聞こえることが一番大事だ。人形のかくぜつ(活舌)が惜しいと思った。」と控えめに評された。やないあつ子さんは「舞台に出て来た時の瞬間の雰囲気が大事だ」と指摘された。印象に残った。

  1. の映像部門では「1分間で纏めるので難しい面があるのは分
かる。ただ、人形の言葉が聞こえなかったのはどうかな。」とある審査員が指摘した。あられちやんの「いちごと大福」では「うまく編集していた。ただ、何を伝えたいのかが分かりづらかった。」と鋭く指摘した。

  1. の「お仕事にもっと使おう腹話術」はF-1腹話術の大きな柱
となっている。腹話術人口のすそ野を広げる意味でもカギを握るテーマである。ある審査員は「人同士が面と向かって意見を伝えにくいケースが多い。腹話術を活かして人形に言わせた方が心和やかに気持ちよく入っていける。」とある審査員の指摘があった。同感だった。

時にやないあつ子さんの審査員紹介欄に「1995年から腹話術をはじめ今年で29年目を迎える。子ども向けの腹話術から「おとなの時間」としてのセクシーライブまで守備範囲は広い。」とあった。

やないあつ子さんは同じマンションにお住いのため身びいきになるかもしれないが健康に留意され腹話術のマーケット拡大に益々の活躍を期待している次第である。(了)








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フリージアが今年も元気に咲きました(スケッチ&コメント)

2024-04-12 08:10:42 | スケッチ
画・江嵜 健一郎


今年は4月に入っても天候不順がこちら神戸でも続いている。この日は天気予報では午後から雨。雨が降る前にと傘を鞄に入れて昼前に溝掃除と草取りを兼ねて例の更地に出かけた。
 
チューリップはさすがにそろそろ仕舞風呂。選手交代とばかりに元気に迎えてくれたフリージアに絵心を刺激されてスケッチした。画面右からフリージアを描き始め、横と後ろにチューリップを入れて自宅で彩色した。
 
ヤフーのお世話になってフリージアを検索した。デンマークの植物学者のエクロンがドイツ人の親友「フレーゼ」にちなんでフリージアと命名した。原産地は南アフリカ。ドイツからデンマークの北海岸に沿った島々はフリージア諸島と呼ぶ。日本には19世紀後半ごろに栽培されるようになった。交配が進み今では100種類近い。花の歩の下の方から順に咲いていく。花ことばは「希望」、「あどけなさ」、「純潔」、「親愛」。黄色は「無邪気」、赤色は「純潔」と出ていた。香りがいい。香りの成分は柑橘類の原皮に多く含まれているリモネンとあった。
 
雨が近いのでスケッチもそこそこに草取りを済ませ溝を掃除していたところ通りがかりのさるご婦人が声をかけて来た。「外に出て来ておられて良かった」と切り出し「いつもきれいな花を見せてもらっている。近くに娘が住んでいるので、ここをよく通るのよ。」と話しを続けた。
 
「隣がコンビニなので、空き瓶、紙コップを捨てる人が多い。駅前のせいもありタバコのポイ捨てはなくならない。たまるとゴミを捨てやすくなるので週一のタイミングで掃除している」と答えた。「本山に家がある。雨が降る前に帰りたい。ではまた。」と別れた。
 
花がお好きなご婦人のようだった。おそらく花がなければ声を掛けられることはまずない。桔梗が3~5センチの芽を出して来た。5月入れば
紅葉葵やグロリアスもおっかけ中も入りすするだろう。バラや木槿も芙蓉も新芽を出して来た。文字取りMay Flowerとなる5月が今から待ち遠しい。
 
花に元気をもらう事が出来、花にひたすら感謝である。(了)


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♪咲いた、咲いた、チユーリップの花が♪(スケッチ&コメント)

2024-03-31 23:16:14 | スケッチ
画・江嵜 健一郎


♪ 咲いた、咲いた、チューリップの花が、
並んだ、並んだ、赤、白、黄色、
どの花見ても、きれいだな。♪
 
チューリップは今年も暦通り咲いてくれた。チューリップさんありがとう!!という言葉が自然と出て来る。
 
チューリップの童謡・唱歌を聞くと
春が来たなと実感する。
 
今年は元旦にいきなり能登大震災。辰年は文字通り大きく振れる年と知りながらも、何が起こるか先が見えない年回りである。
 
3月に入ってからも、昼間暖かいが夕方から急に寒くなる日が多い。全く油断できない。それでも、ほどなく全国各地から桜の開花の便りも届くことだろう。
 
チュ-リップをスケッチしていると、通りがかりのさるご婦人が「きれいですね。いつも見せていただいているのよ」と声をかけて来た。
 
「濃いワインブルーのチューリップが好きなんよ。珍しい形ね。」と話しを続けた。「せっかく描いておられるのに、手を止めさせて、ごめんね。また、お話聞かせて。楽しみにしてるわ。」と言って帰った。
 
少し経って、こんどは鬢に白いものが目立つご婦人が声をかけて来た。当方が「日本画をかじっている。ここは震災の跡地で、季節折々の花のスケッチを楽しんでいる。」から始まったご婦人との花談義に花が咲いた。
 
「暫く前まで絵を教室で描いていた。」と話したあと「お描きになったほかのスケッチ見せていただけない?」とリクエスト。熱心に見ておられた。
 
花が縁で見も知らぬ、通りがかり方から声がかかる。時に、魚心、水心という言葉がある。花にも心があると信じている。花を描くことで花から元気をもらうことが出来、花にひたすら感謝である。(了)


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台湾総統選後の中台情勢:福島香織氏大いに語る(スケッチ&コメント)

2024-03-18 13:45:56 | スケッチ

画・江嵜 健一郎


福島香織氏の「台湾総統選後の中台情勢と日本の今後を語る」講演会が3月16日(土)午後2時半から質問入れて4時半まで大阪府福祉会館であり楽しみに出かけた。会場の様子をいつものようにスケッチした。
 
福島氏は講演冒頭に正面に金門島の地図を映し2月の中国漁船と中国海巡局との衝突事件、金門島クルーズ観光船事故と3月の中国船転覆事故から話をはじめた。まず2月14日、中国漁船が制限海域に侵入、パトロール中の台湾巡視船と接触・転覆、2人が溺死した。中国当局は2月17日「厦門金門島海域は両岸の漁民にとって伝統的な漁場である。根本的には禁止・制限水域は存在しない。」と暗黙の了解として守られていた「禁止・制限水域」を無視する意思を表明した。福島氏は「乗組員は漁師ではなかった。」と指摘した。
 
2月19日、金門島発のクルーズ船が制限水域をわずか0.5海里で福建海警局巡視船の臨検にあった。クルーズ船乗組員11人と観光客23人は「このまま中国に連行されるかもしれない」と恐怖を感じたと話している。
 
3月14日、中国の漁船が金門島沖で転覆、沈没、中台双方が救助に当たり4人が救出、2名が行方不明の事件があった。「金門島は台湾からは100キロだが大陸から2キロの位置にある。中華民国の蒋介石が台湾に避難した時から中華民国の領土、つまり台湾の領土として認識されている。」
 
 
習近平氏は「ロシアが2014年にクリミアを併合した。それがロシアのウクライナ侵攻の契機となった。」ことを学習した。習近平氏の考え、すなわち中国政府の出方を知る上で「金門島を巡る動きは重要だろう」と福島氏は指摘した。
 
福島氏は「今年の全人代での「政府活動報告」の李強首相が読み上げた台湾関連の文言で「平和統一、一帯一路」から「平和統一」の表現が消えた。」と指摘した。全人代の解放軍武警代表団分科会会議で習近平氏は「新クオリティ戦闘力」を発展させ、包括的な海上軍事闘争の準備をせよ。新クオリティ生産力と新クオリティ戦闘力の成長を極めていく」と発言した。「新クオリティ戦闘力とはAIコントロールのドローンなどによる攻撃か」と福島氏は指摘した。
 
「ウクライナでロシアの戦闘もドローン戦争になってきている。台湾有事を想定すれば長距離ミサイルは必要がない。ドローン含め武器の整備も回収も安価で習得がより容易である.即応性が高い。」と指摘した。
 
「今年の全人代では李強首相による内外記者団との質疑応答がなかった。李強首相との対応を習氏が懸念したとの見方や李強氏が辞退した話もある。習氏の次が見当たらない。李強氏入れて下の内輪もめが伝えられる。」と指摘した。
 
「台湾総統選挙では習近平氏による恫喝は失敗した。民進党は蔡英文氏が車を運転し助手席に頼清徳氏と副代表の蕭美琴氏が乗るCMが成功したが得票率は40%。国民党侯友宣氏は38.6%。民衆党柯文哲氏は26.4%と三つ巴の結果となった。福島氏は「4年後の総統選では柯文哲氏は侮りがたい」と指摘した。
 
「日本のやるべきことは何か。地域防衛への参加。日米軍事同盟の強化と安定。台湾の安全を守ることが日本の利益、発展を合致するという認識を広める事だろう。」と講演を終えた。
 
講演のあと2人が質問した。一人は中国の不動産不況と上海ロッダウンについて聞いた。福島氏は「習氏は上海ロックダウンはテストした。習氏の行政能力は高くない。ご本人も頭が悪いと自覚しておられる」と答えた。2人目の方は「習氏の後任は」と聞いた。福島氏は「次を期待されていた副首相の薄熙来を習氏は嫌った。薄熙来氏は賄賂を理由に除名された。」と答えた。福島氏は「習氏の健康状態が余りよくないと伝えられる」と指摘した。台湾有事との関連で見ればタイミングが早まる可能性を示唆した。(了)


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猪熊佳子展 木霊ーSpirit of forest京都展会場風景(スケッチ&コメント)

2024-03-16 08:08:43 | スケッチ


猪熊佳子展 木霊―Spirit of forestが高島屋京都店で2024.3.13日から~18日まで開催されている。初日の13日(水)楽しみに出かけ会場の様子をいつものようにスケッチした。
 
会場に着いたのは午後3時を過ぎていたが大勢の猪熊佳子画伯ファンが訪れ鑑賞していた。
 
当展画集の巻頭に猪熊佳子先生は「コロナ禍を経て数年ぶりに屋久島を歩きました。時を超え 場を超えて 優しく強い光を放つ 緑濃い森に 心が震えました。悠久の森の 風や光を 浴びるように感じて いただければ幸いです。」と書いておられた。
 
広い美術画廊正面に大作「煌めく水面-屋久島淀川」(180.0X400.0cm)(青金箔)が飛び込んできた。川面を真ん中にして画面左端に屋久杉の大木が腕を伸ばす。足元には地面から盛り上がり横たわる苔むした根が空間を圧倒していた。水を求めてやってきたのだろうか。川辺にたたずむ二頭の鹿がいかにもかわいらしい。
 
「煌めく水面」の右隣には「水霊―spirit of forest」(180X200.0cm)(銀箔)が並ぶ。
 
左には「水影―赤とんぼとアカゲラ」(91.0X116.7cm)(金箔)。黄金の森にアカゲラと赤とんぼが飛んでいた。秋を満喫させてくれる絵である。
 
秋景色から一転して左にある「Snow puddle」(91.0X116.7cm)(銀箔)は凛としたたたずまいの冬景色である。Puddleを辞書で引いたら水たまりと出ていた。会場をゆっくり鑑賞しながら全40点の作品を堪能した。
 
百聞は一見にしかず。猪熊佳子展はいずれも高島屋店の各画廊で京都展(2024.3.13~18)、大阪展(2024.3.27~4.1),日本橋展(2024.4.24~4.29)と巡回する。最寄りにお出かけの節は会場にお運びいただければありがたい。(了)

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阪神甲子園球場&甲子園歴史館見学会、西宮文化協会・三月行事(スケッチ&コメント)

2024-03-12 18:45:13 | スケッチ


春の見学会「阪神甲子園球場を歩く」が令和6年3月5日(火)、阪神甲子園駅西改札午前9時15分集合、西宮文化協会三月行事として行われ楽しみにして出かけた。
 
吉井良昭当会会長から「本日は雨模様ですが甲子園球場と甲子園歴史館内の見学です。次回四月行事に「甲子園百年の歴史」を武庫川女子大学、名誉教授、丸山健夫先生のお話を予定しており併せお楽しみください。」と冒頭挨拶があった。
 
改札出て徒歩7~8分で甲子園球場ツアー受付窓口のある甲子園球場13号門に着いた。堀内当会副会長から「13号門に来ると学生時代三塁側アルプススタンドでアルバイトをした時の思い出が蘇ります。」と、和歌山の強豪M高は野球も強かったが応援団も兵が多かった。お世話するのも大変でした。」とエピソードを紹介された。
 
はじめに見学要領について阪神歴史館のユニフオームを着た係のご婦人から「球場内は選手とすれ違うこともあります。話をしたり写真撮影は出来ません。撮影可能な場所は申し上げます。館内は狭いので二列に並んで進んで下さい。」などの説明があった。
 
ツアーは甲子園球場の誕生、沿革の紹介から始まった。1924(大正13)3月11日起工。8月1日「甲子園大運動場」として竣工した。2024年の今年は百周年に当たる。1934年(昭和9年)、11月24日、ベーブ・ルースなどアメリカ選抜チームと全日本が甲子園球場で対戦している。1936(昭和11年)、4月大阪タイガース結成記念試合,同年、4月29日、第1回日本職業野球リーグ戦(プロ野球)が開幕したなどと配布されたパンフレットにある。
 
甲子園球場と聞けは水はけが抜群に良い球場としてつとに知られている。「もともと旧枝川と旧申川の三角州に作られた。その地層の上50センチ割り栗石が敷き詰められている。さらに砂利、火山砂利、最後に混合土で深さ1メートルあります。」との説明があった。
 
通路窓からホームベースが3つ並んだ投手練習場が眼下に見えた。この日は楽天・阪神のオープン戦が予定されていた。雨で中止となり練習風景が見られず残念だった。一塁アルプススタンド下には体育館があった。投手練習場は25メートルプールのあとをそのまま使っている。左右に見えるコンクリートのひさしは当時のままですなどの説明があった。
 
見学ルートに従い館内を短時間で移動した。高校野球の試合のあと監督、選手が受けるインタビューコーナーがあった。そこではテレビでもお馴染みのヒーローインタビューのパネルの前で希望者は記念写真を撮ってもらえる。小生も含めて数人が手を上げカメラに収めてもらうハプニングを楽しんだ。
 
貴賓室には入れなかったが同じ目線で甲子園球場を鳥瞰出来た。次に場所をバックネット裏へ移動した。真正面にスコアボードを入れ球場の遠景を鉛筆スケッチして帰宅して彩色した。雨の為内野グランドにはシートが敷かれていた。この日試合があれば練習風景を描けたかもしれない。観客ゼロ、雨の甲子園球場もこういう機会でもないと描けない。それなりに絵になると自画自賛している。
 
吉井良昭当会会長の中締めの挨拶の後各自「甲子園歴史館」を見学した。高校野球ゾーン、阪神甲子園球場ゾーンとに大きく分かれている。選手の記念の品々、写真など内容は盛りだくさんで飽きない。堪能して帰路に付いた。
 
貴重な機会を用意いただいた西宮文化協会事務局に感謝する次第である。(了)


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講談師 玉田玉秀斎氏 大いに語る、西宮文化協会ニ月行事(スケッチ&コメント)

2024-02-26 07:42:08 | スケッチ

文化講演会会場風景


講談師 四代目・玉田玉秀斎氏を迎えて令和6年2月18日(日)午後1時半から西の宮文化協会二月行事 文化講演会が西宮神社会館であり楽しみに出かけた。いつものように会場の様子をスケッチした。
 
吉井良昭、当会会長から「本日は今年最初の講演会となります。講師に講談師の四代目、玉田玉秀斎氏をお迎えしました。昨年秋,上田城を訪ねました。真田丸ゆかりの地です。「猿飛佐助」「真田十勇士」の講談はなんども聞きました。」との話の後「本殿の仮設足場をご覧になられ驚かれたと思いますが、本殿の瓦2万3,000枚葺き替え工事をはじめました。11月に完了します。本殿は昭和20年8月終戦4日前に被ばく後、再建、昭和63年に葺き替え、今回は36年振りとなります。」と挨拶があった。
 
玉田玉秀斎氏は「講談というと落語とよく間違えられます。今、大学でも教えています。最近はなくなりましたが最初の頃、学生の感想文に必ず「今日の落語は面白かった」とありました。」と講演を始めた。
 
「講談は物語りです。物語は歴史の事です。講談師は人の歴史を語りお金をもらう仕事です。講談にはひとの喜怒哀楽が詰まっています。その講談が日本でどんどんなくなっていきました。明治になって江戸時代と比べガラッと変わりました。勉強とはなんのことか。歴史を勉強することが勉強でした。落語家は先生を師匠と呼ぶ。講談師は物語を語る人。先生と呼ぶ。」と話しを先に進めた。
 
「江戸時代まで日本に60以上の国があった。200人以上のお殿様がいた。明治にそれを一つの国にする。強引な改革だった。明治20年は国会が開設された年です。発言に責任を持つ。そのため発言をそのま速記した。議事録です。速記は地方議会でも広まった。落語も講談も速記しました。速記をまとめて本にする。関東だけでも50以上の出版社が生まれた。そのなかでたった一つ残ったのが「講談社」です。」と話しを続けた。
 
玉田玉秀斎氏はロータリー交換留学生としてスエーデンに留学中、「日本のことを聞かれたが答えることが出来なかった。日本のことを知らないとダメなんやないかと知った経験がある。大学は法学部で学んだ。24歳の時、弁護士を目指して司法試験を受ける準備をしていた。その時たまたま起こった出来事が講談師にのなるきっかけとなった。」と話した。
 
「ある日たまたまかけた電話先で三代目、玉田玉秀斎の話を聞かされた。0798の西宮の局番は忘れられない。いま100人近くいるが、当時講談師は60人ほどだった。講談師も弁護士もお尻に「し」がつく。弁護士も講談師も同じだ。講談師をやれ。」と言われた。このままでは講談がなくなる。何もわからず講談の世界に入った。」
 
「今回の講演のタイトルに「西宮で起きた、たまたまの奇跡」と書いた。なにもかもたまたま起こったからだった。なんども西宮の師匠の家に通った。今でも阪神西宮駅に来ると怖い先生の顔が浮かぶ。いい思い出はない。講談師になりたくてなったのではない。講談には600年の歴史があることを知った。先生の家には足の踏み場もないくらい本が積み重なっていた。全部読んだ。全てが講談話を速記して出来た本だった。」と話した。
 
一息いれたあと「講談」ならず「口演」と前置きしての約20分「猿飛佐助」を堪能してお開きとなった。「猿飛佐助」は忍術を教える人。講演の冒頭に四代目、玉田玉秀斎氏は「猿飛佐助によれば忍術とは「油断するな」という教えだと師匠から聞いた。」と話された。「猿飛佐助」の物語を聞き改めて「油断するな」ということを教えられた次第である。
 
貴重な機会を用意いただいた西宮文化協会事務局にひたすら感謝である。(了)

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梅一輪一輪ほどの暖かさ(スケッチ&コメント)

2024-02-20 12:21:32 | スケッチ
画・江嵜 健一郎


メル友のご自宅のベランダの小鉢に咲いた梅の写真が1週間ほど前に届いた。
絵心を刺激されて、是非、スケッチしたいとお願いしたところ「散り始めた。
是非、うちの子を描いてやって下さい。」と、わざわざ小鉢ごと梅の花を
届けて下さった。
 
 以前から一度梅の花を描いてみたいと思っていた。何故か縁がなく、梅の花を
しげしげ眺めて描いたのは今回初めてだった。なにごともそうであるが、ただ
眺めているのといざ描いてみるのとは違う。簡単でないことを改めて実感した。
 
 いつものようにヤフーのお世話になり梅の花ことばを検索した。
「上品」、「高潔」、「忍耐」、「忠実」と出ていた。梅の花の最盛期が2月とまだ
寒さの厳しい時期のため寒風が吹く中、凛と咲く梅の花の姿から花ことばが生まれた。
 
 西洋ではKeep your promise(約束を守る)、fidelity(忠実)、beauty and longevity
(美と長寿)とある。
 
 今年はエルニーニョ現象の影響もあり2月第2週に近畿地方にも春一番が吹いた。
まだ揺り戻しがあると聞くが果たしてどうであろうか。異常な気候であることだけは
確かなようだ。梅の花もおそらく面食らっているに違いない。
 
 学校で習った「梅一輪一輪ほどの暖かさ」(服部嵐雪)の句が懐かしく思い出される.(了)


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阪神なんば線車中風景(スケッチ&コメント)

2024-02-11 09:43:16 | スケッチ

画・江嵜 健一郎


上六(上本町六丁目)で所用があり近鉄「上六」駅で乗車した。座った座席の前に「円空」-旅して,彫って、祈って、2月2日~4月27日、あべのハルカス美術館で開催の広告が目に飛び込んできた。上六の次は日本橋、ほどなく難波。円空の広告の下の席の男性他が難波で降りた。抜けた席に小学校2,3年に見えた少女と大きな紙袋を抱えたご婦人が後に座った。これは絵になるとポケットからスケッチブックを取り出して描き始めた。

難波駅から阪神なんば線に変わる。普通電車は難波から各駅停車で14,5分で尼崎どまりとなる。難波以降は客の乗り降りは少ない。座席の右へ右へ描き込んだところで尼崎に着き鉛筆を置いた。自宅で彩色した。

阪神なんば線をコロナ前はよくスケッチした。先日、阪神神戸線で仲良しの2人に刺激され久しぶりの車内スケッチとなった。このたびは、円空という一枚の広告がたまたま目に留まり絵ごころを刺激され手が進んだ。阪神なんば線はコロナのほぼ3年間は空席が目立った。今難波界隈はインバウンド客の一気の回復も重なり様変わりである。

阪神なんば線は快速急行に乗れば奈良と神戸三宮間が乗り換えなしでほぼ1時間で行ける。最近は難波で降りず神戸まで乗る人もコロナ前に戻った。阪神なんば線で神戸と奈良が東西でつながった。一方、阪急が京都線の十三を経由して新幹線の新大阪駅、梅田、難波、大阪空港と縦につながる工事が進んでいる。

「円空展」に戻す。ヤフーブログで調べた。関西での大規模な円空展は約20年振りで単独展。初期の作品から160体が集結する。円空は寛永9年(1632)美濃の国に生まれた。幼い頃出家して23歳の頃、富士山にこもった。寛文11年(1671),40歳の時に奈良の法隆寺で法相宗の法系に連なる僧侶として認められた。

その後円空は修験者として経験を積み重ねていく。延宝7年(1679)、48歳の時、円空は「円空の彫る像は仏その物である」という白山神の宣託を聞く。その後関東の修験寺など寺や霊場を回り次々と作品を残していく。貞享2年(1685)前後、岐阜県、千光寺に滞在、彫刻に没頭した。円空は生涯に12万体の仏像を彫ると誓ったとある。
週明けにでも「円空展」に足を運んでみたい。(了)


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仲良し2人(JR神戸線・車内風景)(スケッチ&コメント)

2024-02-02 18:20:27 | スケッチ
画・江嵜 健一郎


JR芦屋駅で普通に乗車したところたまたま楽しそうにスマホをたたいている
2人の少年に絵ごころを刺激され久しぶりでスケッチした。

はがきサイズの手持ちのスケッチブックを取り出して速写した。
JR芦屋、甲南山手、摂津本山と来て自宅最寄り駅住吉まで約9キロ、
時間にして数分間の勝負となる。自宅で彩色した。

夕方4時ごろだった。少年2人もJR住吉で降りた。
改札を出たあと見失った。JR住吉駅界隈は学習塾が至るところにある。
学校が終ったあと学習塾へ行く途中かもしれないなと
睨んだ。

画面左の子は緑色のだぶだぶの綿入れコート。
右の子は黒の厚地のコートを着ていた。2人ともしっかりと
した身なりだった。左の子の髪の毛はぼさぼさ。右の子は
綺麗に整っていたが寝ぐせだろうか、後ろに髪の毛が跳ねて
いたのが目についた。2人とも革靴だった。

チョコザップ祝100万人突破キャンペーンの広告を入れ、
釣り皮を描き込んだところで住吉駅に着いた。

画面左の子から2人分ほど離れて大柄のおじさんがいた。
ちらちら筆者に目を向けていた気配を感じたので
画面から外した。おじさんの隣には女の子がいた。
4人並べる手もあったが時間的制約もあり少年2人に
絞った。

2人の少年と降りるまで目が合わなかったのは
ラッキーだった。(了)


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