高速艇(和河⇒日間賀島西船内風景
江嵜企画代表・Ken
知多半島突端、三河湾に浮かぶ日間賀島へ兄妹夫婦のパ―ティで、中の妹のリハビリも兼ねて、5年ぶりに出かけた。幸い天候にも恵まれた。10月に解禁となったふぐに加えて、ご当地の目玉のタコ、今回は特にメバルの煮物がうまかった。
ふぐ料理ではてっちりが大盛りで出てくる。てっさも肉厚で、本心食べたと実感する。街中で出てくる、値段だけ一人前の、オブラ―トのようにお皿まで透けて見えるほど薄くカラカラに乾燥したテッサと大違いである。白菜、ネギなど野菜もたっぷりつく。
イセエビの活きづくりもうまかった。ガラは翌朝、みそ汁に出てくる。成仏してくれること間違いなしだ。簡易コンロで焼いて食べたアナゴの干物もうまかった。日間加賀島名産のノリも合格だ。
今回も民宿「北兵館」(0569-68-2022)にお世話になった。実質本位、料理優先なら、うまいひれ酒もいただいて、飲み物コミ込みで予算通りのひとり1万5,000円以内に収まった。宿の設備に注文を付ける人は別だが、お値打ちだろう。
今回は、阪神なんば線開通で名古屋が身近に感じられた。ノンストップのアーバンライナー特急を利用すれば難波から名古屋まで2時間5分である。名古屋から名鉄特急で終点の河和まで45分、河和で高速艇に乗り換え20分で日間賀島西部港に午後4時前に着いた。
高速艇船内をスケッチした。3時過ぎという時間帯のせいか比較的空いていた。風もなく知多半島の景色が窓越しに浮き沈みしながら見えた。小学校に上がったばかりだろうか、男の子が、窓の外を指差しては、楽しそうに、座席の上を飛んだり跳ねたりしていた。
翌朝は食事前に海岸に出てスケッチした。岩場で廃材を燃やしていた。結構風が強く、暖をとることが出来幸いだった。タコ釣りの船が往来していた。たまたま廃材を運んできた漁師さんに聞いたら、タコは沖にいるが浅瀬でも結構釣れると話していた。
日間賀島のタコはなぜうまいのか。潮の流れが激しいからだという。タコと言えば明石である。ところがここのタコは身びいきではなく明石より肉がやわらくてうまい。
近くにはサンライズ・ビーチという名前の海水浴場がある。夏場は結構賑わうそうだ。海岸沿いの道路をまたいで日間賀神社という結由緒ある神社がある。
神社の境内の由来に、奈良平安時代から皇室に海産物を献上していた。藤原宮跡で発見された木簡(荷札)に「赤魚、須須岐(すすき)、黒鯛,佐米(さめ)須ワ切り(サメの肉を細長く割いて塩漬けにしたもの)」とあったと解説していた。
余談ながら、宿の娘さんが、スケッチでいえば右隅に見える篠島は、昔、政治犯などの流刑地だった。そのせいか優秀な人間が時々出る。お伊勢さんとのつながりも日間賀島より強いと教えてくれた。
日間賀島には、西港、東港、新井浜港、久渕港の4港がある。久渕港が一番大きい。島のパンフレットには553隻が止っているとあった。
戦後ずっと若者は島から出て知多半島はじめ名古屋などで働いた。最近は若者の中でも島で働く人が増えたそうだ。漁業が見直されたせいなのか。都会が若者を受け入れられなくなったのか。聞きそびれたが、両方かもしれない。
きれいな空気。うまい魚。新鮮な野菜。都会生活が全てでないだろう。人はなんのために生きているのか。さすがの日本人のなかにも原点を見つめ直そうとする気運が出てきたのなら誠に喜ばしいことであろう。(了)
日間賀島風景
江嵜企画代表・Ken