ミドリ色の屋根は永遠に~René Simardに首ったけ~

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ルネと新人賞

2009年12月20日 | ミドリ色の屋根の頃
 今年も残りあとわずかとなりました。当ブログも今回で345記事を数え、ルネ・シマールの話題オンリーを貫いています。
 昨年と一昨年の12月はクリスマス特集として、ルネが歌ったクリスマス・ソングを紹介しました。今年は天使の絵のアップでクリスマスの雰囲気だけですが、ルネの歌声と笑顔、そして天使の絵で癒されていただければ幸いです。今回はちょっと大人の天使ですよ。


▲受胎告知(部分) エル・グレコ

 さて、カナダのルネ・シマールが第3回東京音楽祭世界大会でグランプリとフランク・シナトラ賞を獲得し、日本にルネ・シマール・ブームを巻き起こした1974年。ルネ・シマールも「日本レコード大賞」と「日本歌謡大賞」の新人賞候補として名前があがっていたようです。
 それについては、今はなき旺文社の学習雑誌『中一時代』の1974年11月号に掲載された記事『スターへのライセンス 新人賞はだれに?!』で書かれていた内容を中心に紹介したいと思います。

 
「新人賞の決定まで、もうそれほど時間がないが、ルネ・シマールはどうなるわけ? 新人賞候補として。」
 「新人になるよ。規約にもあるしね。」(本文より抜粋)


 ちなみに、この『中一時代』の記事を読むまで、私はルネが日本で新人賞候補にあげられていたことを知りませんでした。何故なら、ルネ・シマールはあくまでもカナダの歌手。アグネス・チャンやリンリンランランのように、日本の芸能界での活動が中心の外国人歌手とは違い、ルネの活動拠点はカナダ。日本のファンのために来日し、活動していたのですから…。日本の歌謡界はどう考えていたのか分かりませんが、当時の私には、ルネが日本の新人賞候補にあがるなど考えもつかないことでした。

 実際、ルネは”L'oiseau鳥”でデビューした1971年に、同曲とクリスマス・アルバムのヒットで、カナダ・ケベックにおいて2つの賞を受けています。1つは「デクーヴェルト・ドゥ・ラネ(今年の発見)」。もう1つは「フェノメーヌ・ドゥ・ラネ(今年の非凡なタレント)」と呼ばれるもので、カナダにおけるレコード大賞新人賞とも言うべきものです。ルネにとっての本来の新人賞は、既に仏語圏のカナダで受賞しているのでした。

 ましてやルネは当時13歳。カナダ政府から保護され、仕事は週5日間、一日5時間までと決められていましたし、カトリックのルネが、キリスト教最大の祭典イエス・キリストの聖誕祭(英:クリスマス、仏:ノエル)のある、家族と過ごすべき12月末に、休日を返上してまで日本に来るわけがありません。後でアップする『NHK紅白歌合戦』も同様です。だから、このあと紹介する規約に当てはまっていても、12月に日本にいないルネ・シマールは新人賞は受けられません。その上、ルネもカナダのルネ・サイドも、フランク・シナトラ氏の招待で開けたアメリカのショー・ヴィジネスの世界やフランスでのゴールド・ディスク獲得に大きな期待を寄せていましたから、たとえ新人賞を受賞しても来日しなかったでしょう。
 

▲アメリカでのルネ

レコード大賞新人賞とは

 「日本レコード大賞」は、昭和34年、日本作曲家協会によって設けられたが、第1回では新人賞はもうけられていなかった。
 第2回になって、将来性があり、レコードが売れて、しかも歌唱力のある新人歌手にと、日本レコード大賞・新人賞がもうけられた。
 審査員は39名で、音楽評論家、芸能記者、文化人らによって構成されている。
 第一次、第二次で50曲ほどを残し、第三次予選会で10曲にしぼり、新人賞としてノミネート(候補に上げる)される。
 12月31日(現在は30日)、最終審査が行われ、同時にTBSテレビによって中継される。
 こうして最優秀新人賞が決定されるが、日本人に準ずる外国人も含まれる。


第16回『日本レコード大賞』
 1974年12月31日帝国劇場 TBS系列
 司会:高橋圭三、森光子、小川哲哉

 レコード大賞   森進一「襟裳岬」
 最優秀歌唱賞 五木ひろし「みれん」
 最優秀新人賞 麻生よう子「逃避行」
 新人賞     浅野ゆう子「恋はダンダン」
  〃       荒川努「太陽の日曜日」
  〃       城みちる「イルカにのった少年」
  〃       テレサ・テン「空港」
  〃       西川峰子「あなたにあげる」

 記事の中で『新人賞』候補としてあがっていた中条きよしの「うそ」と、ルネとともに1975年の『中一時代』のイメージキャラになった山口百恵の「ひと夏の経験」は大衆賞。ルネの提案で仏語版がカナダ等で発売された西城秀樹の「傷だらけのローラ」が歌唱賞を受賞しました。
 最高視聴率は45.7%!この当時、大晦日といったら、多くの家庭が、午後7時からの『日本レコード大賞』を観て、午後9時から『NHK紅白歌合戦』を観るというのが定番だったと思います。もちろん実家もそうでした(笑)。

※第16回日本レコード大賞 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC16%E5%9B%9E%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%83%AC%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%89%E5%A4%A7%E8%B3%9E
※Wikipedia「日本レコード大賞」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%83%AC%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%89%E5%A4%A7%E8%B3%9E
※日本レコード大賞・最優秀新人賞
http://visualb.hp.infoseek.co.jp/reconew.htm


歌謡大賞新人賞とは

 『日本歌謡大賞規約』によると、放送音楽新人賞は、その年度の放送音楽に貢献し、その活躍がもっともめざましいと認められた日本人またはそれに準ずる新人歌手に与えられる。新人とは、本審査の出席者の二分の一以上が認めたものとするーーーー。
 少しわかりにくいので審査員をしている(1974年当時)文化放送プロデューサー・掘浩嘉さんに話を聞いてみた。
 「いちおう将来性があることが第一。将来性というのは、やはりその歌手の個性だと思う。次に放送音楽にどれだけ貢献したかという問題だ。
 貢献とは、日ごろ番組を通して接してくれたということ」
 こういう点が審査の基準になり、人気があればいいというものじゃないという。


第5回『日本歌謡大賞』
 1974年11月26日19:00~20:55 テレビ朝日系列
 「第5回 輝く!日本歌謡大賞」新宿コマ劇場
 司会:高島忠夫

 日本歌謡大賞は日本レコード大賞の高視聴率を背景に、”打倒レコード大賞”を合い言葉に始まり、1993年(平成5年)まで24年間続いた国民的音楽番組でした。

 歌謡大賞 森進一『襟裳岬』
 新人賞  中条きよし「うそ」
  〃    西川峰子「あなたにあげる」

 放送音楽賞には、前述の西城秀樹と山口百恵が同じ曲で、五木ひろしが「浜昼顔」で受賞。 

※Wikipedia「日本歌謡大賞」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%AD%8C%E8%AC%A1%E5%A4%A7%E8%B3%9E
※第5回日本歌謡大賞
http://sound.jp/jmh/kayou/1974.htm

 受賞は逃していますが、ここに出てくる新人賞候補歌手には、「気になる17才」であいざき進也、「愛がはじまる時」で風吹ジュン、「ひまわり娘」の伊藤咲子、「あなた」の小坂明子の他に、林寛子、渡辺秀吉、芦川まこと、グレープ(さだまさし)、小林美樹、シェリー、リンリンランラン、マギー・ミネンコ、秀蘭、夏螢子があげられていました。



    
▲貫禄のプロデューサー・ルネ("PASSION SIMARD"より)

 この時の新人もすっかりベテランになっていたり、第2の人生を歩んでいたり…。ルネには、これからもずっと歌手として、プロデューサーとして、芸能活動を続けていって欲しいと熱望しているシマ姉です。

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