今日は定例のゴールデンウイーク・オフ会です(^^♪
今年のゴールデンウイークは、カレンダー通りですと5月の4連休がまとまって休めるかな・・・という感じで、そんなにお得感(?)はありませんが、最長で11日間の長期休暇を取られる方もいらっしゃるようですね。現在専業主婦のシマ姉は、毎日がお仕事でもお休みでもあり、祝日はお祝い料理を、息子が出勤の日はお弁当を作るくらいの違いしかありません(笑)。ですので今日は、家族の食事を準備して出かける「主婦の休日」です
そして今回は、第12回東京音楽祭世界大会 (※過去ログより)についての特集号である、カナダの「Fan Club International René & Nathalie Simard」の会誌「MAGAZINE RENÉ ET NATHALIE」Vol.1No.1、1983年夏号の10ページから12ページに掲載された、ルネがデビューした1970年から1983年までのキャリアについて書かれた記事の中編、ルネのアメリカとフランス、英語圏のカナダでの活動の様子です。
今それを要求しているのはフランスです。ルネはパリのオランピアでデビューしました。批評家たちは一致して、それは現象であると述べています。彼は「MAMAN, LAISSE-MOI SORTIR CE SOIR ママ、今夜遊びに出かけてもいい」という曲でまたしてもゴールドディスクを達成しました。
1976年 - 彼はアメリカで運試しをすることを決意しました。彼は、マイク・ダグラス Mike Douglas、 マーヴ・グリフィン Merv Griffin、 ハワード・コッセル Howard Cosell など、最も人気があり評価の高い番組に出演しています。彼はボブ・ホープ Bob Hope、フレディ・プリンツェ Freddie Prinze、ビング・クロスビー Bing Crosbyと共演した特別番組にも出演しました。
ルネは自分の能力をすべて完璧にし、最大限に活用するために、ますます努力しなければなりませんでした。そこで彼は英語力を向上させる必要があり、非常に評判の良い学校で授業を受けるほか、他でもないセス・リッグス Seth Riggsによる発声練習のクラスも受講していました。
ルネは完璧主義者で、ショービジネスの中心地で8か月間懸命に働きました。
彼の努力のおかげで、リクエストはすぐに届きました。ジャック・ヘイリー・ジュニア Jack Haley Jr. が会長を務める20世紀フォックス(20世紀スタジオ )は、サンディ・ダンカン Sandy Duncunとダイアン・キャロル Diahann Carroll をゲストに迎えた「Rene Simard Super Kid ルネ・シマール・スーパーキッド」と題した特別番組を制作する機会を彼に提供しました。この番組はカナダの英語圏で大ヒットしました。ルネ・シマールはスーパーキッド(スーパー・チャイルド)。今回もまた、彼についての我々の予想は間違っていませんでした。
幸運が彼を追いかけます。 1976年末、世界的に有名なピアニスト、リベラーチェ LIBERACEが、ルネにラスベガスの有名なヒルトンで 2 か月間歌うよう依頼しました。ルネは、エルヴィス・プレスリー Elvis Presley、オズモンド・ブラザーズ The Osmond Brothers、フランク・シナトラ Frank Sinatra、そして芸術界の大物たちと同じ舞台で歌うことを知り、感激しながら依頼を受け入れました。リベラーチェ LIBERACEは、ルネがこのツアーに注いだ活力と献身をすべて認め、フロリダ、アリゾナ、レイク・タホの4か月間のツアーにルネを連れて行くことを決めました。ルネは、リベラーチェ LIBERACEのような経験豊富で才能のある人物と一緒に仕事ができることにいつも感銘を受けています。
ケベックに戻って、私たちは州内を巡るツアーを企画していました。彼は、今の彼を形作ったのと同じケベックの聴衆に会えてとても幸せでした。
イギリスの放送局CBCは、アラン・シック Alan Thickeがプロデュースしてバンクーバーで収録された「The Rene Simard Show ルネ・シマール・ショー」と題された全26回のシリーズをルネに提供しました。この番組はカナダ全土で放送されてから3か月が経過した現在、視聴率1位を維持しています。テスト契約は2年目に更新され、相変わらず人気を保っています。彼はピーター・ユスティノフ Peter Ustinov、アンディ・ウィリアムス Andy Williams、シカゴ Chicago、ベイ・シティ・ローラーズ Bay City Rollers、メリサ・マンチェスター Melissa Manchester、フィリス・ディラー Phillis Diller、チャロ Charo、レイフ・ギャレット Leif Garett、ホセ・フェリシアーノ Jose Feliciano、ヴァレリー・ハーパー Valerie Harper など、カナダとアメリカの大物アーティストの司会を務めてきました。
バンクーバーに滞在した後、彼はケベックに戻り、芸術劇場 la Plas des Artsで私たちにクリスマスをプレゼントしてくれました。この素晴らしい時間を記念して、彼は何千もの色の噴水「Les Dancing Waters ダンシングウォーター」をラスベガスから直接持ち帰りました。レビューはとても良いです。このショーは満席の観客の前で上演されました。
1979年に、彼は18 歳で、特別なLP 18 ans déjà を録音し、非常に印象的な芸術的経歴を積み上げました。同年、ユニセフのキャンペーンが始まり、彼はこの活動への参加を記念して、妹のナタリーと共に「Tous les enfants du monde 世界のすべての子供たち」と題した45回転レコードを録音しました。すべての利益はユニセフに寄付されました。彼は心の優しい人であり、私たちが彼を必要とするときにはそこにいてくれることを証明しています。
次回は後編、1979年から1983年までのルネのキャリアについてです。
話は変わりますが、ブログのお引越しについては、引っ越すブログサイト等、まだ何も決めておりません。それよりも6月10日の「ブログ開設記念日」と6月30日の「ルネ記念日」を迎える方が最優先です! 10月1日にブログ記事の投稿及び編集機能が停止されるため、7月以降、引越しデータ作成に入ろうと思っています。teacupからの引っ越し経験があるので、慌てず計画的に進めたいと思います。
ルネ・ファンになって51年、ブログを開設して20年を迎える私にとって、当ブログでルネについて書くことは既にライフ・ワーク(^^♪ ルネ・ブログ運営は「ルネ活」であり、毎日記事の内容を考えてパソコンと格闘することはボケ防止(笑)になっていますので、ブログの引っ越しなどで挫けません!! たとえそれが単なる自己満足だったとしても、私自身が楽しめていればそれで良いのです。収益を求めない、私にとっての永遠のアイドル、ルネ・シマールの情報発信のためのブログですので、ルネ友のみなさま、今後ともどうぞよろしくお願いいたします
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