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ミドリ色の屋根は永遠に~René Simardに首ったけ~

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ルネとナタリーのファン・クラブ会誌:東京音楽祭特集号④

2025年04月26日 | ルネ・シマール物語

 今日は定例のゴールデンウイーク・オフ会です(^^♪

 今年のゴールデンウイークは、カレンダー通りですと5月の4連休がまとまって休めるかな・・・という感じで、そんなにお得感(?)はありませんが、最長で11日間の長期休暇を取られる方もいらっしゃるようですね。現在専業主婦のシマ姉は、毎日がお仕事でもお休みでもあり、祝日はお祝い料理を、息子が出勤の日はお弁当を作るくらいの違いしかありません(笑)。ですので今日は、家族の食事を準備して出かける「主婦の休日」です

 

 

 そして今回は、第12回東京音楽祭世界大会 (※過去ログより)についての特集号である、カナダの「Fan Club International René & Nathalie Simard」の会誌「MAGAZINE RENÉ ET NATHALIE」Vol.1No.1、1983年夏号の10ページから12ページに掲載された、ルネがデビューした1970年から1983年までのキャリアについて書かれた記事の中編、ルネのアメリカとフランス、英語圏のカナダでの活動の様子です。

 

 

 今それを要求しているのはフランスです。ルネはパリのオランピアでデビューしました。批評家たちは一致して、それは現象であると述べています。彼は「MAMAN, LAISSE-MOI SORTIR CE SOIR ママ、今夜遊びに出かけてもいい」という曲でまたしてもゴールドディスクを達成しました。

 1976年 - 彼はアメリカで運試しをすることを決意しました。彼は、マイク・ダグラス  Mike Douglas、 マーヴ・グリフィン Merv Griffin、 ハワード・コッセル Howard Cosell など、最も人気があり評価の高い番組に出演しています。彼はボブ・ホープ Bob Hope、フレディ・プリンツェ Freddie Prinzeビング・クロスビー Bing Crosbyと共演した特別番組にも出演しました。

 ルネは自分の能力をすべて完璧にし、最大限に活用するために、ますます努力しなければなりませんでした。そこで彼は英語力を向上させる必要があり、非常に評判の良い学校で授業を受けるほか、他でもないセス・リッグス Seth Riggsによる発声練習のクラスも受講していました。

 ルネは完璧主義者で、ショービジネスの中心地で8か月間懸命に働きました。

 彼の努力のおかげで、リクエストはすぐに届きました。ジャック・ヘイリー・ジュニア Jack Haley Jr. が会長を務める20世紀フォックス(20世紀スタジオ )は、サンディ・ダンカン Sandy Duncunとダイアン・キャロル Diahann Carroll をゲストに迎えた「Rene Simard Super Kid ルネ・シマール・スーパーキッド」と題した特別番組を制作する機会を彼に提供しました。この番組はカナダの英語圏で大ヒットしました。ルネ・シマールはスーパーキッド(スーパー・チャイルド)。今回もまた、彼についての我々の予想は間違っていませんでした。

 幸運が彼を追いかけます。 1976年末、世界的に有名なピアニスト、リベラーチェ LIBERACEが、ルネにラスベガスの有名なヒルトンで 2 か月間歌うよう依頼しました。ルネは、エルヴィス・プレスリー  Elvis Presleyオズモンド・ブラザーズ  The Osmond Brothersフランク・シナトラ Frank Sinatra、そして芸術界の大物たちと同じ舞台で歌うことを知り、感激しながら依頼を受け入れました。リベラーチェ LIBERACEは、ルネがこのツアーに注いだ活力と献身をすべて認め、フロリダ、アリゾナ、レイク・タホの4か月間のツアーにルネを連れて行くことを決めました。ルネは、リベラーチェ LIBERACEのような経験豊富で才能のある人物と一緒に仕事ができることにいつも感銘を受けています。

 

 

 ケベックに戻って、私たちは州内を巡るツアーを企画していました。彼は、今の彼を形作ったのと同じケベックの聴衆に会えてとても幸せでした。

 イギリスの放送局CBCは、アラン・シック Alan Thickeがプロデュースしてバンクーバーで収録された「The Rene Simard Show ルネ・シマール・ショー」と題された全26回のシリーズをルネに提供しました。この番組はカナダ全土で放送されてから3か月が経過した現在、視聴率1位を維持しています。テスト契約は2年目に更新され、相変わらず人気を保っています。彼はピーター・ユスティノフ Peter Ustinovアンディ・ウィリアムス  Andy Williamsシカゴ Chicagoベイ・シティ・ローラーズ Bay City Rollersメリサ・マンチェスター  Melissa Manchesterフィリス・ディラー Phillis Diller、チャロ Charoレイフ・ギャレット Leif Garettホセ・フェリシアーノ Jose Feliciano、ヴァレリー・ハーパー Valerie Harper など、カナダとアメリカの大物アーティストの司会を務めてきました。

 バンクーバーに滞在した後、彼はケベックに戻り、芸術劇場 la Plas des Artsで私たちにクリスマスをプレゼントしてくれました。この素晴らしい時間を記念して、彼は何千もの色の噴水「Les Dancing Waters ダンシングウォーター」をラスベガスから直接持ち帰りました。レビューはとても良いです。このショーは満席の観客の前で上演されました。

 1979年に、彼は18 歳で、特別なLP 18 ans déjà を録音し、非常に印象的な芸術的経歴を積み上げました。同年、ユニセフのキャンペーンが始まり、彼はこの活動への参加を記念して、妹のナタリーと共に「Tous les enfants du monde  世界のすべての子供たち」と題した45回転レコードを録音しました。すべての利益はユニセフに寄付されました。彼は心の優しい人であり、私たちが彼を必要とするときにはそこにいてくれることを証明しています。

 

 

 次回は後編、1979年から1983年までのルネのキャリアについてです。

 

 話は変わりますが、ブログのお引越しについては、引っ越すブログサイト等、まだ何も決めておりません。それよりも6月10日の「ブログ開設記念日6月30日の「ルネ記念日を迎える方が最優先です! 10月1日にブログ記事の投稿及び編集機能が停止されるため、7月以降、引越しデータ作成に入ろうと思っています。teacupからの引っ越し経験があるので、慌てず計画的に進めたいと思います。

 ルネ・ファンになって51年、ブログを開設して20年を迎える私にとって、当ブログでルネについて書くことは既にライフ・ワーク(^^♪ ルネ・ブログ運営は「ルネ活」であり、毎日記事の内容を考えてパソコンと格闘することはボケ防止(笑)になっていますので、ブログの引っ越しなどで挫けません!! たとえそれが単なる自己満足だったとしても、私自身が楽しめていればそれで良いのです。収益を求めない、私にとっての永遠のアイドル、ルネ・シマールの情報発信のためのブログですので、ルネ友のみなさま、今後ともどうぞよろしくお願いいたします

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ルネとナタリーのファン・クラブ会誌:東京音楽祭特集号③

2025年04月20日 | ルネ・シマール物語

今日はイースター

 日本ではあまり馴染みはありませんが、キリストの復活を祝う行事(復活祭)です。「Joyeuses Pâques」は仏語で言う「Happy Easter」。

 ちなみに先週の4月13日(土)は、パームサンデーという復活祭一週間前の祭日で、この日はイエスがエルサレムに入城した日のため、キリスト教会では特別なミサが行われるのだそうです(キリスト教豆知識)。

 

 

 前回の投稿があまりにもギリギリだったことを反省して、予約投稿の画像の取り込みと翻訳を進めていたところ、つい遊び(逃避行動ともいう  笑)に没頭し過ぎて出来上がった産物が、facebookルネ・ファン・グループ「Condor, c'est toi:pour René Simard に向けて作ったイースターのメッセージです ケベックシティのシャトー・フロントナックを背景に、大きなイースターエッグと1974年当時のルネが11人いる夢の世界 稚拙な画像処理については、可愛いルネに免じて大目に見てやってくださいね~!

 

 

 そして今回から、第12回東京音楽祭世界大会 (※過去ログより)についての特集号である、カナダの「Fan Club International René & Nathalie Simard」の会誌「MAGAZINE RENÉ ET NATHALIE」Vol.1No.1、1983年夏号の10ページから12ページに掲載された、ルネがデビューした1970年から1983年までのキャリアについて書かれた記事を、前中後編に分けて紹介いたします。前編はルネのデビューから日本での活動までの内容です。

 

 

RENÉ  SIMARD

 この最初の出版を機に、私たちはルネの完全な経歴をお届けしたいと考えました。そこで、多くのファンの願いに応えて、彼の魅惑的な人生の展開を皆さんにご紹介したいと思います。

 

 

 ルネ・シマールは1961年2月28日にシクーティミで生まれました。彼の家族は3人の兄弟と3人の姉妹で構成されています。

 プティ・シマールの将来が形作られたのは、9歳のとき、ケベックのテレビでアマチュア・コンクールに出場していたときでした。ルネは「Ave Maria アヴェ・マリア」を歌ってこのコンクールで一等賞を受賞しました。ギィ・クルティエの母親は、この9歳の少年の歌を聴きに来るよう息子を説得しました。母親はルネを「現象」と評しました。

 ルネ・シマールにとって、素晴らしい夢が実現しました。彼は「L'Oiseau 鳥 」と題した45回転レコードを録音しました。 175,000枚を売り上げ、あらゆる意味で成功を収めました。その後、最初のLP「L'oiseau 鳥」がリリースされ、予想外の成功を収めました。このアルバムはケベック州でビートルズ、エルヴィス・プレスリー、そしてすべてのカナダ人歌手の売り上げを上回りました。

 ギィ・クルティエはこのケベック出身の若き天才に全幅の信頼を寄せ、2枚目のLP「Ave Maria アヴェ・マリア」を録音しました。彼にとってもう一つの名誉となる記録でした。

 Place des Arts 芸術劇場も同様でした。 9歳のとき、彼はこの若さで、この大きな舞台と、彼に勝利の歓迎しか与えない大観衆に直面した最初の一人となりました。ルネ・シマールはケベックの寵児となったのです。

 1972年と1973年、ルネは新しい仕事と学業を両立し続けました。ケベック州のあらゆる場所からリクエストが来ていました。ケベック州の人々はプティ・シマールを選びました。人々は州内を巡るツアーに行きました。テレビ、ラジオ、新聞など、あらゆるところでルネ・シマールのことを目にしたり耳にしたりしました。

 しかし、ルネ・シマールは多芸多才でした。同年、彼は俳優になりました。映画業界が彼に興味を持ち、有名なプロデューサーのDenis Héroux ドゥニ・エルーも彼を探しに来て、「Un Enfant Comme Les Autres 普通の子供」と、Dominique Michel ドミニク・ミシェルやJean Lefebvre ジャン・ルフェーブルらと共演した「J'ai mon voyage !   僕には僕の旅がある」の2本の映画を撮影することを決めました。これら2本の映画は大成功を収め、ルネ・シマールの才能が再び認められました。

 1974年、日本の東京で大規模な歌謡祭が開催されました。ルネ・シマールは「ミドリ色の屋根」という曲でカナダ代表に選ばれました。このコンテストには、Three Degrees スリー・ディグリーズ を含む数人のスターが参加しました。彼は最優秀歌手に贈られるFRANK SINATRA フランク・シナトラ 賞に加え、演奏部門でも最優秀賞を受賞し、カナダに名誉をもたらしました。FRANK SINATRA フランク・シナトラ は自ら彼にトロフィーを贈呈し、豪華な時計も添えてこう言いました。「ルネ、大人にならないで(そのままでいて)」。ルネは12歳なのに感情が強すぎて涙が出ました。彼にとってそれは人生で最も美しい日でした。

※第3回東京音楽祭世界大会の時、ルネは13歳でした。「12歳」は会誌の間違い。

 音楽祭の翌日、ルネは日本でスーパースターになっていました。彼の写真はどの雑誌にも掲載されており、ジャーナリストたちは彼をめぐって争っていました。ルネ・シマールの写真とともに、ありとあらゆる「商品」を披露しました。彼は日本全国でコンサートを行っており、どこでも聴衆は熱狂的になっていました。ルネはフランス語と日本語で歌いました。彼の最初の日本のアルバムはゴールドディスクを獲得し、その後も驚異的な売上によりさらにいくつかのゴールドディスクを獲得しました。 1975年に彼は再び日本を訪れ、コンサート・ツアーを開催しました。

 Laurent Larouche ローラン・ラルーシュは、この素晴らしいイベントの映像「René Simard au Japon」を制作しました。ケベックに到着すると、彼は意気揚々と歓迎されました。プティ・シマールを祝福するために各地からバスが空港に到着しました。

 

 次回は中編、フランス、アメリカ、そして英語圏のカナダでの活動についてのページです。

 

 話は個人的なことになりますが、先月の初めに「中華人民共和国 内蒙古省赤峰市(中国内モンゴル自治区東南部の都市)」から電話があった話をしました。

 そして今度は、電話番号が県庁所在地の市外局番で始まる1110から固定電話に電話が入りました。番号を見て、ついに我が家にも、最近テレビで注意喚起されている、警察を装った電話から始まる劇場型詐欺グループから電話が来た~~っっ!(^^♪・・・と、警戒して出ませんでした。メッセージも残されなかったし、再度電話も有りませんでした。

 騙されたふりをして応対しながら、主人にスマホで地元の警察に連絡してもらったらよかったかな・・・と思いながら、一応電話番号をネット検索したら、県警の犯罪抑止対策本部からの注意喚起電話でした(笑)。電話帳に記載されていたり(多分うちはこれ)、詐欺犯人から押収した名簿に有った電話が架電対象だそう。民間企業に業務委託されていたりするので、おばさんに一方的に話されたり、「知らない番号に出たら、詐欺電話の可能性もあるでしょう★」と言われて不快な思いをした人もいるようでした。電話に出なくてよかった~! ましてや地元の警察に通報しなくてよかった~!!(本気で報告する気でいて、主人に止められていました 笑) 

 ルネ友のみなさまも、知らない電話番号には十分お気を付けくださいね!

 

<緊急報告>

 goo blogサービスが11月18日(火)で終了することになりました!

 2022年8月1日にteacupから引越して、ブログ開設20周年を迎える今年、またまたブログお引越しです★ 「引越しデータ作成」機能提供が4月18日から開始されています。引越し先は「はてなブログ」と「Amebaブログ」が準備されていますが、どちらにするか調べているところです。サービス終了までまだ7か月弱時間が有るので、取りあえず、6月10日の「ブログ開設記念日6月30日の「ルネ記念日を迎えてから、どちらにするか決めたいと思っています。

 まだまだブログ仕舞いはしませんよ! ルネ活」は永遠に!!

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ルネとナタリーのファン・クラブ会誌:東京音楽祭特集号②

2025年04月12日 | ルネの活動記録

 やっと春らしい陽気になったと思ったら春の嵐。雷雨や雹で散った桜の花びらが川面や歩道にたまって流れていく花筏(はないかだ)が見られました

 庭の花壇では、冬越ししたビオラとカレンジュラ(『冬知らず』寒咲きキンセンカ)、ムスカリとスイセン、今年植えたノースポールやデイジー等の花々が咲き乱れ、梅が終わってハナカイドウやボケの花が咲き始めました。雨が降ると途端に草木が一斉に芽を出し、あっという間に野の草花が庭を埋め尽くしてしまいます。この時期、花粉症の義父と主人を当てにしないで、毎日少しずつ除草作業に勤しむ私のすぐ横では、愛猫ミイ姐御がボディーガードよろしくニャルソック(笑)しています。雨が降った早朝は草むしり日和。少々筋肉痛気味ですが、今週末も続けて頑張ります !

 

 そして今回は、第12回東京音楽祭世界大会 (※過去ログより)についての特集号である、カナダの「Fan Club International René & Nathalie Simard」の会誌「MAGAZINE RENÉ ET NATHALIE」Vol.1No.1、1983年夏号の8ページと9ページの記事を紹介いたします。

 

 

DERRIÈRE LE RIDEAU カーテンの裏側

 ショーやテレビでルネとナタリーを見たとき、彼らが舞台の外でどんな仕事をしているのか想像できないことがよくあります。これらの写真を通して、魅力的でありながら理解しにくい、この世界の別の側面を発見することができます。私たちと一緒に『カーテンの裏側』へ行きましょう。

上段左:前回の日本訪問中、ナタリーは屋外でのテレビ撮影に参加しました。

 上段右:スタジオでレコーディングセッション中のナタリー。

 中段左:日本人指揮者とのリハーサル。(※『5月の手紙』の作曲者 都倉俊一氏)

 中段右:東京でもルネはファンに囲まれています。彼は喜んでサインをしてくれます。

 下段左:ルネと Louise Lapierre ルイーズ・ラピエールのダンサーたちは難しい振り付けに取り組んでいます。

 下段右:芸術劇場でリハーサル中のルネとナタリー。

 

▲9ページの記事

                           ▲16ページの折り込みピンナップ

氏:シマール

名:ナタリー

生年月日:1969年7月7日

婚姻状況:独身

両親:ジャン=ロックとガブリエル

兄弟姉妹:オデット、リン、マルタン、レジス、ジャン=ロジェ、ルネ

父親の仕事:コック

身長:5フィート2インチ

重量:100ポンド

髪の色:栗色

星座:蟹座

迷信:なし

好きな飲み物:フルーツジュース

好きな料理:スパゲッティチキン

好きな香水:彼女の母親のもの

好きなスポーツ:スキー、水泳、ローラースケート

好きな男性歌手:Lionel Ritchie ライオネル・リッチーと兄のルネ

好きな女性歌手:Olivia Newton John オリビア・ニュートン=ジョンChantal Pary シャンタル・パリー

好きな男優:Christopher Atkins クリストファー・アトキンズ

好きな女優:Brooke Shields ブルック・シールズ

好きな季節:

好きな月:7月

好きな曜日:金曜日

好きなペット:

恐怖症:クモ

野望:常に学ぶこと

長所:社交的

短所:食いしん坊

趣味:絵を描くこと

 

                          ▲17ページの折り込みピンナップ

氏:シマール

名:ルネ

生年月日:1961年2月28日

婚姻状況:独身

両親:ジャン=ロックとガブリエル

兄弟姉妹:オデット、リン、マルタン、レジス、ジャン=ロジェ、ナタリー

父親の仕事:コック

身長:5フィート10インチ

体重:148ポンド

髪の色:褐色

星座:魚座

迷信:ロッジで口笛を吹くこと(※YouTube「夜は口笛を吹くな カナダの迷信」参照)

好きな飲み物:ワイン

好きな料理:イタリア料理

好きな香り:タバコ

好きなスポーツ:スキー、水泳、テニス

好きな男性歌手:Sammy Davis サミー・デイヴィスJr.

好きな女性歌手:Dionne Warwick ディオンヌ・ワーウィックDiane Dufresne ディアンヌ・デュフレーヌ

好きな男優:Dustin Hoffman ダスティン・ホフマン

好きな女優:Geneviève Bujold ジュヌヴィエーヴ・ビュジョルド

好きな季節:すべて

好きな月:12月

好きな曜日:12月25日?

好きな動物:コアラ

恐怖症:クモ

野望:常に歌うこと

長所:正直

短所:短気

趣味:体力づくり

 

 

 今年の6月10日でブログ開設20周年を迎えるにあたり、ルネ・コレクションの中からどれを翻訳し、どう計画的に紹介するか、迷ったまま現在に至ります。ルネがデビュー50周年を迎え、記念誌やCDを紹介していた頃は、数か月分の記事を予約投稿していました。しかしこの記事は、どう割り振ろうか悩んでいて、投稿予定時間ギリギリに仕上げたものです。しかも投稿後まだ調整中(汗)! そんな訳で、今回はサックリした記事になりました(本当はこれ位が丁度良い? それよりも言い訳が長い? 笑)。

 次回は、このファン・クラブが設立された1983年当時までの、ルネのキャリアについて書かれた10~12ページ目の記事を紹介する予定です。ルネがデビューして13年目なので、50周年記念誌では省略されていたかもしれない、日本のファンが知らない内容が含まれていることを期待しています♪ ちなみに、掲載された写真と解説をブログ記事の内容に合わせて紹介してきた、デビュー25周年記念誌バシャン姉妹の本も腰を据えて翻訳していく予定です。

 

 関東地方は今週末がお花見の最後のチャンス?! ルネ友のみなさまも素敵な週末をお過ごしください

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ルネとナタリーのファン・クラブ会誌:東京音楽祭特集号①

2025年04月06日 | ルネの活動記録

 4月に入り、学校は来週から新学期を迎えます。

 そして今から50年前、ルネは1975年3月19日から4月12日まで、「君のすべてがほしい 」のプロモーションと全国縦断スプリング・コンサートルネ・オン・メロディ」の劇場あいさつ やメープル・メイツの集い 」のために4回目の来日をしました。ちなみに、3月6日は倉敷コンサート(倉敷市民会館)、7日は東京コンサート( 神田共立講堂)、8日は札幌コンサート( 札幌厚生年金会館大ホール)が開催されました。

 

▲ルネ・シマール・ファン・クラブ「メープルメイツ」の会報№3より

                    

 また、今から42年前の1983年3月27日に、第12回東京音楽祭世界大会(※Wikipediaより)が日本武道館で開催され、ルネと妹ナタリー・シマールがプレゼンターとして招かれました。

 ルネの再来日を熱望するファンの署名活動によって実現したものと、共に署名活動を行った友人と諸手を挙げて歓喜していましたが、この来日の本来の目的が、ルネの妹ナタリー・シマールの日本デビューであったことを知ったのは、それからずっと後のことでした。この来日時、ナタリーはいくつものTV番組に出演して「5月の手紙」を歌いましたが、ルネはナタリーと一緒に「ミドリ色の屋根」を歌っただけでした(※Youtube映像「René & Nathalie in Japan」でご覧ください)。また、ルネが第3回東京音楽祭 に出場する前に、何週にも渡って「週刊セブンティーン」で組まれていたのような大々的な特集もありませんでした。

 今回は、日本ではあまり大きく取り上げられていなかった、第12回東京音楽祭世界大会 (※過去ログより)についての特集号である、カナダの「Fan Club International René & Nathalie Simard」の会誌「MAGAZINE RENÉ ET NATHALIEVol.1No.1、1983年夏号を紹介いたします。

 

▲表紙 ▼2ページと3ページ(目次)

 このレビューは、ルネ&ナタリー・ファン・クラブの会員向けに特別に作成されました。それぞれのキャリアについて、できるだけ多くの情報をお届けできればと思っています。

 あなただけのために作成された独占写真、記事、特別プロモーションを提供します。会員カードの有効期間中、定期的に『Magazine René et Nathalie』をお届けします。私たちは、この方法で会員の皆様のご要望にお応えし、皆様の完全なご満足を実現したいと考えています。

 ご意見、ご質問、ご感想がございましたら、この雑誌に何度か掲載されているファン・クラブのアドレスまで、お気軽にお寄せください。

 皆様が楽しく幸せな読書をされることを願っています。

Jean Pilote ジャン・ピロトゥ

President FAN CLUB RENÉ ET NATHALIE ルネ&ナタリー・ファン・クラブ会長

 

▲ルネとナタリーのファンクラブのオフィスにて、ジャン・ピロトゥ、パトリシア・ボワヴァンとニコル・フェラン(バシャン姉妹の本より)

 

左頁:ファン・クラブに送られてきた会員からのファンレター紹介

 

RENÉ ET NATHALIE AU JAPON 日本でのルネとナタリー

The 12th Toyko Music Festival 第12回東京音楽祭

 若さと才能を組み合わせると、必然的にルネとナタリー・シマールの名前が浮かび上がります。彼らはどこへ行っても、群衆の熱狂を呼び起こしました。彼らの成功への道はアジアまで広がっています。

 日本人は彼らを歓迎しただけでなく、レッドカーペットを敷いて歓迎しました。

 

左頁上:ナタリーは優勝者の Lionel Ritchie ライオネル・リッチーにトロフィーを授与しました。

 左頁下:フランスの歌手 Sylvie Valtan シルヴィ・ヴァルタンもこのイベントのために東京を訪れてました。

 右頁上段:(左)ルネとナタリー、そして、フェスティバルのゲストアーティストとして人気の Barry Manilow バリー・マニロウ 。 (右)ルネとナタリーは、フェスティバルに参加していた  Connie Stevens コニー・スティーブンスNancy Wilson ナンシー・ウィルソン に会って楽しい時間を過ごしました。

 右頁中段:Joe Cocker ジョー・コッカー と彼のパートナーも、フェスティバル後のレセプションにルネとナタリーと一緒に出席しました。

 右頁下段:Gregory Peck グレゴリー・ペック と彼の魅力的な妻は、ルネとナタリーにとても感銘を受けました。

 

 3月21日、ルネとナタリーは第12回東京音楽祭世界大会が開催されている東京へ飛びました。この時、彼らにはマネージャーのギ・クルーティエと彼の友人ジョスリン・ベルジェロンが同行していました。

 ルネにとって、今回の日本への旅は帰国の旅でした。 1974年に彼が権威あるフェスティバルで優勝し、驚異的な成功を収めたことを私たちは皆覚えています。ナタリーにとって、それは「日の出ずる国」への2度目の旅でした。1月に彼女は東京に行き、ALPHAレコードから「La Mer, Ma Mère 」(海の中のあなたへ)と題した日本語の初の45回転(シングル)レコードを録音しました。

 二人とも力強い復帰でした! 12本のTV番組と日本限定LPです。ルネはこの長い活動で3曲に参加し、ケベックでは、間もなくリリースされる予定の45回転レコードで、彼らが一緒に演奏する日本の曲を聴く機会がすぐに訪れる可能性が大いにあります。

 いいえ、日本人はルネを忘れていませんでした。約8年間の不在の後、彼らはそれを再発見して驚きました。12年間の経験を積んだ彼は、これまで以上に決意が固く、生き生きとしていて、才能にあふれていることがわかりました。到着からわずか2日後、彼はすでに東京のメインストリートである銀座でファンに囲まれていました。

 ナタリーが名声を得るまでにそれほど時間はかかりませんでした。彼女の45回転レコードはすでに日本のレコード店すべてで販売されており、日本人はそれを大いに愛しています。数週間ですでに20万枚以上売れました。冒険はまだ終わっていません。

 3月26日の夜、有名な「東京音楽祭世界大会」が開催され、ルネとナタリーが主賓として出席しました。参加者には、Lionel Ritchie ライオネル・リッチーJoe Cocker ジョー・コッカー Jennifer Warnes ジェニファー・ウォーンズ Connie Stevens コニー・スティーブンスHerbert Léonard エルベール・レオナール、Nancy Wilson ナンシー・ウィルソンが含まれ、Barry Manilow バリー・マニロウが特別ゲストでした。コンテストの最後に、ルネとナタリーは、武道館に集まった3,000万人以上の視聴者と15,000人の観客の前で、Lionel Ritchie ライオネル・リッチーに最優秀賞を授与しました。すべては、9年前にルネ自身が優勝したのと同じステージで行われました。

 フェスティバルの締めくくりとして、ルネとナタリーは、毎年このイベントに集まる観客の拍手を受けながら、1974年のグランプリ受賞曲「ミドリ色の屋根(※Youtube映像「René & Nathalie in Japan」)」を披露しました。

 9月には再び日本に戻ってくる予定で、ルネとナタリーは日本の主要都市で一連のショーを行う予定です。

 彼らがこれまで常に素晴らしい成績を残してきたように、彼らが自国を誇らしくしてくれることは間違いありません。

 ギイ・クルーティエにとって、これはルネとナタリーが人口1億1,800万人の日本という巨大な市場に参入することを可能にするもう一つの傑作です。記事は終わりに近づいていますが、私たちは無限の自信とある種の熱意を持って続編を待っています。

 

 この記事を訳して初めて、ナタリーが1983年1月にレコーディングのために来日していたこと、さらにルネとナタリーが9月に再来日してショーを行う計画があったことを知りました。それから、この来日中にルネが参加したという3曲は何だったのか、それがどうなったのか気になります。もしかすると、ナタリーのファースト・アルバムに収録する曲だったのかもしれません。

 同年12月に発売される予定だったナタリーのファースト・アルバム(※過去ログ「幻になったナタリーの日本のアルバム 」参照)は、発売延期の末に発売中止となってしまいました。残念ながらナタリーは、ルネが1974年の第3回東京音楽祭世界大会でグランプリとフランク・シナトラ賞を受賞したことによって、世界から注目を集めたような、衝撃的なデビューを果たすことは出来なかったのです。日本でのデビュー曲『5月の手紙』が思ったほど売れなかったために、アルバムの発売も中止になったのでしょう。ルネ友のみなさまもご存じのとおり、『5月の手紙 = Boy』は後に歌詞を変え、TVアニメ『光の伝説 』のオープニング曲『ハートの季節 』として伊藤つかさ が歌いました。

 

▲1983年に「週刊セブンティーン」に掲載されたナタリーの紹介記事

 

 上の記事の内容をルネとナタリーは知っているのでしょうか? ルネについてもあまり好意的な書き方がされていません。1974年に何週にも渡ってルネの特集記事を紹介していた同じ雑誌とは思えない書き方をしています。この当時は『竹の子族』やツッパリがもてはやされ、アイドルも『普通の女の子』の全盛期でしたし、ルネをあまり知らない世代の記者が書いたのでしょうか? また、東京音楽祭のインタビューで、ナタリーをPRする目的だったのでしょうけれど、一緒にいるルネ本人の前で「とっくにお兄さんを超えている」と言ったレポーターに、私を含めたルネ・ファンの中にはムッとした方もいらっしゃったのではないかと思います。

 1974年当時からのルネ・ファンの期待は外れ、素敵な青年に成長したルネも、ルネそっくりのナタリーも日本で活動することはありませんでした。カナダでは、ルネとナタリーが日本で活躍することを期待していたことが、今回紹介したファン・クラブの会誌で分かっただけに残念でなりません。

 さらにルネが25歳の時には、「今夜だけ復活!栄光のアイドルスター達」と題したバラエティー番組の出演依頼でルネは来日していました。この時ケベックでは、「日本人はルネを忘れていなかった」と題した記事が芸能新聞に掲載され、ルネもナタリーとのデュエット曲を引っ提げて来日していました。しかし、ルネは1974年当時のことを紹介され、「ミドリ色の屋根 」を歌っただけでした。

 

▲「エルヴィス・ストーリー」の来日時、向かって左からプロデューサーのジャン・ピロトゥ、エルヴィス役のマルタン・フォンテーヌと舞台監督のルネ

 

 そのこともあって、ミュージカル「エルヴィス・ストーリー」の舞台監督として来日したのは別として、ルネが日本に来ることは無いのだろうと思っていました。でも、昨年の11月に、ルネが妻マリー=ジョゼと日本にプライベートで旅行をし、ルネが今でも日本のことを大切に思ってくれていることを知って、本当に嬉しく思いました

 

▲ルネの日本旅行(2024年11月)の記事より

 

 今回は当時の想い出まで語ってしまい、盛りだくさんな内容になってしまいました(笑)。文中のリンクも参考にしていただければ幸いです♪

 回はカナダの「Fan Club International René & Nathalie Simard」の会誌「MAGAZINE RENÉ ET NATHALIE」Vol.1No.1、1983年夏号から、ルネとナタリーの日本での活動の様子を紹介いたします(^^♪

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