今日はイースター


日本ではあまり馴染みはありませんが、キリストの復活を祝う行事(復活祭)です。「Joyeuses Pâques」は仏語で言う「Happy Easter」。
ちなみに先週の4月13日(土)は、パームサンデーという復活祭一週間前の祭日で、この日はイエスがエルサレムに入城した日のため、キリスト教会では特別なミサが行われるのだそうです(キリスト教豆知識)。

前回の投稿があまりにもギリギリだったことを反省して、予約投稿の画像の取り込みと翻訳を進めていたところ、つい遊び(逃避行動ともいう 笑)に没頭し過ぎて出来上がった産物が、facebookのルネ・ファン・グループ「Condor, c'est toi:pour René Simard 」に向けて作ったイースターのメッセージです
ケベックシティのシャトー・フロントナックを背景に、大きなイースターエッグと1974年当時のルネが11人いる夢の世界
稚拙な画像処理については、可愛いルネに免じて大目に見てやってくださいね~!

そして今回から、第12回東京音楽祭世界大会 (※過去ログより)についての特集号である、カナダの「Fan Club International René & Nathalie Simard」の会誌「MAGAZINE RENÉ ET NATHALIE」Vol.1No.1、1983年夏号の10ページから12ページに掲載された、ルネがデビューした1970年から1983年までのキャリアについて書かれた記事を、前中後編に分けて紹介いたします。前編はルネのデビューから日本での活動までの内容です。



RENÉ SIMARD
この最初の出版を機に、私たちはルネの完全な経歴をお届けしたいと考えました。そこで、多くのファンの願いに応えて、彼の魅惑的な人生の展開を皆さんにご紹介したいと思います。

ルネ・シマールは1961年2月28日にシクーティミで生まれました。彼の家族は3人の兄弟と3人の姉妹で構成されています。
プティ・シマールの将来が形作られたのは、9歳のとき、ケベックのテレビでアマチュア・コンクールに出場していたときでした。ルネは「Ave Maria アヴェ・マリア」を歌ってこのコンクールで一等賞を受賞しました。ギィ・クルティエの母親は、この9歳の少年の歌を聴きに来るよう息子を説得しました。母親はルネを「現象」と評しました。
ルネ・シマールにとって、素晴らしい夢が実現しました。彼は「L'Oiseau 鳥 」と題した45回転レコードを録音しました。 175,000枚を売り上げ、あらゆる意味で成功を収めました。その後、最初のLP「L'oiseau 鳥」がリリースされ、予想外の成功を収めました。このアルバムはケベック州でビートルズ、エルヴィス・プレスリー、そしてすべてのカナダ人歌手の売り上げを上回りました。
ギィ・クルティエはこのケベック出身の若き天才に全幅の信頼を寄せ、2枚目のLP「Ave Maria アヴェ・マリア」を録音しました。彼にとってもう一つの名誉となる記録でした。
Place des Arts 芸術劇場も同様でした。 9歳のとき、彼はこの若さで、この大きな舞台と、彼に勝利の歓迎しか与えない大観衆に直面した最初の一人となりました。ルネ・シマールはケベックの寵児となったのです。
1972年と1973年、ルネは新しい仕事と学業を両立し続けました。ケベック州のあらゆる場所からリクエストが来ていました。ケベック州の人々はプティ・シマールを選びました。人々は州内を巡るツアーに行きました。テレビ、ラジオ、新聞など、あらゆるところでルネ・シマールのことを目にしたり耳にしたりしました。
しかし、ルネ・シマールは多芸多才でした。同年、彼は俳優になりました。映画業界が彼に興味を持ち、有名なプロデューサーのDenis Héroux ドゥニ・エルーも彼を探しに来て、「Un Enfant Comme Les Autres 普通の子供」と、Dominique Michel ドミニク・ミシェルやJean Lefebvre ジャン・ルフェーブルらと共演した「J'ai mon voyage ! 僕には僕の旅がある」の2本の映画を撮影することを決めました。これら2本の映画は大成功を収め、ルネ・シマールの才能が再び認められました。
1974年、日本の東京で大規模な歌謡祭が開催されました。ルネ・シマールは「ミドリ色の屋根」という曲でカナダ代表に選ばれました。このコンテストには、Three Degrees スリー・ディグリーズ を含む数人のスターが参加しました。彼は最優秀歌手に贈られるFRANK SINATRA フランク・シナトラ 賞に加え、演奏部門でも最優秀賞を受賞し、カナダに名誉をもたらしました。FRANK SINATRA フランク・シナトラ は自ら彼にトロフィーを贈呈し、豪華な時計も添えてこう言いました。「ルネ、大人にならないで(そのままでいて)」。ルネは12歳なのに感情が強すぎて涙が出ました。彼にとってそれは人生で最も美しい日でした。
※第3回東京音楽祭世界大会の時、ルネは13歳でした。「12歳」は会誌の間違い。
音楽祭の翌日、ルネは日本でスーパースターになっていました。彼の写真はどの雑誌にも掲載されており、ジャーナリストたちは彼をめぐって争っていました。ルネ・シマールの写真とともに、ありとあらゆる「商品」を披露しました。彼は日本全国でコンサートを行っており、どこでも聴衆は熱狂的になっていました。ルネはフランス語と日本語で歌いました。彼の最初の日本のアルバムはゴールドディスクを獲得し、その後も驚異的な売上によりさらにいくつかのゴールドディスクを獲得しました。 1975年に彼は再び日本を訪れ、コンサート・ツアーを開催しました。
Laurent Larouche ローラン・ラルーシュは、この素晴らしいイベントの映像「René Simard au Japon」を制作しました。ケベックに到着すると、彼は意気揚々と歓迎されました。プティ・シマールを祝福するために各地からバスが空港に到着しました。
次回は中編、フランス、アメリカ、そして英語圏のカナダでの活動についてのページです。
話は個人的なことになりますが、先月の初めに「中華人民共和国 内蒙古省赤峰市(中国内モンゴル自治区東南部の都市)」から電話があった話をしました。
そして今度は、電話番号が県庁所在地の市外局番で始まる1110から固定電話に電話が入りました。番号を見て、ついに我が家にも、最近テレビで注意喚起されている、警察を装った電話から始まる劇場型詐欺グループから電話が来た~~っっ!(^^♪・・・と、警戒して出ませんでした。メッセージも残されなかったし、再度電話も有りませんでした。
騙されたふりをして応対しながら、主人にスマホで地元の警察に連絡してもらったらよかったかな・・・と思いながら、一応電話番号をネット検索したら、県警の犯罪抑止対策本部からの注意喚起電話でした(笑)。電話帳に記載されていたり(多分うちはこれ)、詐欺犯人から押収した名簿に有った電話が架電対象だそう。民間企業に業務委託されていたりするので、おばさんに一方的に話されたり、「知らない番号に出たら、詐欺電話の可能性もあるでしょう★」と言われて不快な思いをした人もいるようでした。電話に出なくてよかった~! ましてや地元の警察に通報しなくてよかった~!!(本気で報告する気でいて、主人に止められていました 笑)
ルネ友のみなさまも、知らない電話番号には十分お気を付けくださいね!
<緊急報告>
goo blogサービスが11月18日(火)で終了することになりました!
2022年8月1日にteacupから引越して、ブログ開設20周年を迎える今年、またまたブログお引越しです★ 「引越しデータ作成」機能提供が4月18日から開始されています。引越し先は「はてなブログ」と「Amebaブログ」が準備されていますが、どちらにするか調べているところです。サービス終了までまだ7か月弱時間が有るので、取りあえず、6月10日の「ブログ開設記念日」と6月30日の「ルネ記念日」を迎えてから、どちらにするか決めたいと思っています。
まだまだブログ仕舞いはしませんよ! 「ルネ活」は永遠に!!






