今年の夏は、8月5日から21日までの17日間、第31回オリンピック競技大会とパラリンピックがブラジルのリオデジャネイロで開催されます。しかし、治安の悪さやジカ熱、市の財政難、警察官と消防士のストライキなど様々な問題が有り、相次いでトップ選手が出場を辞退するなど、開催が危ぶまれる事態に陥っています。
4年後に控えた東京オリンピックも、スタジアムやエンブレムの問題で揉めに揉めましたが、今から40年前の1976年7月17日(日本時間18日)から開催されたモントリオール・オリンピックも問題の多い大会でした。
ルネの「モントリオール讃歌」の仏語版"Bienvenue a Montréal" (Nobel NL-5713, 45rpm Single)と英語版"Welcome to Montreal"(Nobel NL 5714, 45rpm Single)は、1975年9月にモントリオール・オリンピック公式ソングとして発売されましたが、ボイコットされたためもあり、オリンピックが終わった翌1976年9月に再度発売されていました。
日本では1976年の7月21日に、ルネが歌うモントリオール・オリンピックのテーマ曲「モントリオール讃歌(英語版Welcome to Montreal)」(CBS SONY 06SH20, 45rpm Single B面『この旗の下で』) として発売されました。しかし、前年の1975年7月1日に発売された「去年の夏 SOLB-285」で変声していたはずのルネのハイトーン・ヴォイスに、ドーピング疑惑が囁かれました。
「モントリオール讃歌」については何度も取り上げていますので、詳しくはカテゴリ「モントリオール讃歌」を参照してください。
※カテゴリ「モントリオール讃歌」
http://green.ap.teacup.com/applet/rene_simard/msgcate12/archive
そしてついに、「モントリオール讃歌」が、ルネの変声前にレコーディングされたことを裏付ける写真が、facebookのグループVippassionSimardに投稿されました!!
これがその写真です!!
▲Enregistrement de "Bienvenue a Montreal" 「モントリオール讃歌」のレコーディング(VippassionSimardより)
そしてそのYouYbe映像!!髪型は来日があった13歳から14歳のルネと同じですね。
このレコーディングは1975年にモントリオールで行われたと、アメリカの芸能雑誌”16 (シックスティーン・マガジン)”が報じていました。記事のタイトルは「ルネ オリンピックに行くRené Goes To The Olympics! 」。
この頃ルネはロサンゼルスに住んで、ミュージカル映画「青い鳥」に出演するための英語とダンスのレッスンを受けており、帰れる時にモントリオールの家に戻っていました。
その記事には、ルネがレコーディングのためにモントリオールに戻ること、ルネが書いた詩がモントリオールのドラポー市長によって選出され、オリンピックの公式ソングとして、1976年8月1日の開会式で、ルネ自身が世界に向けて歌うということが書かれていました。
先週末、ルネがfacebookの公式ページで紹介したYouTube映像は、オリンピック委員会の前で「Bienvenue a Montréal モントリオール讃歌」を歌った時のものです。また、そのお披露目の席で、ルネがドラポー市長とオリンピック・スタジアムの模型を見ている写真も公開されました。
この時のルネの髪型は長めのマッシュルーム・カット。そして、お披露目の前には「モントリオール讃歌」のレコーディングは済んでいたはずです。ですから、VipPassionSimardに投稿された写真の髪型とは違います。
さらに、完成したスタジアムの前の写真のルネは、変声後リリースされた15歳のアルバム”Fernando”と同じ、少年らしい短い髪形になっています。ルネは1961年生まれですから、1976年のオリンピックの年は15歳。ルネの変声の始まりは14歳の時と考えられ、4回目の来日が有った1975年の4月以降ということになりますが、「去年の夏」が同年7月1日に発売されたことを考えると、4回目の来日後間もなく、変声が始まったことになります。
そして日本では、カナダでレコーディングされた"Bienvenue a Montréal"に日本語詞をつけて、一足遅れてルネに歌わせようと、CBSソニーの金塚さんという女性ディレクターがカナダに渡った時は、すでに声変わりしてしまっていたようです。それで仕方なく、英語版”Welcome to Montreal”をA面、『この旗の下で』をB面にして、シングル盤「モントリオール讃歌」をリリースしたのだと推測しています。
話は変わりますが、様々な理由で実現しなかったTVアニメ『家なき子』のテーマ曲は、アニメの放映は無くなっても、後にリリースされたアルバム『去年の夏』等に収録して欲しかったです。
ちなみに、テーマ曲「流れる水のように」の歌入れも金塚さんが行っており、宮住氏からの情報では、変声前であったことが分かっています。「みんなあなたに」も変声前であることから推測すると、ルネがカナダや日本だけでなく、アメリカやフランスでも活動していた超多忙なスケジュールの中で、変声前の短期間に、たくさんのレコーディングをこなしていたことが分かります。
René Simard Live Bienvenue à Montréal
▲ドラポー市長とオリンピック・スタジアムの模型を見ているルネ
▲(オリンピック・スタジアムを背景にして)
<和訳>モントリオールがオリンピック競技場を準備している時、人々はルネに、モントリオール市に大きな出来事が到来することを強調するものを歌ってくれと言った
上の記事は、ルネの写真集から抜粋したものです。カナダの各メディアからボイコットされたとされるルネの「モントリオール讃歌」ですが、ルネが歌うことに強い要望があったと書かれています。
このことについて、フランス系カナダの人々(ケペコワ)と見解が違うのは、当時、ケベック州でカナダからの独立運動が盛んだったため、「モントリオール」を強調する内容の歌詞が、イギリス系の人々から反感を買ったからではないかと推測しています。
さて、ミュージカル「メリー・ポピンズ」の公演は、31日(日)の千秋楽まであとわずかとなりました。facebookでは公式ページで写真や映像が公開されていて、華やかで楽しい舞台になっていることが伺えます。Juste pour rireでは、ミュージカル「メリー・ポピンズ」の他に、「ロメオとジュリエット」も上演中です。今年の夏だけで終わらず、ケベックの夏の定番になって、毎年上演されるといいですね!
そして、ルネの演じているMr.バンクスは、激しいダンスこそはありませんが、無事この長丁場を乗り切って、8月中は、9月9日(金)から再開するコンサート・ツアーに備えて、十分休養を取って欲しいです。
4年後に控えた東京オリンピックも、スタジアムやエンブレムの問題で揉めに揉めましたが、今から40年前の1976年7月17日(日本時間18日)から開催されたモントリオール・オリンピックも問題の多い大会でした。
ルネの「モントリオール讃歌」の仏語版"Bienvenue a Montréal" (Nobel NL-5713, 45rpm Single)と英語版"Welcome to Montreal"(Nobel NL 5714, 45rpm Single)は、1975年9月にモントリオール・オリンピック公式ソングとして発売されましたが、ボイコットされたためもあり、オリンピックが終わった翌1976年9月に再度発売されていました。
日本では1976年の7月21日に、ルネが歌うモントリオール・オリンピックのテーマ曲「モントリオール讃歌(英語版Welcome to Montreal)」(CBS SONY 06SH20, 45rpm Single B面『この旗の下で』) として発売されました。しかし、前年の1975年7月1日に発売された「去年の夏 SOLB-285」で変声していたはずのルネのハイトーン・ヴォイスに、ドーピング疑惑が囁かれました。
「モントリオール讃歌」については何度も取り上げていますので、詳しくはカテゴリ「モントリオール讃歌」を参照してください。
※カテゴリ「モントリオール讃歌」
http://green.ap.teacup.com/applet/rene_simard/msgcate12/archive
そしてついに、「モントリオール讃歌」が、ルネの変声前にレコーディングされたことを裏付ける写真が、facebookのグループVippassionSimardに投稿されました!!
これがその写真です!!
▲Enregistrement de "Bienvenue a Montreal" 「モントリオール讃歌」のレコーディング(VippassionSimardより)
そしてそのYouYbe映像!!髪型は来日があった13歳から14歳のルネと同じですね。
このレコーディングは1975年にモントリオールで行われたと、アメリカの芸能雑誌”16 (シックスティーン・マガジン)”が報じていました。記事のタイトルは「ルネ オリンピックに行くRené Goes To The Olympics! 」。
この頃ルネはロサンゼルスに住んで、ミュージカル映画「青い鳥」に出演するための英語とダンスのレッスンを受けており、帰れる時にモントリオールの家に戻っていました。
その記事には、ルネがレコーディングのためにモントリオールに戻ること、ルネが書いた詩がモントリオールのドラポー市長によって選出され、オリンピックの公式ソングとして、1976年8月1日の開会式で、ルネ自身が世界に向けて歌うということが書かれていました。
先週末、ルネがfacebookの公式ページで紹介したYouTube映像は、オリンピック委員会の前で「Bienvenue a Montréal モントリオール讃歌」を歌った時のものです。また、そのお披露目の席で、ルネがドラポー市長とオリンピック・スタジアムの模型を見ている写真も公開されました。
この時のルネの髪型は長めのマッシュルーム・カット。そして、お披露目の前には「モントリオール讃歌」のレコーディングは済んでいたはずです。ですから、VipPassionSimardに投稿された写真の髪型とは違います。
さらに、完成したスタジアムの前の写真のルネは、変声後リリースされた15歳のアルバム”Fernando”と同じ、少年らしい短い髪形になっています。ルネは1961年生まれですから、1976年のオリンピックの年は15歳。ルネの変声の始まりは14歳の時と考えられ、4回目の来日が有った1975年の4月以降ということになりますが、「去年の夏」が同年7月1日に発売されたことを考えると、4回目の来日後間もなく、変声が始まったことになります。
そして日本では、カナダでレコーディングされた"Bienvenue a Montréal"に日本語詞をつけて、一足遅れてルネに歌わせようと、CBSソニーの金塚さんという女性ディレクターがカナダに渡った時は、すでに声変わりしてしまっていたようです。それで仕方なく、英語版”Welcome to Montreal”をA面、『この旗の下で』をB面にして、シングル盤「モントリオール讃歌」をリリースしたのだと推測しています。
話は変わりますが、様々な理由で実現しなかったTVアニメ『家なき子』のテーマ曲は、アニメの放映は無くなっても、後にリリースされたアルバム『去年の夏』等に収録して欲しかったです。
ちなみに、テーマ曲「流れる水のように」の歌入れも金塚さんが行っており、宮住氏からの情報では、変声前であったことが分かっています。「みんなあなたに」も変声前であることから推測すると、ルネがカナダや日本だけでなく、アメリカやフランスでも活動していた超多忙なスケジュールの中で、変声前の短期間に、たくさんのレコーディングをこなしていたことが分かります。
René Simard Live Bienvenue à Montréal
▲ドラポー市長とオリンピック・スタジアムの模型を見ているルネ
▲(オリンピック・スタジアムを背景にして)
<和訳>モントリオールがオリンピック競技場を準備している時、人々はルネに、モントリオール市に大きな出来事が到来することを強調するものを歌ってくれと言った
上の記事は、ルネの写真集から抜粋したものです。カナダの各メディアからボイコットされたとされるルネの「モントリオール讃歌」ですが、ルネが歌うことに強い要望があったと書かれています。
このことについて、フランス系カナダの人々(ケペコワ)と見解が違うのは、当時、ケベック州でカナダからの独立運動が盛んだったため、「モントリオール」を強調する内容の歌詞が、イギリス系の人々から反感を買ったからではないかと推測しています。
さて、ミュージカル「メリー・ポピンズ」の公演は、31日(日)の千秋楽まであとわずかとなりました。facebookでは公式ページで写真や映像が公開されていて、華やかで楽しい舞台になっていることが伺えます。Juste pour rireでは、ミュージカル「メリー・ポピンズ」の他に、「ロメオとジュリエット」も上演中です。今年の夏だけで終わらず、ケベックの夏の定番になって、毎年上演されるといいですね!
そして、ルネの演じているMr.バンクスは、激しいダンスこそはありませんが、無事この長丁場を乗り切って、8月中は、9月9日(金)から再開するコンサート・ツアーに備えて、十分休養を取って欲しいです。
貴重な情報をありがとうございました!!!
早速記事に書き加えさせていただきました。
まさに来日当時のルネが、変声前の声で熱唱していますね♪
日本のファンが見たかった、知りたかった映像です!
さらに、ルネの変声後の「モントリオール讃歌」の録音テープや
未発表の曲が出てきたら最高ですね!!