つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

創造主である法則

2020-01-16 | Weblog
人が人を裁くことはできない。
人を裁くのは法則だけである。法律ではない。
法律は人の作ったものであり、人の善悪の都合でできている。
例えて、「赤信号、皆で渡れば怖くない」というような感じである。
大勢がよいとしたものが善となっている。
常識で言えば、そんなことは無いのが正義である。
理非曲直は、人の善悪である。
法則は、道理に適ってあるための正義であり存在である。
適わないとか正しくないというのではない。

法則というのは、森羅万象を形作っているエネルギーの法則である。
このエネルギーの法則は円運動の法則となっていて、絶対法則となっている。宇宙の法則である。
そのために、すべてが円の動きとなって存在している。だから、宇宙は円形となっている。
この法則には善悪というのは無い。無いために絶対善となっている。これが正義となっている。
この正義が道理に適うための存在となっている。
法則は絶対であるために絶対存在である。
唯一の客体であり、客体であるために、客体でしか裁けないのが法則である。
唯一の創造主であるためである。
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権力の悪事は地獄の地獄となる

2020-01-16 | Weblog
権力の座に就いた人は、その権力を駆使して、善い行いをしなければならない。
民衆の為にとして駆使できる力があるのに、何もせず、或いは私利私欲に使うならば、
その人の死後は100%、完璧に地獄の世界に落ちる。
これは、エネルギーの法則の道理である。
道理であるために絶対となっている。
人の命は、生きている時の為の命ではない。
死後の世界のための命である。
死後の世界を幸せな世界とするために生きている命である。
そのために、善い行いをして生きていかなければならない。
これが分からないために、好き勝手、わがままに振舞い生きる。
悪事を為す。
人の命は、
利他的にあってこそ自分の死後は安心となる。
利他的にあってこそ、自分の為となっているものである。
浄化がエネルギーの法であるためである。
この道理を知らずして生きていれば、間違った生き方となり、
どんなに偉くなっても、偉い地位に就き大衆を指揮しても、死後は苦が待っている。
偉ければ偉いほど、間違ったことをすれば苦は大きくなる。
死んで初めて気が付いても、後の祭り。地獄に仏はいない。
人は絶対死ぬのだから、どんなに偉い人でも例外は無い。
エネルギーの法則は絶対世界である。だから、誰一人として逃れることはできない。
悪事を為した人(他人を虐げた人)(他人を苦しめてきた人)、とにかく
自分以外の生命をいじめて生きた人は、間違いなくあの世は地獄となっている。
あの世で、転生するまで苛め抜かれる。それでもよければ・・・。
この世は束の間である。あの世は劫の間でもある。

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