記憶が生命の世界を作っている。
この生命世界があの世の実体となっている。
生命は、肉体を持って活動することによって記憶が作られ、
その記憶が生命世界の実体となっていく。
だから、生命の真実の世界が死後の世界である。
生命は、生命の真実の世界を幸せにするために、肉体を持ってこの世に生まれてくる。
生命はこの世の幸せを得るために誕生してくるのではなく、
生命の真実の世界の為に誕生してくるのである。つまり、死後の世界の為に
この世に生まれてくるもので、故に、生命は死が生の絶対条件となっている。
死は、生命の単なる肉体の消滅、肉体からの離脱であり、生命自体が無くなってしまうことではない。
生命が離れた肉体は、もはやただの肉の塊でしかない。一切の反応を示さないものとなってしまう。
肉体から離れた生命は、今生の肉体活動の記憶の世界となっていく。それがあの世である。
そのために、この世とあの世は少しも変わらない世界となっている。これが「色不異空」である。
あの世は記憶の現象世界であるために、肉体も記憶の肉体である。
あの世で新たに与えられた肉体というのではない。そのために、あの世で記憶が作られることは無い。
もって、あの世の記憶というのは一切ない。だから、生命の空白の間であるとしている。
この世に生じてきて、稀に前世の記憶がよみがえっても、それは前世の記憶であって、あの世での記憶というのでは無い。
なぜなら、あの世では肉体がないためである。記憶できる媒体の肉体がないためである。
あの世はこの世の記憶の世界である、だから、この世が苦しいからと言って自殺して、
あの世に逝ったとしても、あの世もこの世と同じく、苦しい世界となっている。
お分かりだろうか?「空不異色」なのであるから。
生命は肉体を持って生まれてくるのは、あの世を幸せとするために生まれてくるのである。
肉体は、真実の生命世界を作るための媒体である。その真実の世界が生命の幸福でなければならない。
なぜなら、エネルギーの法則が、善悪のないための絶対善となっているためである。だから、
幸せになるために、なるまで輪廻転生をするのである。
それはまた、一切苦であるために、なるべく早くこのエネルギーの法則を悟り、
輪廻転生から離れることである。法則を悟れば、どのように生きていかなければならないのか、
その方便が自ずと示されてくるからである。誰から教わることなく、
正しく法則に添って生きていくことができていくためである。
死は生命の無くなることではない。
そのエネルギーの法則を説いているのが般若心経である。
ただ、この般若心経正しく説かれなくなっている。
知識だけで解説しているためである。
この生命世界があの世の実体となっている。
生命は、肉体を持って活動することによって記憶が作られ、
その記憶が生命世界の実体となっていく。
だから、生命の真実の世界が死後の世界である。
生命は、生命の真実の世界を幸せにするために、肉体を持ってこの世に生まれてくる。
生命はこの世の幸せを得るために誕生してくるのではなく、
生命の真実の世界の為に誕生してくるのである。つまり、死後の世界の為に
この世に生まれてくるもので、故に、生命は死が生の絶対条件となっている。
死は、生命の単なる肉体の消滅、肉体からの離脱であり、生命自体が無くなってしまうことではない。
生命が離れた肉体は、もはやただの肉の塊でしかない。一切の反応を示さないものとなってしまう。
肉体から離れた生命は、今生の肉体活動の記憶の世界となっていく。それがあの世である。
そのために、この世とあの世は少しも変わらない世界となっている。これが「色不異空」である。
あの世は記憶の現象世界であるために、肉体も記憶の肉体である。
あの世で新たに与えられた肉体というのではない。そのために、あの世で記憶が作られることは無い。
もって、あの世の記憶というのは一切ない。だから、生命の空白の間であるとしている。
この世に生じてきて、稀に前世の記憶がよみがえっても、それは前世の記憶であって、あの世での記憶というのでは無い。
なぜなら、あの世では肉体がないためである。記憶できる媒体の肉体がないためである。
あの世はこの世の記憶の世界である、だから、この世が苦しいからと言って自殺して、
あの世に逝ったとしても、あの世もこの世と同じく、苦しい世界となっている。
お分かりだろうか?「空不異色」なのであるから。
生命は肉体を持って生まれてくるのは、あの世を幸せとするために生まれてくるのである。
肉体は、真実の生命世界を作るための媒体である。その真実の世界が生命の幸福でなければならない。
なぜなら、エネルギーの法則が、善悪のないための絶対善となっているためである。だから、
幸せになるために、なるまで輪廻転生をするのである。
それはまた、一切苦であるために、なるべく早くこのエネルギーの法則を悟り、
輪廻転生から離れることである。法則を悟れば、どのように生きていかなければならないのか、
その方便が自ずと示されてくるからである。誰から教わることなく、
正しく法則に添って生きていくことができていくためである。
死は生命の無くなることではない。
そのエネルギーの法則を説いているのが般若心経である。
ただ、この般若心経正しく説かれなくなっている。
知識だけで解説しているためである。