つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

死ぬ前に知っておくことは・恩恵

2017-06-03 | Weblog
東日本大震災も、熊本地震も、またそれぞれの天変地異も、
巷には予知することはできず、
驚天動地を見抜くことができない。
嵐の前の静けさという言葉がある。何かとんでもないことが起こる前は、特に平静になり、
ある者はその静けさに異様を覚えるが、多くの者は日常にかき消されて感知することができない。
感知してもただ何もできずに日常に流されていくだけである。
いずれにしても無策にある。
何をしても死ぬものは死ぬ運命にあり、死なないものは死なないものである。
見えない力の計らいには、人は太刀打ちはできないのである。
宿命というものは、運命の計らいの中の寿命にしてあるから、ほとんどは人の無知のために変えることができなく、
変わることがないのである。‘ほとんどは無知のために’であるから、知恵を持てば宿命さえも変えられるのであるが、
凡人にしておおよそ無理である。その凡人にして、だから、何をしたしないにかかわらず
死ぬものは死ぬものであり、死なないものは死なないで済むことになっている。
だからといって、なにもしないということではない。どう判断したかの動きであることを理解すること。
生命は動きであり、動くものである。エネルギーであるために。この動きが死と生の別れになっているのである。

人は主観でしか生きられず、客観視することができないものである。
見えない力の計らいにただ従うものである。見えない力の恩恵を受けるには、
自らの正しいとする行いにしかない。この正しいとする思いが間違っていたなら、
地獄の世界も正義となってあらわれてくる。最注意することである。
エネルギーの法則の善悪を理解し、正しく同調すること。それが見えない力を動かすことのできる唯一の方便であろう。
見えない力の計らいには、人の思うように善悪はないのであるから、
このことを正しく理解することが要である。

自然の力が法の力である。エネルギーの法則の力である。広大無辺な宇宙くまなく働いている力である。
この力をいかなる力も動かすことはできない。神とて仏とて及ばない。なぜなら、
すべてがこの法則の下の存在となっているからである。
たとえてわかりやすくするために、動かすとしたら法則の周波になじまなければならない。
同調である。善悪のないものであるための善としての同調である。
唯一の方便である。

まず、「私は何も知らない」と知ること。これが即ち恵みとなってくる。
「千里の道も一歩から」は世の道理である。
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偶の因

2017-06-01 | Weblog
頭脳明晰であれば特に師を必要とすることもない。
頭がよいのだから。
馬鹿だからこそ先生を必要とするもので、師があってこその
理解が可能となるのである。師がいなければバカはバカのまま。

独覚と声聞は筋の違いこそあれ、行き着いた先は同じである。
まじりあって違いを見出すには及ばない。
きっかけがあるものと持たないものとは偶然でしかない。
それぞれに長短がって正負がある。過程というのはそういうことにある。
どちらに優劣があるものではない。
一如にしてのあらわれである。
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致し方なし

2017-06-01 | Weblog
戦争は起こると思います。
右を向いても左を見ても間違いだらけの世の中だから。
‘堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え’といえども、
世の中あまりに不条理なことばかりで、怒りたくなくとも怒らずにはいられないほど
イライラすることが日常にあふれている。
なんだろう?なんか変だなぁと思われる雰囲気、空気感が漂っているような気がしている。
日本でも、また世界中でも。だから、あっと驚くような禍が表面化してくる。
これは、人間の業の自業自得のような気がしてならない。
人間の悪業がせかしているように思われる。
天変地異、驚天動地まもなくと感受するが・・。

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