つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

誉・称賛に値する

2023-11-30 | Weblog

今、少しばかり世の中が変化し来た。

早くこの変化に気づく人々が多くあれば、もう上を見て、忖度をする必要はない。

愛情が豊かになれば、混乱が起きないように、粛々と善い方向に物事は進んでいく。

その豊かさは、知らずしらずのうちに変化を来たし、いつの間にか社会がひっくり返っている。

「急がば回れ」とか、「慌てる乞食は貰いが少ない」とか、言われるのは、浅ましさを戒めるためである。

多くの人々が、間違った教育、つまり競争ということに掻き立てられ、信じてしまったために、どんなに、

争うなといっても争う。争いは傲慢と悲しみを共に産む。争いは戦う事である。

戦いをやめれば、「病」にもである。戦うな!争うな!真実である。

争う事をやめれば、争いから離れれば、真の誉を得られるのである。

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同情心

2023-11-30 | Weblog

終戦後約80年にもなるというのに、昔からの封建的社会教育は変わらずに残っている。

男尊女卑は哀しい風潮である。1980年代後半には金融制度支配下に置いて、

金儲け第一主義的風潮、お金が愛であると錯覚して、金金金と金がすべて幸せの根源と誤解、

いまだにお金を稼ぐ人が善で、稼げない人は悪という感じとなっている。だから、不細工な男でも、

或いは、心が汚い人でも、お金さえたくさん持っていれば好まれる。愛することが人物ではなく、お金を

愛していることとなっている。そこに気づくことなく誤解して結婚などするために、

金の切れ目は縁の切れ目となって別れる。何とも浅ましく醜いこととなっている。

金融支配社会というのは、偽りがまかり通り、して、騙される世の中である。

どんなに立派なことを言っても、お金がなければ相手にされないのがこの社会である。

ほぼほぼお金によって問題が起こり解決されていくためである。

しかし、どんなにお金があっても、解決できないことは山ほどあるのだが、

今の社会人、目先の金に心を奪われて、倫理を誤る。して、どこもかしこも偽善がまかり通り、

馬鹿と阿呆の絡み合いの世の中が構成されている。その行先の顛末は、自業自得のゆえ、滅亡の危機せまる。

意識は、あと「10年弱ほどの道のりしか残されていないよう」である、と受す。

どうか、今のうちに気づき、騙しの根源である、金融支配社会から離れなければならない。

その対策の行動は、愛情で生きていかなければならない。愛情は無償である。

人の世にだけある心でのやり取りである。心情、愛情、感情は命存続の要である。

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