つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

菩薩と仏陀

2016-09-25 | Weblog
エネルギーの法則がすべての存在となっている。
神も仏も法則の下の存在である。そのために、人という生命体と何ら変わらない存在である。
ただ言えることは、人よりもはるかに優れている、はるかに進化しているというものである。
エネルギーの法則をよく理解していて、その道理に適うよう生き方を理解している。
全体的に見れば優劣など無いものなのであるが、人に、ある点に於いて優劣があるように、
その部分のみをすべての優劣と見てしまう為に、階級という差をつくる。愚かなものである。
その愚かがある為に、進化の過程にあるものという格段の差が付く。
人は皆老いるように、形あるものはすべて朽ちていくものである。
それは神々とて同じである。ただ、寿命の長さがとても長いだけである。
人類が神々とする存在の寿命は、人類の十倍ほどである。
道徳は理解されてあるも、この世界に存在する限り寿命はあるのである。
天空を舞い、時間と空間を超えてくる優れた能力を持つのであるが、進化の過程にあるには
違いないものである。そのために、喜怒哀楽はあるが、必ずしもすべて満足に進化をしてきたかというのでもない。
もって、情に於いて欠如、或は、故意に捨て去ってきたのかもしれない部分がある。
実に無駄なものを取り除いて進化してきたのだろう。それはその世界、環境がそうさせてきたのだろうが、
全く環境の違う世界ではあてはまりにくいものでもある。
人に様々な世界、生き方があるように、同じ生命体にありながら、異なった情の動きをするのである。
微妙に異なった情の動きに対して、すべてを網羅でき、それなりに対処できるならば、自由である法則のエネルギーを
知るものである。
知る者は言わず言う者は知らずということを知る。
神の中の神である。
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