つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

12の二重螺旋

2015-01-19 | Weblog
キリストは12・3歳頃から29・30歳頃までの17年間ほど、インドのラダックの地に於いて修行僧として仏陀の説いた法を学んだ。
キリストが聞いた「始めに言葉あり」という神の声は、観世音菩薩の啓示であり、
その啓示に誘われて釈迦の説いた法を学だのである。故に仏教とキリスト教は同じ宗教ではある。
キリスト教はまたミトラ教であり、ミトラはメシア、救済者弥勒である。
56億7千万年後に衆生救済として現れるとされているこの数字は、ニネベ定数という計算によって出てくる数字である。
これは1秒という時間が基準である。それは、世界が1秒から始まったためである。

人が性行為なしで生まれることはない。
医療も進歩して体外受精とか試験管ベビーなど、性行為そのものが無くても人工的に授精を行い、
生命誕生はあるが、釈迦やキリストがいた時代にそんな技術は無い。
聖書は聖母マリヤ、処女懐妊として神の子の誕生とし、釈迦は、マーヤー夫人が6本の牙をもつ白い象が体内に入る夢を見て懐妊、
それも、脇腹より生まれたとしている。しかしながら、人間が性行為無くして生まれたためしはない。

釈迦は真理より来たれし者であり智者である。過去、他6名の智者が地上に訪れた。

突拍子も無い誕生話を見ても、彼らは人間として遣わされたものである智者である。
法の世界からの来訪者である。それは人知及ばないほどの優れた進化にあり、またそのものである。
それを人間は神とする。

法の世界には時空は無い。
変化というものは無い。
夢想の世界である。

人は、神ともなれる者である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする