つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

2014-01-04 | Weblog
吝嗇にしてもてなしはできない。
貧乏を多く経験した人は、
他人に優しいものである。
切なさから学ぶもので、謙を知り、献を知り奉るのである。
貧困から勤勉勤労を得、無我夢中。

裕福から怠惰、怠慢、堕落が覗いて見える。
哀しいかな、倖せからは不安だけが募るのである。
して、持て成す事が難しい。
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立場の理の利

2014-01-04 | Weblog
金持ちは金があるからたくさんの供養もできる。
だから、供養して当たり前であり、供養しなければ吝嗇にあたる。
それは、貪瞋痴の貪に当たり、浅ましいもので餓鬼界の縁。
死んでどこへ赴くか当然の如く知れてくる。
お金持ちとなったら、当然その役割も大きい。行って当たり前の役割を果たすことなく、
ただ私利私欲だけのことであるなら、供養という事の意味を正しく理解するために、施しを待つ立場に身を置くことになる。
金持ちにしてその利の理を知ることなければ、糾える縄の如しで貧困からその理を知ることになってしまう。
そうして、経験によってどちらの損であり得であることの様を知らされ理解が問われる。
知って悟り、正しく行為としていって有利はいつまでも有利に、間違った行為であれば不利はいつまでも不利を繰り返す。

貧乏にあり、その哀しさ、屈辱を受け、正負の長短を観、進化に置き換えるなら、
貧しさの中にあって施し、共存共栄を願うものとなり、この上ない功徳となる。
魑魅魍魎にして後押しする。

どんな場にあれ進化とするなら余徳となるのである。
進化とは、法則に正しく対応した変化である。
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