エネルギーの法則が円運動であるために、
廻るということが絶対となり正しいとなっていく。
善悪というのもそこからくる。
同じことが何度も繰り返されていくことが、絶対正しいものとなっていく。
だから、間違ったことでも何度も同じく繰り返されてしまうことによって
正しいとなってしまう。
間違いが正しいとなってしまうために、間違いに気が付くことが無くなり、
正当なこととなっていく。
本来善であることが悪となり、悪であることが善となって、
善悪顚倒したものとなれば、すべて悪だらけとなっていくが、それがまちがいである、
地獄であるということに気が付くことが無くなってしまう。
廻るということは、狂いなく同じところに戻るために、つまり、
‘狂いないもの’であるために、間違い無いものということになるからである。
エネルギーの法則は円運動であるために、必ず元に戻る。
元に戻るためにゼロとなり、浄化となっている。
何もなかったもとの状態に戻ってしまうということが繰り返されるということである。
だから、減りもしないし増えもしないという変わらない状態ということになる。
廻るという運動であるために変化が付きまとう。その変化することが変わらないということ。
常住であるということである。無常が常住ということ。これが円運動である。
エネルギーの性質であり、その性質が自由ということにある。
正しい浄化の行為がなされて本質となる。
人の行為行動すべて浄化ということにある。
だから、正しい浄化ということにならなければ、本末転倒となって
地獄となってしまう。
廻るということが絶対となり正しいとなっていく。
善悪というのもそこからくる。
同じことが何度も繰り返されていくことが、絶対正しいものとなっていく。
だから、間違ったことでも何度も同じく繰り返されてしまうことによって
正しいとなってしまう。
間違いが正しいとなってしまうために、間違いに気が付くことが無くなり、
正当なこととなっていく。
本来善であることが悪となり、悪であることが善となって、
善悪顚倒したものとなれば、すべて悪だらけとなっていくが、それがまちがいである、
地獄であるということに気が付くことが無くなってしまう。
廻るということは、狂いなく同じところに戻るために、つまり、
‘狂いないもの’であるために、間違い無いものということになるからである。
エネルギーの法則は円運動であるために、必ず元に戻る。
元に戻るためにゼロとなり、浄化となっている。
何もなかったもとの状態に戻ってしまうということが繰り返されるということである。
だから、減りもしないし増えもしないという変わらない状態ということになる。
廻るという運動であるために変化が付きまとう。その変化することが変わらないということ。
常住であるということである。無常が常住ということ。これが円運動である。
エネルギーの性質であり、その性質が自由ということにある。
正しい浄化の行為がなされて本質となる。
人の行為行動すべて浄化ということにある。
だから、正しい浄化ということにならなければ、本末転倒となって
地獄となってしまう。