つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

終わりなき世のめでたさを・・・

2012-12-30 | Weblog
♪年の初めのためしとて終わりなき世のめでたさを・・・♪このように謳われるように、
確かに世に終わりは無い。
一日が終わりまた一日が始まるように、
昨日が今日につながり今日が明日につながるように、
一つ一つが区切られて新たに繋がっていく。
終わりは始まりでもあり、始まりは常に終わりに繋がっている。
無くなるということが無い。
無くならないという無いである。
これが世の理である。して、人もまた同じである。

昨日が今日になるわけではなく、今日が明日になるわけではない。
昨日は昨日のあり方を示し、今日は今日のあり方を示す。明日は明日のあり方である。
昨日が今日になり、明日になっていくというのではない。
一という数はどこまでも一であり続け、二となり三となっていくのではないように、
それぞれのあり方を妨げるものではない。
一は一であり二は二である。区切られて繋がっているだけである。
新たに新たにと絶えずに。
文字もそうである。互いの文字を妨げることが無いために文章となって意味が伝わる。

互いを妨げることなく繋がっているのである。

私は私として一生涯を終え、新たに繋がって生じてくるのである。
一つの区切りがある程度続き終えるとき、人は厳粛になる。
その区切りが少しでも長ければ長いほど、終焉に近づくほどに厳粛を思い愛しい。
少しの時間よりも一日が、一日よりも一週間が、一週間よりも一月が、一月よりも一年が、一年よりも十年が、
十年よりも一生が・・・と区切りが長くなるほど愛しくなる。
その区切りがあるために感動がある。
古きもの変わり行くものに愛着を示して幸せを思い、新たなるものに希望を抱く。
飽くなきことに喜びを思うのである。本能として。
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もれたタメ息

2012-12-30 | Weblog
日本人の人口は少しずつ減っているようだ。一億三千万弱の単民族。
出歩くのも億劫になる年寄りが多い島国である。
なのに、どこに行っても人混みである。それこそ盆やら年末年始ともなれば、家にいても掃除だの片付けだのと人がいる。店や神社仏閣、故郷、
そこまで行く過程においても大混雑である。都市部も田舎も人、人、人。
それでいて、人口減、若者減、はてな、はて?はて?
景気はずいぶん長い間悪く、みんな低迷低迷と報道される。
いつの世も、このままいけば大変な事になる、日本崩壊、沈没だと言われ続けてきた。
もうすでに大変な事になっているし、これからますます大変になっていくはずである。
それこそ、崩壊は免れないであろう思う。友愛と言う心がしっかり持たないかぎり。
確かに、若者には仕事が無く、いや、若者に限らず年配者にも仕事は無い。全体的に少ない雇用である。
3Kといわれる人の嫌がる仕事はそこそこあるのだろうが、人を道具として見ているために、だから、なかなか難しいのだろう。
また、賃金はその割にはよくなく、働けど働けど楽にならずに、体と心が壊れていくだけとなっている。
生活保護者は過去最高。だけども、見るところ車はよい車が走り、食事処は長蛇の列。
高くても良いものうまいものには金を出す。金が無いのに金を出す。なんだこりゃ?はて?はて?はて?とこの国の不思議を思う。
借金大国である。貯蓄も多いようなのだが、周りを見ても苦しい人ばかりで、「俺は金はある」という人は聞いたことが無い。
ま、あってもあるとは言わないのだろうけれども、どこに誰がそんなに金を持っているのだろうと、そう思う。
嘘つきが多いのか?そうはおもわないがなぁ?不思議な国だ。ほんとに。

一部のずる賢い人達は金儲けに長けていて、富裕族として、低迷にあえぎながら懸命に働く人達を見下げて、
悔しかったら偉くなれとほざく。はて?偉くなれということはどういうことだろう。
偉くなるということはどういうことだろう。人を見下げられることが偉くなることか?
でも、現実はそんな人が多い。政治家にしろ経済界実業家にしろ、自分の懐は満タンにしておいて更に欲しがり、
第一に自身の安泰を確保しておき、安全な立場からあーでもない、こーでもないとずる賢くほざく、世のため人の為と。

人の為とする人は、する人ほど身は質素でその義をあらわすものだ。だから、
他が敬って見るに見かねて支え、同等以上の姿となるも、同等に混じる。
友愛を人一倍重んじるために、同等に混じっていてもひときわ輝いていて、瞬時見分けられるものである。
それが、あえて飾りで区別しなくても、自然と識別されるほど優れるということである。競い優れるというものではない。
人の格である。優れるという素質である。

人の為人の為とほざいて、その身ばかりが肥えていく人ばかりだから、偽りという。
それが俗世の人の為としての‘ずる’がつく賢い方便。そんなものだから、
人の為と書いて偽りと読むではないか。
だから、嘘も方便としている人ほど懐が醜く肥えていく。
いつか死んで必然、その代償を払わねばならないものを、
この世限りという間違った見解を持っているために、なせるわざだろう。
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