人生終盤ともなれば、欲しがることを求めない。
老いて尚、あれもこれもと囲ってしまう人がいるが、そういう人を
ただの老いぼれという。
見掛けは立派にして魑魅魍魎、浅ましい姿の影が映る。
あなたは地を這いずるものか?下等にして生きるものかと心に叫ぶ。
ただ憐れな人と心が寂しい。
「君子に三戒あり」という。
青年期の色欲、壮年期の争い、老年期の強欲である。
このことをよく戒めて暮らしているなら、禍は避けてゆく。
君子にあらずとも、せめて、年老いては欲は捨て、施しながら老いるなら、実に楽しいものである。
何も無いほどすてきなものは無い。何もかも忘れ去られていくように、何もかも捨て去って楽となる。
天命を持って人が生きるなら、
「我が身をつねって人の痛さを知れ」「己の欲せざる所は人に施すこと勿れ」、
あなたもあなたも生きるために活きる。人として生きるなら、
天命で持って活きる。
互いを施して対価を求めない。一期一会でありながらにも。
互いの立場に損得は無く、損得思って天命は成り立たず、運命によって宿命変えられずとなる。
安住の命を受けることがない。
献身、天命の本質である。天命を受けて人は生まれる。魂のために。
私は歌手で、私は医者で、私は土方で、私は先生で、私は演奏者で、私は売り子で、私は踊り子で、
私は役者で、等々等々数限りなく・・・と人は、
総じて掃除にして生きている。互いをきれいにして自分がみがかれる。魂のためである。
人以外の
生物、動物に経済的が無いように、損得が無くて生きている。
人は優れていながら下等である。経済観念を持つために。