つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

性質が生む

2007-05-12 | Weblog
今日も死ぬ人がいて、生まれてくる人がいて、
死ぬ苦しみと、生きる苦しみとが
互いに妨げられることなく繰り返される。
生まれてこなければ死ぬこともないのに、
死ぬ事がなければ恐怖も無いものを。
だから、生まれを絶てば苦が無くなる。
生まれるのは、生まれる行為をするからで、生殖行為をしなければ、
生じる事に縁が無くなり、生まれてくる事がなくなる。
人が、人としての行為をしていくために、人に縁となって人として生まれる。
人が、鬼のように生きていけば、その鬼の行為が縁となって、
鬼の世界となる。
鬼の世界となるために、人間界ではなく、
鬼、畜生の世界である。
鬼畜生は、鬼畜生として行為をしていくために、
鬼畜生と交わり、鬼畜生から離れる事がなくなる。

人が前世、貝であったかも知れないという人がいるが、
そういうことは無い。
人に生まれて、貝として生きていく事は無く、貝の行為とならないために、
縁となることがなく、貝に生まれ変わる事はない。
貝は、貝に生まれて、貝としての行為をしていくために、人の行為をすることは無く、人と交わる事がない。だから、縁となることがなく、貝は貝となる。

人は、人であるために、人としての行為をしていき、人にうまれる。
種の保存である。
もし、生まれてすぐに 何かのはずみで、オオカミに育てられたとしよう。
食べられる事も無く、無事オオカミとして育てられ、
全くオオカミと思い込み、オオカミとしての行為となっていけば、オオカミと交わり、縁がつくられ、来世、オオカミとなる。
その世界の生き物となる。

縁というのは、その行為にある。
縁を結んでいけば、縁の世界がつくられていく。
法のたち(性質)であるから。







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

善は善、悪は悪

2007-05-12 | Weblog
悪意のあるものは
他が何もしなくても
自らの悪によって害われる
悪は悪によってのみ滅ぶ

善は善であるために
すべてを害う事はない

善は悪によって識別されるものではない
善は善であり、悪の入り込む余地は無い
善は善であるために認識される
悪あるが故にということはない
また、善なる中に、善としての悪などない
悪は悪、善は善
悪あっての、善あっての・・・という事は無い。
善悪は法則には無く、無いために絶対善となって浄化の動きとなっている
だから、すべてはゼロに戻り、ゼロから始まる
ただ繰り返す
円であるために
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする