つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

めぐりくるために

2006-11-30 | Weblog
「禍福は糾える縄の如し」と言われる。
今、誰之誰兵衛として生きていて、誰から見ても幸せな人生だとしても、また
自身もそう思っていても、それがどのようにしてそんな境遇になれたのか
思いやることが無く、また、ただ自身の力量によってもたらされたものであると
慢心を抱き、誇らしげに暮らし、哀れみを持たず、与えることを知らないなら 死して後、地獄に落ちる。また、来世に於いても
不幸な人生となる。哀れまれることも無く、施されることも無く、無視される。
哀れむとは軽蔑することではない。愛でることである。

幸福の中にいるのなら、その力を物惜しみすることなく分け与えれば、
縁によって死後も、来世も再び幸福となる。
もし、今の世で幸福である人は、次の世は不幸となるはず。
「禍福は糾える縄の如し」であるために。
それを避けるために、今ある人生に善いことを為していくのである。
善いことに縁を結べば、死後も、来世も再びみたびと幸福となるために。

今生 不幸であると思うなら、その境遇に苦しみを知り、悲しみを知り、
哀れみ慈しむ心を学び取ることができ、愛でられたなら 
死後は、そして来世は幸福となる。
但し、幸であれ不幸であれ、どちらも境遇によって心が歪むなら
苦しみが待つだけである。これは理であるために。


コメント
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