つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

間の生き物として・・・

2005-10-29 | Weblog
 生きている‘とき’の生物を、本有〔ほんう〕と呼び、死んでいく‘とき’を死有〔しう〕と呼び、生まれ変わる‘とき’を生有〔しょうう〕と呼ぶ。
その死有と生有の間を中有〔ちゅうう〕と呼ぶ。中間の生物と言う意味である。
中陰〔ちゅういん〕とも言われる。四有説で、あり方の違いを四つに分けて説いている。仏教のなかの部派に‘説一切有部’があり、その説である。
 この中有の存在が空の存在である。中間の生物であるから、受想行識があり、色として世界があり、身体があるとしている。生きているときとなんら違いが無い世界である。が・・・。 空は死後の世界を空としている。死後の世界は、人の経験とならない為に、分からないものであるとして、空としたのであるが、菩薩の啓示によってその実体が明らかにされたために、知ることができた。
死後の世界は、現象の世界である。法の絶対世界である。その為に、時間も空間も無い。法の世界である為に、変わらない世界となっているためである。
法則が、変わらないもので、なくならないために、変化の無いところには、時間も空間もないのである。その為に、地獄が作られると・・・   つづきはまた


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