不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

38歳からの百姓志願~実践編。

霊峰・石鎚を仰ぎ、瀬戸内の陽光を望む愛媛県西条市、「有機菜園 藤田家族」無農薬・無化学肥料の野菜と暮らし。

太鼓台は、激しかった。

2006年10月17日 | 農と暮らしの日記
飯積(いいづみ)神社祭礼の本番。
日付が変わったばかりの深夜、「飯岡本郷」太鼓台は内をまわったあと、午前2時に宮出しに向けて出発。約30分後に飯積神社前の土手に到着した(写真)。以後、18時頃に本郷に戻るまでの十数時間にわたって太鼓台とほぼすべての行動を共にした結果わかったのは、「太鼓台は、市街地のだんじり祭りとはまったく違う」ということだった。

太鼓台は高さ約5m、重さ約2トン。
道路を運行している最中は近代的な2輪のタイヤをつけており、平坦なところなら8人前後で十分に動く。一方、行程中には5回、河川敷やグラウンド、神社の境内などでタイヤを外して担(か)く場面(「担き場」というようだ)があり、このときは檜の4本の担(か)き棒を100人前後が支える。単純計算で一人あたり20㎏なのでたいしたことはないように思えるけれど、実際に肩にのしかかる重みはなぜかその数倍にも感じられる。

飯積祭礼には10台の太鼓台がある。
西条市域の6台と隣の新居浜市大生院(おおじょういん)地区の4台。この10台がそれぞれの担き場でいかに勇壮華麗な姿を披露するかを競うというのがこの祭礼の見どころになっている。

市街の伊曽乃神社祭礼でも「だんじりの担き比べ」という表現が使われる。
だけれどそれは実際にはさほど何かを競うというものではなく、次々に神前に歩み出ては、「屋台」そのものの美しさや個性をアピールするという印象が強い。もちろん、タイヤをつけたままよりも外して担(か)いているほうが拍手が多いし、高々と差し上げた(担ぎ上げた)あと、肩の高さに下ろす際に呼吸が合わず地面に土台を落としてしまったりすると、観客の評価が下がるという面はあるけれど、それもまあご愛嬌といった和やかな雰囲気がある。

しかし、太鼓台は違った。
飯積祭礼では10台の太鼓台が横一列に並び、ほぼ同時に担き上げるので、担き夫の力が揃わずに落としてしまったところと、息が合って担き続けているところとが一目瞭然である。「成否」が誰の目にも明らかなので、思いがけず早く落としてしまうと強烈な「敗北感」がある。まさに、「たたかい」である。

ただし、太鼓台どうしは「競争」の関係にばかりあるわけではない。
隣り合った太鼓台が互いの担き棒を寄せ合い、一体となって担ぐシーンもあり、飯積では10台すべてが横一線に連なって担ぐ寄せ太鼓が大きな見ものになっている(写真中央付近、赤白の市松模様と水色の法被(はっぴ)が飯岡本郷)。そこには「競争」ではなく「協調」がある。しかしそれゆえに、力尽きて崩れ、その「和」を壊してしまった太鼓台はさらに強い敗北感に襲われるのだ。

……というのは、初参加の僕の目で見た太鼓台。
一回体験しただけではわからないあれこれのことがあることは間違いなく、これについてはまた来年も書くことになるだろうし、その前にも見聞きしたことを書いてみたいと思います。とにかく、太鼓台は激しかった。きのう、回りのことを書いたときに、「休憩のたびにビールだ」と脳天気なことを書いてしまったが、今日はほとんどみな飲んでいない。飲んでできるような甘い祭りではなかった。

一日、よく歩いた。
各担き場や休憩を除いても10時間は歩いているはず。地下足袋は担くのにはいいけれど、アスファルトの上を歩くのには向いていない。明日は畑の上に戻って歩く。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする