唯識に学ぶ・誓喚の折々の記

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思っています。

阿頼耶識の存在論証 五教十理証について (14)

2017-02-02 21:35:04 | 阿頼耶識の存在論証
  

 雑感です。よく海外に出かけられる友人から、久しぶりにメールをいただきました。僕も気にはかけていましたが、住む世界が違うのかなと思って忘れていたんですね。でも、メール嬉しかったですね。常日頃の地道な行動が彼女の心にインパクトを与えたのかなと勝手に妄想しております。皆さん、種子ですよ。ユリの種子からはユリの花が咲きます。芍薬の花からユリの花は咲きません。つまり、迷いの種子を積み重ねても、迷いでしかないのですね。
 「大聖の真言、誠に知りぬ。大涅槃を証することは、願力の回向に藉りてなり。還相の利益は、利他の正意を顕すなり。」(『証巻』真聖p298)
 を聞いていかなければなりません。ユリの種子から芍薬の花を咲かせるのは、無根の信なのです。あり得ないことが、現実に起り得ることが有るという証になるのですね。

 「謂く、此の第八識有るに由るが故に、執持して一切還滅の法に順ぜる。修行者をして涅槃を証得せしむるを以て。」(『論』第三・十七左)
 ここでね、先には第八識は流転の法に順ぜるといってですね、ここでは還滅の法に順ぜるといっているのです。此れはどのように理解したらいいのでしょうか。
 素朴に考えますと、私は、迷いのままでは終わりたくない、苦しみのままでは終わりたくない、なんでこんな人生を送らなければならないのか、いくら自業自得とはいえ、やっぱり、このままでは不完全燃焼だよ、という思いがあります。
 ここが本当に大切な機縁だと思うんですね。もうどうにもならん、行き場のないやるせなさの中で、その行き場のないやるせなさが、覚りの道に出遇わせてくれるのです。理屈ではありません。迷いが還滅の依り所となるのですね。これが第八識の織りなす世界:なのです。
 僕はね、世間様から言えば落ちこぼれです。迷惑一杯かけて、生きるに値しない者ですわ。いうなれば、破壊者です。ほんまですよ、知っておられる方は「そうや、のうのうとよく生きておれるな」と言われるとおもいます。
 でも、そんな人生でも、見直すことが出来る時が与えられていたということなんですね。救われました。取り返しはききませんよ。過去は戻っては来ませんからね。でもね、声を大に言えます。「今までのことをご縁にして、生きること、命が与えられていることを考えていきましょう。」と。そこでね、断罪されてもいいではありませんか。
             迷い
 第八識(種子) 〈
             還滅
 ここでですね、第八識の所縁は、種子と有根身と処であると云えるわけです。納得です。いうなれば、求めざる得ない存在ということでしょうね。