唯識に学ぶ・誓喚の折々の記

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思っています。

第二能変 所依門 (102) 開導依 その(5) 難陀等の説

2011-05-30 22:17:25 | 心の構造について

 『成唯識論』では開導依について三師の説が紹介され、護法の説をもって正義とされることは論をまちません。第一師は、今まで紹介してきました難陀等の説です。第二師は安慧等の説になり、第三師が護法の説になります。

 前五識の開導依 

   難陀等 - 第六識

   安慧等 - 自類と第六識

   護法等 - 自類

 第六識の開導依

   難陀等 - 前五識と自類

   安慧等 - 自類と第七識と第八識

   護法等 - 自類

 第七識の開導依

   難陀等 - 自類

   安慧等 - 自類と第六識

   護法等 - 自類

 第八識の開導依

   難陀等 ー 自類

   安慧等 - 自類と第六識と第七識

   護法等 - 自類

 自類というのは、眼識は眼識を耳識は耳識を開導依としていることを意味します。

 難陀等の説をまとめますと、難陀等の主張は、前五識の開導依は第六識、第六識の開導依は前五識と自類、第七識・第八識の開導依はそれぞれ自類とするという。第七識及び第八識は「第七・八識は自ら相続するが故に他の識に引生せらるることを仮らず。」ということが根拠になります。難陀等の説の特徴は他の師にはみられない前五識の開導依に自類が入っていないことです。その理由として「五識は、自と他との前後に相続せざるが故に」といい、「必ず第六識に引生されるが故に」と述べています。

 即ち、五識は五識同士が連続して相続することがなく、必ず第六識が介在すると主張し、また、五識は二刹那にわたって相続することはなく、必ず第六識に引生されて生起するというのです。五識と第六識が交互に生起するという説です。「・・・第六識ー眼識・・・第六識ー耳識・・・第六識ー鼻識・・・」というように。従って難陀等の主張は五識の開導依はその前念に存在する第六識のみとなる、ということになります。