![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/22/f730d493622c5762703a1063bb047d6f.jpg)
月刊誌「ひととき」11月号に「天空の古城、竹田城」「日本のマチュピチュ」という特集記事が載っていた。
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見た途端どこにあるのかもわからないまま行ってみたいと感じた。
その翌日JTBの「旅のアトリエ」11月号に、「天空の城・竹田城跡」現地集合ツアーが出ていたので即申し込んだ。
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大阪駅から福知山線経由の特急「こうのとり1号」に乗車、「柏原」(かいばら)駅で下車した。
駅前には20人乗りの小型バスが2台ツアー客の到着を待っていた。
12月1日から4回定員20人でツアーを企画していたがすごい人気で急遽バスを2台にして対応したそうだ。
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竹田城は播但線「竹田駅」の近くにあるため柏原からバスで1時間ほど走らないと行けない。
竹田駅近くの駐車場から山の上にある「竹田城跡」の写真を撮った。
個人で出掛ける時は大阪から福知山線で福知山まで行き、山陰線に乗り換え和田山まで行き、播但線に乗り換えて竹田まで行かなければならない。
そういう点ツアーは楽チンだ。
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城跡の石垣ががはっきり見える。
わくわくして来る。
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駅前から細い山道(舗装はしっかりされている)を10分余り走ると山門前の駐車場に着いた。
大型バスではこの狭い山道を通れないので小型バス2台になったようだ。
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山門をくぐって20分余り山道を登ります。
山城のためあっちこっちに石垣が積まれていて侵入者に対してどこからでも攻撃できるようになっています。
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竹田城址碑。
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いよいよ頂上近く、あとひと頑張りです。
私の乗った1号車には夫婦づれ数組と男性数人のグループ、単身参加の男性3人の乗り合わせ。
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円山川沿いに広がる竹田の町。
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やっと山頂、城址に辿り着きました。
地元のボランティアの人に、町では晴れていても山の上は時雨ていることが多いと
言われていたがいいお天気だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/ce/f759c787ba0002416fd6712631adfdb9.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/85/277de0f9706c0584c1ac66bc48ee3b4a.jpg)
竹田城(虎臥城)はJR播但線、竹田駅西方、古城山(標高353.7m)の山頂にあります。
2006年に登った日本三大山城の一つ備中松山城は海抜430mだった。
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竹田城は1441年守護大名山名宗全の家臣、太田垣氏が築いた城郭である。
その頃の城は大半、土を盛っただけの砦のような城であった。
太田垣氏が7代にわたって城主であったが、1577年織田信長の命による秀吉の
但馬征伐により落城。
その後羽柴秀長が城主になり、1585年赤松広秀が最後の城主になった。
関ヶ原の役で広秀は西軍として参加し敗れ鳥取で自刃、竹田城は廃城になった。
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いまこのアーチ式の橋(高速道)をくぐって山へ登ってきた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/bf/1ad9eba7ba6d0434dafc8c7bd531e6ca.jpg)
南千畳。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/6b/7cfb25816a4064582f9bd136932ff00b.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/7a/967515f331d6237003fd21140a97a69e.jpg)
南千畳から望む本丸天守跡。
城の規模は南北400m、東西100mの威容を誇り、今なお当時の規模のまま
残っています。
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北千畳。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/d5/88e56e5c40bc7be1d4af5a834a180890.jpg)
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竹田城の石垣は安土城や姫路城と同じ「穴太積み(あのうづみ)」で築かれています。
穴太積みとは大津市坂本町穴太に住む「穴太衆」が持つ石積み技法をいいます。
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雲海に浮かぶ竹田城。
竹田城最後の城主赤松広秀が切腹した後この城は廃城となりました。
天守閣はなくなり石垣のみが残されたひなびた風情が人の心をひきつけます。
さらに城下を流れる円山川と山頂との比高差が晩秋の早朝、雲海に浮かぶ城の幻想的な情景を生み出します。
ボランティアの人が言っていた「下が晴れていても城の上は時雨ている」。
これが雲海のことを言っていたのだと理解した。
ほんとに日本のマチュピチですね。奴隷制度
でもあったのかな?