晋ちゃんの気ままな散歩道

あっちこっち横道にそれたり休んだりしながら気ままに散歩しています。

スイスの山と鉄道の旅日記(8)

2007-10-07 08:42:23 | 海外旅行
8月28日(火) ゴルナーグラート山頂ホテル(マッターホルン) → ツェルマット




日の出は6時半頃と聞いていたので朝焼けのマッターホルンの写真を撮るべく展望台に集まったが雲が取れない。
展望台より下にある雲が取れないのだ。
地平線から昇ってくる太陽の光が雲にさえぎられて高い山の上までで届かないのだ。
6時45分まで待ったが駄目だったので各自部屋に引き上げた。

 


私の部屋はマッターホルンが真ん前に見える部屋のなので部屋に三脚をすえていつでもシャッターが切れるようにセットした。
何故こんなにマッターホルンにこだわるのか、「スイスアルプスの女王」言われるが私はむしろ「スイスアルプスの王様」に見える。
その人を寄せ付けない姿はその初登頂にまつわる悲劇にあると思う。
1865年(慶応元年)イギリス人エドワード・ウィンパーがマッターホルンを目指して7人のパーティーを組み7月13日ツェルマットを出発、尾根で一泊して翌14日昼過ぎマッターホルン初登頂に成功した。
しかし下山途中に4人が滑落して氷河ヘ、3人は遺体で見付かったが1人はいまだに行方不明、ウィンパーとガイド2人は生還した。
7人を繋いでいたザイルが咄嗟に踏ん張った上3人との間で切れことが原因で、旧式の細いザイルが強度不足から切断したことが分った。(切れたザイルは今山岳博物館に生還した3人の写真と一緒に展示されている)
そのためベテランガイドの親子が非難され裁判事件にまでなった。
素晴らしい山々の景色の裏にはこのように沢山の悲劇があることを改めて知った。












やがて太陽が雲の上まで昇ったがもう朝焼けではない。
それにてっぺんの雲がどうしても取れない、もう少し、もう少しと粘ったが最後までこの雲が取れず、これがベストの写真になった。
カミサンが「腹が減った」と言うので諦めて8時過ぎに食堂へ行ったら全員食事が終わっており私達の分だけが残っていた。




9時半にホテルを出て9時55分発の登山電車に乗ってツェルマットに下りる。

   
私達は1駅下のローテンボーデンで途中下車、マッターホルンに別れを惜しみながらハイキングすることにした。

   
マッターホルンが池に映る道を花の写真を撮ったりしながら約1時間歩く。ゲンティアナ・オルビクラリス (リンドウ科)花弁の鮮やかさと、茎の部分が殆ど無いユニークな花だ。




リフェルベルク駅に着いた。


駅近くのホテルでお茶を飲みながら次の電車を待っていたら突然空が曇り、激しい雷雨になった。
落雷の音と共に突然電気が消えた。10分あまりで雷雨が収まったので駅へ戻ると電車が止まっていた。
落雷で電車の送電も中断して信号が消えているため発車できない、復旧の予定は分らないらしい。
30分ほど待って電車は動き出した。
私達はハイキングの途中で雷雨に会わなかったがあとからずぶ濡れになった人たちが沢山下りて来た。


やっとツェルマットの町に戻ってきた。




街中のレストラン、「アレックス」で昼食。
チーズ料理「ラクレット」、上に電気ヒーターがあって硬いチーズを溶かす。
溶かしたチーズをポテトの上に掛けて食べるのだが仲々いける。
サラダ、ラクレット(とろけたチーズにポテト)、アイスケーキ。


ツェルマットの町は排気ガスはシャットアウト。
自動車は入ってこれない、手前の町で車を置いて電車で来るしかない。
街中の交通手段は電気自動車と馬車。

午後は自由行動、雨の中街中を歩いても疲れるのでホテルへ入った。
このホテルが旧館に新館を継ぎ足して増築したホテルで曲がりくねった廊下を抜けてエレベーターで3Fへ上がるのだがこのエレベーターがシンドラー製(シンドラーエレベーターの本社はスイスにある)、ボタンを押してエレベータが着くと自分で扉を開けて乗り込む。
最初エレベーターが着いたので扉が開くと思いジッと待っていたらまたどこか他の階へ行ってしまった。

夕食はホテルのレストラン、ファルファッレパスタのクリームソース、ビフグヤーシュ(煮込み)、チョコレートムース。
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