チューリップ (ウッッディの前庭 08-4-22)
もう終わりです。1人静かに咲いていました
雨なので予定を変更してゆったりと過ごし、午後から小降りになって花鉢の植え替えをしました。グロリオーサです。オーソドックスの赤に黄色の縁取りです。
広島高裁は「光市母子殺害事件の男性被告に「死刑」の判決が出ましたね。ホッとしました。もう9年も経っていたんですね。長いとは思っていましたが、そんなにたっているとは思いませんでした。
亡くなった方の年を数えても仕方が無いのですが、ご存命なら、弥生さんは30代の女ざかり、夕夏ちゃんは少しずつ女の子になっていく頃です。本村さんも大変でしたが、私は弥生さんを育てられたお母さんに思いが行きます。弥生さんの成長過程を思い出せば、夕夏ちゃんの成長は想像に難くない。辛かったでしょう、悲しかったでしょうと、子を産み育てた者として思いはそこに行く。
弁護人が20数人も付いた裁判、人の命を殺めた人に何故多くの弁護人がつくのかと納得できない思いだった。
「死刑廃止」を求めている弁護士達は、この裁判で、一気に「死刑廃止」に持っていこうという事のように思われた。
私には何故「死刑廃止論」が言われるのか解りません。人の命を奪った人が命で償うのは当たり前と思うのですが、近年は色んな理由をつけて犯人を生かそうとする。何の落ち度も、理由も無いのに、突然に命を絶たれた人たちの事は如何考えているのでしょうか?
所謂、無差別殺人が増えています。「誰でもよかった」と嘯く犯人を、当時の精神的な理由で弁護し、罪を軽くしようとします。「そのときの被告の精神状態は正常ではなかった」と言うのです。其れが罪を軽くする事の理由に何故なるのです?精神が異常でなければ目の前に居たからと言うだけで、人の命を奪おう何て事が出来るはずが無いのではないですか?
後に残された人が、この言葉をどんな思いで受け止めているのか考えた事はあるのでしょうか?私は如何しても「死刑廃止」を認めることは出来ません。人を殺めれば自分の命で償わなければならない、と言う箍が外れたら、益々「無差別殺人」が増えませんか?世界の国では「死刑廃止国」もあるようですが、だからと言って日本もとはいえないでしょう。
「冤罪」と言う事にもかかわりがあるのかも知れませんが、この度のように、本人も認めていたのに、「死刑廃止論者の弁護人」の入れ知恵で、意見を変え、二度までも「無期懲役」になった。「無期懲役」と言うのは、私は一生監獄で罪を償うものと思っていたのに、「恩赦」とかその他の理由で、生きて社会復帰をする事が出来ることを知り、その時から許せない気持ちになりました。
残されたご家族の皆さんは、真実を知りたいという事で、全て傍聴されたそうですが、どんなにお辛かったろうかと思います。特に弥生さんのお母様、娘が娘を生み、ご自分と同じ道を歩んでいたのに、その生活を見守る楽しみが突然断ち切られた。其れも未成年者であるという事で罪が軽くなろうとする事も考えられた、どうしようもない苛立ちや苦しみがあったであろうと察します。
「死刑」と言う結論が出ても、弥生さんや夕夏ちゃんが戻ってくるわけでは在りません。ただ、無念の心が認められたに過ぎないのです。9年もの長い間良くも耐えてこられました。酷い定めを持って生まれてこられましたが、どうか健康に留意されて、お二人の冥福を祈ってあげてください、としか私には言いようがありません。
もう終わりです。1人静かに咲いていました
雨なので予定を変更してゆったりと過ごし、午後から小降りになって花鉢の植え替えをしました。グロリオーサです。オーソドックスの赤に黄色の縁取りです。
広島高裁は「光市母子殺害事件の男性被告に「死刑」の判決が出ましたね。ホッとしました。もう9年も経っていたんですね。長いとは思っていましたが、そんなにたっているとは思いませんでした。
亡くなった方の年を数えても仕方が無いのですが、ご存命なら、弥生さんは30代の女ざかり、夕夏ちゃんは少しずつ女の子になっていく頃です。本村さんも大変でしたが、私は弥生さんを育てられたお母さんに思いが行きます。弥生さんの成長過程を思い出せば、夕夏ちゃんの成長は想像に難くない。辛かったでしょう、悲しかったでしょうと、子を産み育てた者として思いはそこに行く。
弁護人が20数人も付いた裁判、人の命を殺めた人に何故多くの弁護人がつくのかと納得できない思いだった。
「死刑廃止」を求めている弁護士達は、この裁判で、一気に「死刑廃止」に持っていこうという事のように思われた。
私には何故「死刑廃止論」が言われるのか解りません。人の命を奪った人が命で償うのは当たり前と思うのですが、近年は色んな理由をつけて犯人を生かそうとする。何の落ち度も、理由も無いのに、突然に命を絶たれた人たちの事は如何考えているのでしょうか?
所謂、無差別殺人が増えています。「誰でもよかった」と嘯く犯人を、当時の精神的な理由で弁護し、罪を軽くしようとします。「そのときの被告の精神状態は正常ではなかった」と言うのです。其れが罪を軽くする事の理由に何故なるのです?精神が異常でなければ目の前に居たからと言うだけで、人の命を奪おう何て事が出来るはずが無いのではないですか?
後に残された人が、この言葉をどんな思いで受け止めているのか考えた事はあるのでしょうか?私は如何しても「死刑廃止」を認めることは出来ません。人を殺めれば自分の命で償わなければならない、と言う箍が外れたら、益々「無差別殺人」が増えませんか?世界の国では「死刑廃止国」もあるようですが、だからと言って日本もとはいえないでしょう。
「冤罪」と言う事にもかかわりがあるのかも知れませんが、この度のように、本人も認めていたのに、「死刑廃止論者の弁護人」の入れ知恵で、意見を変え、二度までも「無期懲役」になった。「無期懲役」と言うのは、私は一生監獄で罪を償うものと思っていたのに、「恩赦」とかその他の理由で、生きて社会復帰をする事が出来ることを知り、その時から許せない気持ちになりました。
残されたご家族の皆さんは、真実を知りたいという事で、全て傍聴されたそうですが、どんなにお辛かったろうかと思います。特に弥生さんのお母様、娘が娘を生み、ご自分と同じ道を歩んでいたのに、その生活を見守る楽しみが突然断ち切られた。其れも未成年者であるという事で罪が軽くなろうとする事も考えられた、どうしようもない苛立ちや苦しみがあったであろうと察します。
「死刑」と言う結論が出ても、弥生さんや夕夏ちゃんが戻ってくるわけでは在りません。ただ、無念の心が認められたに過ぎないのです。9年もの長い間良くも耐えてこられました。酷い定めを持って生まれてこられましたが、どうか健康に留意されて、お二人の冥福を祈ってあげてください、としか私には言いようがありません。