ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

幸せを考える

2008年04月13日 | 新聞から
             西洋オダマキ
       こぼれ種の花ゆえ 一重が多いようです。
        大好きな八重が咲けばと待っています

午前中は暑からず寒からず、鉢植えの植え替えを少ししました。やっぱり土を変えてやると、生き生きとするのです。でも年々遅れ気味です。寒いの、暑いの、腰が痛いの・・・と理由をつけて、ただ怠け癖が付いているだけなんです。

夕方からは雨になりました。植え替えた鉢花にとっては恵の雨です。ありがたいことです。

<幸せに気づかない日本人>と言う題で14歳中学生がこんな文章を書いています。

『「今、自分はとても幸せ」と感じている人は数少ないと思う。学生である私も同様だ。家族や友人に恵まれ、衣食住がみたされて学校へ通う毎日を、当たり前に思っているからかもしれない。

しかし、この当たり前のことがどれだけ「幸せ」なことか。人は気づくことも、考える事もなく、一時の欲望や希望がみたされたときだけを「幸せ」と思い込んでいる。

今、世界の8割の人々が貧しい生活を送っている。学校どころか、日々の食べ物や飲み水の確保に苦しみながら、必死に生きている。

こんな地球の現実を知れば、私たちは、「幸せを感じない」などと軽々しくは言えないはずだ。

もし日本全体が、食料や水にも困るほどの貧しさにあったとしたら如何だろう。今の現状がどれほど「幸せ」な状況にあるか、はっきりと気づかされるだろう。

私たちは、世界に目を向け、まず自分達の「幸せ」に気づくことが大事だ。その上で、他人を幸せにする手助けをしなければいけないと思う』

う~ん、私達が中学生の時こんなグローバルな意見を持つ事は無かった。これはやはりテレビや読み物の良い意味での影響だろう。

世界史で国名だけは知っても、その国の国内状況など考えた事もなかった。私が、国内外の歴史に興味が無く、一夜漬けの勉強しかしなかったからかも知れないが、たとえ、興味を持ったとしても、中々資料は無かったのではないか、と思うが、違いますか?

先日、徹子の部屋で、親善大使の徹子さんの活動報告のテレビを見ました。今だに、世界には飢えで、病気(栄養失調で体力が無い)で5歳までに死んでいく子供が大勢居るんです。今の日本では考えられない事です。

今の日本には愛の欠落と言う恐ろしい病気が出てきました。子供が邪魔になるからと殺してしまう親、自己中な考えから親を恨んで殺す子供。

何らかの理由で、生まれてくる子を育てられないという親の相談の場として設置された、熊本県の慈恵病院、赤ちゃんポスト、こうのとりのゆりかごはどうなっているのでしょうか?

2007年4月設立といいますから、早一年が過ぎたわけです。この一年間に預けられた赤ちゃんは、親の迎えを待つか、欲しい方に貰われていったか、いずれにせよ、ポストに置かれたことで、幸せが待っていたのでしょうか。

それにしても、趣旨に賛同して、後に続く病院が続出するのかと思っていましたが、その話は聞こえて来ません。やはり国民性と言うか、外国のようには行かないのでしょうか?

徹子さんの報告でも井戸を掘って、私には泥水としか見えない水を飲まなくてすむ地方が増えている様です。募金もどんどん集まっているようです。頂いたお金にお礼のハガキを出さないのは、その金額で、注射が出来て、子供が助かるからだといっていました。

テレビは世界の苦しみだけではなく、美しさも伝えます。グローバル人間を作る良い機器です。

コメント (4)
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