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ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

お祖母さんと孫娘

2007年04月20日 | 新聞から
              平野神社
         突羽根櫻(つくばね)の咲き始め
            花の開き方が珍しい
        小さな凝縮された花(写真)が成長して
         薄紅色の大きな八重の花になります

先日、漢字の成り立ち、間違った使い方等を教えてくれる「いきいき漢字熟」に申し込みました。大勢の希望者のある人気講座で、何時も抽選という事で、抽選番号を貰って待っていました。17日が抽選日で午後3時ごろ電話で問い合わせてくださいと言う事でした。

昨日19日確かめの電話を入れましたら、「今回は抽選は無く全員お受けしていただく事になりました」と言うお返事でした。それを聞いて、もしかして、面白いと言うのは聞き違いで、つまらない講義ではないのと言う疑問が浮かびました。何だかがっかりの気持ちなんです。でも折角だから一度行ってみようと、明日締め切りだと言うので、今日、唱歌の学校に行く前に、手続きしようと、福祉センターに行きました。

「いきいき漢字熟の手続きに来ました」出してこられた名簿を見ると、ずら~と名前が並び、大方がピンクのマーカーで消されている。「???」「今回は217名さま全員の方に受講していただく事にいたしました」私の憂鬱だった心がぱっと晴れた。やっぱり人気番組なんだわ、面白いんだわ」人間の複雑怪奇な心の変化でございます。

これで振込用紙を頂、指定された銀行(近くにある)に払い込みに行って、手続き終了。其の振込用紙には、振り込むべき私の住所氏名が全て記入されていると言う親切さです。さすが老人福祉センターだと思いましたが、老人と付いているのが何となく嫌だな~。5月から9月まで15回の講座が始まります。楽しみが増えました。

           ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

今日は「お祖母さんと孫娘」のお話。何故孫息子が出てこないのでしょうね。

「ホームで生きる祖母を応援」嫁いだ35歳の孫娘

『92歳になる祖母が入所して早4年。それまでは母が寝たきりの祖母を世話してきた。近くに住む私も、仕事が休みの日は手伝いに行った。想像以上に大変だった。母としては世話をしてあげたいと思っていたようだが、体力的に精神的に限界で、入所することになった。母は祖母の所に良く面会に行っている。私も子供をつれてお花見や、クリスマスパーティーのどのイベントに訪問させてもらっている。その日のため入所者は歌などを練習し、当日はお化粧をしてもらい、おそろいの服を着て緊張して待機している。・・・中略・・・家族が来てくれているのか、不安と楽しみでそわそわしている。手を振り合図すると安心したようだ。歌ってる姿を見ていると涙が止まらなかった。スタッフの方への感謝の気持ちや祖母が子供のように代わってしまった事など、色々な気持ちがあふれ出した。家族に案内を出しているのに来てもらっていない人が大勢居る。老いた親達の姿を見て欲しいと、思わずには居られなかった』

このお祖母さんも又幸せな人だ。娘さんかお嫁さんか知らないが、優しい人だから、その子(孫娘)もお祖母さんに優しくする。これは順番に続く事で、人に良くしておけば、自分も優しさに出会えると思っていたのは間違いかな~?とも思うようになってきた。人と人の繋がりは相性にも左右される、自分は義父母を放棄しても、よいお嫁さんに恵まれている人を見るにつけて、そういう事もあるんだと変に納得している自分が居ます。

施設に預けて楽している分、仕事とはいえお世話くださる施設の方に対する感謝の気持ちの為にも、イベントの時位は面会に行ってあげて欲しいと私も思います。

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GWの予定

2007年04月19日 | 新聞から
             原谷苑
         御衣黄(ぎょいこう)桜
        黄色が紅色に変化すると散る
    変化するのはアジサイばかりではないようです

昨日と打って変わって、良いお天気です「今日も原谷苑のさくらはまだ綺麗だろうな~」「う~ん、もしかしたら、あの時もちらちら落ちてきたけれど、今日ははらはらぐらいかもしれないね」2人の脳裏にはまだ「紅しだれ」が居る。

あの桜が吹雪のように舞い落ちて、地面が薄紅色に染まっている光景が私の頭の中にある。開場と同時に入場して、桜の絨毯の上を踏んでみたい、そして床机に腰掛けて、若葉の芽吹いた木々と花びらの海を眺めて見たい気がしている。

          ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

寒い寒いと言っている内にゴールデンウィークがやってきます。連休は人がいっぱいなので遠出はしないで、家に居ようと思うのですが、だんだんと休みの期間が長くなって、1週間も2週間も家に居る事になりそうだ。とても堪らんな~と、ジムにでも行くかと思うが、此処も日頃はお勤めの人で込みそうだ。お稽古事も休みだし、天気も良いしとなれば、何か予定しておかなければと、読んでいる新聞主宰の美術館の招待券を貰うように手配した。これで一安心。

「GWプラン」のテーマの投稿でこんな記事を見つけた。

「祖父の朝食作りに充てたい」中学生13才の女の子

『家庭科の授業で作った「フレンチトースト」私は今まで全く料理をしませんでしたが、祖父に作ってあげたところ「おいしい、また作ってほしいな」と言ってくれました。其の時私は本当にうれしくて、また必ず作ってあげようと思いました。私のゴールデンウィークの一つに、朝、苦手な早起きをして、近所で1人暮らしをする祖父のために朝ごはんを作るという考えがあります。料理が苦手な私ですが、祖父の役に立てることができればうれしいし、何より、ふだんからお世話になってばかりの祖父に感謝の気持ちを込めて、朝ご飯を作ってあげたいです。今、私は、家庭科の教科書や料理の本などをたくさん読んでいます。「おいしそうだなあ、いいなあ」と思ったメニューはチェックしています。栄養バランスを考えたおいしい朝ご飯を作って祖父に感謝する、そんなゴールデンウイークにしたいです。』

何と優しいお孫さんでしょう。世のお祖父さんがこの文章を読めばきっと「うらやましい」と思われたことでしょう。なかなか今の時代、孫娘にこんなに思ってもらえるお祖父ちゃんは居ないです。核家族化が進んで、夫々が夫々の塊で生活しているので、この様な気持ちが生まれないのが現状です。

いまどきのお子だと思ったのは「栄養のバランスをかんがえて」と言う所です。13才といえば、私は母が働いていましたから、自分で作る時もありましたが、栄養のバランスなんて考えた事もありません。今のように出来合いがありませんから、母のを見よう見まねで作っていたのでしょうが何を作ったか覚えていません。

今のお母さんは働いていても、出来合いがありますし、冷凍食品もありますから、子供に作らせると言う事が無いかもしれません。それは親にとっても子供にとっても折角のチャンスを逃して勿体無い事だな~と思います。今は女の子も大学に行く時代、受験に専念させる為に手伝わせない家庭が多いのではないでしょうか。

でもこの女の子はお祖父さんの喜びで、料理はこんなに人を喜ばせるものだと知ったら、受験時代に入っても、気分転換に料理をするのではないかな~と思いますが、どうでしょうか?

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笹部新太郎さんと桜

2007年04月18日 | 花物語
              原谷苑
       手前が「御室桜」(白)奥が「紅しだれ」
            上品に紅白競演

桜は何時のころから私の心に入りこんできたのだろうか?「桜が咲いた。綺麗だね」位だった。平安神宮の桜は、谷崎潤一郎の「細雪」の舞台であるから、本からの興味で見に行ったので、桜自身に興味があったわけではない。毎年、市内の桜で満足していたし、遠出と言っても夙川の桜で満足だった。

水上勉の小説「桜守」のモデルといわれる笹部新太郎氏は大学時代から桜に興味を持ち「桜の神様」と言われる人になった。研究の拠点は、兵庫県宝塚市、現JR武田尾駅付近の亦楽山荘(えきらくさんそうの名は漢詞から名づけた)だった。山荘といっても建物ではなく桜の演習林のことである。此処は笹部氏が桜の品種保存や接木の研究用に作ったものだ。

笹部氏は「ソメイヨシノ」を余り好まなかった。「染井吉野」は「吉野桜」を東京染井の植木屋さんが売り出し、成長が早く丈夫な為たちまち全国に広がり、「山桜」「里桜」が廃れていった。それを心配した笹部氏が「山、里桜」の保存に心血を注いだ理由である。

笹部氏を有名にしたのは、何といっても、御母衣ダムの底に沈む予定の樹齢400年と言う桜の老木の移植である。笹部氏は依頼を受けて、現地調査に行きもう一本の老木を見つける。誰もが無理だといった桜の移植を成功させた。桜1本は42トン、もう1本は38トン、一ヶ月掛けて、一本の枝も折らない様に(桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿)と移植した。移植は成功し「荘川桜」として、翌年から、今尚,美しい花を咲かせている。昭和35年、笹部氏73歳の時である。御母衣ダムの側は何度か通ったことがあり、老木を目にした事があるが、花の時期に行ったことは無い。

笹部氏の手に掛かった桜は「造幣局の通り抜けの桜」「夙川の桜」「仁和寺の御室桜」等有名な桜もそうである。2,3日前に新聞報道があったが、「仁和寺の御室の桜」が背が低いのは「何故か?」と言う研究がされるそうです。

山、里桜が30種5000本の植わった亦楽山荘は笹部氏の死後荒れたらしい。今は宝塚市の所有で「桜公園」と名づけられ、現在は「桜守の会」が月二回の手入れをしている。

西宮権現平桜は本家は居ないが笹部氏が残した苗から、西宮植物生産研究センターなどの尽力により、戦時中に伐採された、途絶えた桜がバイオ技術で甦ったのである。「この桜こそ今日の日本の桜の品種改良の基盤となる」と笹部氏は言っている。今この桜は、夙川、甲山付近にもあるそうだ。西宮市の至るところに植えられていると言う。8年間も西宮に通いながら知らなかった。桜は西宮は夙川などに固まっていると思っていたが、「至るところにある」と言う事は私の思い違いを意味するのだろうか。

カスミサクラとオオシマサクラなどの里サクラの交配種が「笹部桜」である。
「笹部桜」は皇居吹上御所の内庭に5本あるそうだ。宮内庁は皇族への献上品は大抵断るのであるが、植物に関心の深い昭和天皇が何かの本で「笹部桜のことを知っておられて「笹部が作った桜なら貰っておこう」と言う事で受け取られたそうだ。

亦楽山荘は「山荘めぐり」と名づけ1.1キロ自然種の山桜ガ続いている。此処も又行ってみたいと思っていた所だ。兵庫県は我が県であるし、近いのだから行き易いだろう。

原谷苑の散策中、フッと亦楽山荘のことを思い出したのである桜の種類は違っても、この様に自然林の様かな~って。来年の一押しはここかな~。


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京都 原谷苑

2007年04月17日 | 一寸そこまで
             紅しだれ桜
          きれい きれい 美しい
     あの美しさを写真ではお見せできないのが残念

朝5時ごろから目が覚めてしまった。何年越しだろう、行きたい行きたいと思いながら、何だか逃していた「紅しだれ桜」に会いに行く日です。本当は昨日の予定でしたが、雨の為一日延期しました。

原谷苑は個人の所有なので、開花情報にも出てきません。やっと見つけたHP を毎日見続けました。中々見頃のサインが出ない。「二条城と同じ頃」と聞いていたが、二条城が満開になっても、予報が出ない。やっと13日に予報が出たので、電話をしてみた。電話の向こうでも「紅しだれも見頃になりました」と言っている。

過去のデーターを見て、16日頃に行こうかな~と計画していた。計画通りに行けそうだと思っていたら、今度は天気が怪しい。16日は雨との予報で諦めた。朝雨が降る事は降ったが、10時頃には上り、薄日が差し始めた。行けたんじゃないかしら? こんな日の方が人出が少なくて良かったんではないかしら?等、一日中落ち着かなかった。直ぐにでも行きたい気持ちを抑えるのに苦労した。

遠い所だから、最高の条件で楽しみたいと言う気持ちが勝った。行った友人知人は「あそこは特別だ」「入場料は初めは高いと思ったが、中に入って、お金は惜しくないと思った」等絶賛である。

入場料は平日は咲き具合によって300円から1200円(休日は1500円)と値段が変わると聞いた。この時だけは平日1200円の頃に行きたいと思った。でも心の隅では、やっぱり一寸高いな~と思っていた。

でも、今日、平日1200円を払って入って「うわ~!」と言ったきり言葉が無い。目の前一面、桜のベール、風にそよぐ桜のカーテン、桜の襖絵・・・。平地に行儀良く植えられてるのではない、起伏のある土地に枝か重なり合うように、紅しだれが咲いている。其の根元には、連翹、八重、一重の山吹の黄色が良くマッチしている。雪柳も負けじと咲いている。珍しい色の花ボケ、三つ葉つつじの白、吉野のつつじのピンク、早いものでは石楠花が咲いていました。

紅しだれの真ん中に御室の桜の白がまじり、所々にしだれ桃も、何と言ってもハッとするのは小さな薄紅色の紅しだれに混じって咲く、紅色の桜が効果満点。

何人の方のシャッターを押してあげた事か。レンズの中の人は皆笑顔。案外1人で来ている人が多いのに気付いた。東京からの人は「朝一番の新幹線に乗って、まっすぐ此処に来た。去年も来たけれど、又見たくなって・・・」凄いな~と思った桜に会いに東京から、去年も、今年も・・・。北海道や九州からもこの桜を見るためにやってくる人があるそうだ。

此処は桜の時期だけ開いている。そのほかの時期は桜を丹精する為の月日なんだ。
野生ではない人手によって守られているのだが、さりとて、醍醐寺の桜とは又違う、野生と人工の中間に位置する不思議な空間である。

平野神社も綺麗だ、此処にしかない種類の桜があるとテレビが言っていたので、帰り道なので寄った。確かに変わった桜が咲いていた。しかし、あまりに素晴らしい桜の波を見た後なので、感動が薄かった。本当は此処は此処で素晴らしいのだけれど、頭の中がまだ原谷苑の紅しだれに占領されている為、心が燃える事ができなかったのだろう。

明日は中田さんちの「一葉さくら」を見に12人集まる事になっている。天気も怪しいし、今日添付写真が送られてきたのを見ると、この寒さで、蕾のままでチラホラ咲きのようだ。個人なら日延べも出来るが、団体なのでそれも出来ない、仕方が無いので「話の花」でも咲かせてきましょう。
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イルカ漁(続き)

2007年04月16日 | 気にかかる
            フリージャー
       平凡な花色だが、世話要らずだし
           仏様用に重法

昨日、三重県で震度5の地震があった。我家でも体感した。昼ごろだったと思う。
窓の外のテントに上から水をバサッと掛けたような音がした。「あれ! 何?」と思っていると、体が揺れるような気がした。「脳に血が上った?眩暈か?」でも「いや待てよ、頭はすっきりしてるよ、何だか違う?地震だ!」電燈の紐を見るとゆっさゆっさと揺れている。何かコツンコツンとものが当る音がする。玄関に目を転じると壁に掛けてある1mほどの姿見が左右に揺れて壁に当っている。相当強いし、時間も長い。久し振りの強い地震だ。

私は動かないと決めてソファーに座っていた。数分後、神戸に行っていた主人から電話が入った。「今、地震あった?」「今何処?」「電車の中、地震があったからって電車が止まった」斯く斯くしかじかでと説明する。やっぱり、久し振りの強い地震だったんだ。

          ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

昨夜「イルカ漁」の事を書きながら、「URL」を貼り付けようかと迷った。映像を見ていただき、残酷な事実を知ってもらいたいと思う反面、書くだけで良いのではないかとも思ったり、地名も実名を書こうかと迷ったりしたが、結果的には書かなかった。

主人は「URL」を張った方が良いと言う意見だが、映像だけで真実と分かっていても、其の背景の事情や、人様のブログから転載して良いのか、私には分からないかった。

一番若い友人の「ぽてちさん」に電話して聞いた。電話が外出先だったので「家に帰って、其のブログを見てから・・・」と言う事になった。

メールが届いた。転載に関しては問題ないという事。ありがたいことに「イルカ漁の映像」に関する記事も探し出してくださった。

『この映像が撮られたのは1999年10月13日である。2000年以降はこうした漁は行われなくなりました。このイルカ漁は本来食用を目的としたものです・・・中略・・・同時に都市圏の水族館へのイルカ供給源でもある・・・中略・・・捕獲されたイルカの中には人工環境に適応し天寿を全うするものも居ますが、多くは数年以内に死んでしまいます。水族館だけの繁殖にも限度があり、定期的に野生から補充する必要があるのです。このときの漁は、食用のに先立って、水族館向けの捕獲がまず行われました・・・中略・・・水族館のスタッフたちは、若く、体表に傷痕の少ないイルカをまず選んで捕獲を試みます。しかし、中には人間に無理やり押さえつけられるストレスのため、捕獲したその場で死んでしまうイルカもいます。水族館のスタッフたちは、彼らの手中で死んでいくイルカに、何を思いながら作業を行っていたのでしょう。当日も4頭のうち2頭が捕獲直後に死に、食用として解体されました。水族館用の捕獲が済むと、残された仲間は食用として解体されました。・・・わが国は世界有数の水族館保有国です。そして、多くの施設が、一定の集客力を見込めるイルカを導入しようとします。多くの観客も、水族館のつき物としてイルカショウーを求めます』

捕獲量年間1万6千頭の数字は如何考えれば良いのだろう。捕獲日が決められているとしても、相当の回数行われてると思う。1999年から実際に捕獲が行われなかったとしても、水族館用のイルカの必要量は、どの様に捕獲されているのだろうかと言う疑問が残ります。

いずれにせよ子供の大好きなイルカショウに必要な分だけ捕獲して、食用にはしないで欲しいと願わずには居れません。 ぽてちさん有難うございました。
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イルカ漁

2007年04月15日 | 気にかかる
             霧峰スミレ
        肥後スミレよりもっと小さい
    これは葉っぱも小さい、首をス~ト伸ばして咲く
       ホトトギスのような斑点が可愛い
        しげこさんっちよりお嫁入り

イルカといえば、水族館で芸をして私達を楽しませてくれる賢い生きものと言う感覚しかなかった。その私に晴天の霹靂の事実が飛び込んできた。

イルカの肉をクジラの肉として売っていると言うのです。とても信じられません。でも映像がそれが真実である事を映し出しています。大和煮と書かれたもの、ジャーキーと書かれたもの、全て「くじら」の字が前に付きます。

クジラは今は少なく、高価なので、たまに関東煮に入れる「ころ」を買うぐらいですから、クジラと証したイルカが売られているとしても食べていないと思うのですが・・・。

私が毎日訪問しているブログに書かれていたのです。イルカを食べる事に対してのバッシングの映像と記事が、アメリカを中心に広まっていると言うのです。日本政府に抗議をしようと言う事と映像がセットでネットを通して広がっているのだそうです。

信じられない気持ちで映像を見てみました。今の今までイルカを食べるものの対象として見ていなかった、人間に近い頭脳を持った生きものであると信じて疑わなかった私にはとても見るに耐えない映像だった。

流れる説明は英語なので分からないにしても、最初にいるかの大群が写る。日本の近海にこんなに大量のイルカがいることすら私は知らなかった。

二艘の船の間の網には大量のイルカが捕らえられている。銛で突いて船に揚げたり、クレーンで吊り上げたりしている。地上ではイルカの目と前ヒレ?の中間辺りを鎌の様なもので叩き切る。大量に流れる血、もがくイルカ。それを横目に通る人。トラックの上でもまだ息絶える事の無いイルカが暴れるので血塗られる車。まだ酷いのは軽トラックの後ろにつながれ引きずられて大地を血に染めていくイルカ。

こんな事が日本で行われていたなんて知らなかった。この映像を見たらそりゃ日本人は何て野蛮だろうという事になるだろう。イルカの年間漁獲量は1万6000頭前後らしい。ブログの主は言う年間3500万頭の牛を食べているアメリカに言われたくないと。勿論イルカ漁は止めて欲しいと願うけれどと。

牛、豚、鶏と他の生物の命を貰って食としていることは間違いないが、それは食料として飼育されている。クジラの捕獲量が制限されている事は知っているが、食べる量を控えれば良いと簡単に考えていた。イルカ漁はこのクジラの制限に関係ないのだろうか。其の映像が写された地方、日本の漁港をネットで調べてみた。イルカ漁については一言も触れていない。綺麗な海、ダイビングの宣伝のみだ。映像で見た大量のイルカの血で真っ赤に染められた浜辺とは対照的である。

私は知らなかったが、以前「ケンタッキーフライドチキンの契約養鶏施設の虐待映像」が流された事があるそうだが、其の映像と「その他の家畜や動物達の虐殺映像」も見ることが出来るようになっていたが、私はとても見る気になれなかった。

イルカが日本に近寄ってこなければ、捕われる事が無いのだから、どうか近づかないでと祈りたい。イルカは賢い動物だと言うのだから、一頭でも逃げ帰って、日本に近づくな!と仲間に伝えてくれないだろうかと大真面目で考えている。

捕獲業者もそれで生きているのだけれど、イルカをクジラと偽って売るなんて、いけない事だと思う。胸の塞がる悲しい夜になりました。

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さようなら 婦人会

2007年04月14日 | 今日この頃
            ゼラニューム
          5~6色あるうちの一色
        八重あり一重あり育て易い花です
          四季咲きなのも助かります

「春霞」が何故起きるか? 三つの条件がそろうと起きるそうです。①水滴(空中に)②花粉(今の時期は桧)③黄砂だそうです。今の時期三拍子そろうので「春霞」が起こり、遠くが見えなくなるそうです。

「春霞」と言う言葉が使われるのは「午前中」だけ。午後からは、同じ状態でも、表す言葉は「朧」と変わるんですって。「朧月夜」と言うのは月の周りがはっきりしない状態を言うとばかり思っていました。違うんですね。状態ではなく、時間帯を言うのですね。

この状態をすっきりさせるのは雨なんですって、雨がクリーニングしてくれるそうです。

           ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

婦人会の総会でした。私にとって婦人会最後の総会でした。70歳定年制はどうやら引っ込めたようです。でも若い世代の入会を望むと言う事でした。

年齢層の幅を広げたいと言うことです。公園で遊んでいる子を見ても何処の子か分からない。そんなことの無いような、地域に密着した会を作りたいと言う部長の言葉でした。

公園で遊ぶ子の親は「婦人会」ではなく「子ども会」だと思うよ。「子ども会」は名目は子供中心だが、其の親と親の親睦の目的もあると思う。一寸勘違いしている。「子ども会」を卒業した親達の集まる場が無くて作った会だもの。40代前半に立ち上げて、30年近く、今まで続けてこられたのは、会員が楽しかったからだと思う。

今までのように外に出歩く事はしない、お食事会もしない(新年会ぐらいはある)そうだ。するのは「花作り」「小物の編み物」「石鹸作り」など手仕事をお茶を飲みながら、すると言う事らしい。行動範囲は町会内、お金も掛からないしと言うことらしい。

若い人に入ってもらう為には、忙しい若い人が集える「お茶会」にするそうだ。忙しい人が、お茶のみに集まるの?お茶のみ友達って老人だと思っていたわ。話を聞いていると若返りを願っている割には、することは年寄りくさい。

私の様に1人で何処へでも出かけられる者は良いけれど、人によっては誘われないといけない人も居る。今までの婦人会の遠出を楽しみにしていた人は多いはず。
勿論、下見から、当日の気遣い、並大抵の事ではない。しかし、地域を出て、同じ経験をすることで親しみが深まると私は思っている。

今日も遠出の希望が出ていたが、世話が大変なのでと却下のようだ。会員が年を取っていくと遠出は世話が大変な事は分かります。でも、それなら「老人会」と同じになってしまいます。今までは年に数回は遠出をしてきました。「百聞は一見に如かず」見分を広げられる事はとても良い事でした。話題も豊富になります。地域に閉じこもるばかりだと、お茶飲んで、近所の噂話とテレビの話題だけにならないかな~。

新しい位置づけになるようです。私達が立ち上げた「婦人会」とは異なり「町会所属の婦人部」になるようで、トップも「会長」ではなく「部長」となるようです。

私達が年を取った時、近所で仲よく行動を共したいと思った趣旨と又違う方向に進むようですが、其の基盤を作った私達はたいした者だと自画自賛してお別れです。

やはり遣り切れない寂しさはありますが、まだまだ行動できます。趣味を同じくする地域の方とのコミュニティを作れば良いんだわ。 新しい方針に合わず、退会を余儀なくされた皆さん。頑張れ!
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音痴

2007年04月13日 | 気にかかる
             肥後スミレ
          小さな小さなスミレです
          直径1cmあるでしょうか
            葉は大きいのです

「花散らし」の雨。予定通り強い雨と風のようだ。明日の朝は「桜の絨毯」が敷き詰められているだろう、なんて気象予報士の方。

本当に散っただろうか?でも短時間で止んだよ。もう一箇所どうしても行きたいところがあるのに。毎年願っていながら何故かいけない所が。昨日やっと「見頃になってきました」と電話案内が言っていたのに・・・。今年も駄目かな~。ご縁が無いのかな~。

          ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

唱歌の学校からの帰り道、昨日の今日なので疲れているので楽な「さくら夙川」から乗ろうと(行きはいつもどおり西宮下車)先週とは違う道を通ってみた。先週の道は花が無くつまらない道でしたが、今日の道は花いっぱい、あちこちの庭や門前に沢山の花が咲いていた。同じ一角なのに、如何してこうも違うのでしょうか?お隣が綺麗な花を咲かせていると、私の家もと良い連鎖反応が起きるのでしょうか?そんなことを考えながら歩いていますと、アッという間に駅に着きました。

「ワン・ニャー・ブーブー・コケコッコー」と言うボイス・アンサンブルのお稽古を歌の間に挟んでしています。これは瞬発力の練習だそうで、小学1・2年生用だそうです。犬、猫、豚、鶏の鳴き声で出だしが輪唱のようにずれて出るのですが、一拍休んで相手の休符点に入りこんで、交互に入ったりと、半拍が入ったりと複雑に(私達にとっては)入り乱れているので、中々上手く合わない。4組に分かれているのですが、どうしても上手くいかない組がある。私の組ではない。「リーダーが居ると纏まって付いて行くのだけど」と言われる。やはり何でも芯が必要なんだ。

私は今「アルト」に助っ人に来ている。発表会の時だけ、順番に「ソプラノ」から3~4名貸し出される。もう8年になるのに、私達のクラスに「音痴」の方が居るのに初めて気付いた。「アルト」に居たのだ。だから気付かなかった。

何時もは席が離れているので分からないが、先日花見に行った時、隣だったのだ。
「何だか変だ」「何だか違う」という事は分かっていても堂々と歌う彼女が「音痴」だとは気付かなかった。私は歌うことが好きな癖に楽譜が読めない。だから、まだ覚えきらない時点では、自分が間違っているのだと思っていた。

所が先週、どうしても音の外れている人が居るという事で、何度も同じところを歌う羽目になった。突然彼女が「何処が外れているのか、それが分からない」と言い出したのである。普段から喋る人である。その時に彼女は自分が音痴だと知っているのだと気付いた。

先日のように遠慮せずに、違った音程で歌うのである。隣の人は堪ったものではないだろう。「カラオケ」では時々音痴の人に出会ったことはある。でもそれは5分間の辛抱である。しかしコーラスともなれば、表面的には多数の人に声でかき消されているかも知れないけれど、はた迷惑である事は間違いない。

編み物を指導している時も、編み目の揃わない人が居た。出来上がりもげっそりするほど穢い。でも編み物が好きでたまらないようだった。この場合は自分で着るのだから、人様の迷惑にはならないが、この人と同じような気持ちなんだろうか?「分かっちゃ居るけど、やめられない」って。

先生が言われるには他のクラスにも居るって。「余りきつくはいえないし・・・」そりゃそうでしょう、止められると困るんでしょう、先生のメシの種だものね~。

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都をどり

2007年04月12日 | 思い出話
             ユリオブスデージー
              並んだ~並んだ~

「都をどり」を見に行ったんです。婦人会の二期に渡る委員の皆様の慰労会です。総勢15名(一名欠席)、驚いた事に、皆さん初めてだそうです。京都が近いので何時でもいけると言う事からでしょか?

かくゆう私も結婚してからは初めてです。戦前にも行ったようですが、それは母の語る話で私自身には覚えがありません。中学2,3年の頃だと思います。戦後始まった「都をどり」の券を頂いたとかで、つれて行ってくれました。其の時もお茶席付きでした。

今日もそうだったのですが、私が覚えているのは畳のお部屋だったと思うのですが、今日はカーペットが敷いてあって、靴のまま、それも200人ほどが一度に「芸者さんの立礼のお点前」を見るというものでした。母と行った時は、少数で舞妓さんが前まで運んできたと記憶しているのですが、今日は、最前列の右端の方の前にだけ舞妓さんが運んできて、後はお茶子さんが運んできます。

お菓子はとても美味しかったです。和菓子の載ったお皿はお持ち帰りできるのは昔も今もかわりありません。しかし昔のお皿に比べて、今のお皿は手が込んでいない。昔のお皿は波紋の様なスジが入っていたと思うが、今日のは申し訳に一本のスジが入っているだけでのっぺりしている。

戦後見に行った時、私は母に「舞妓さんになりたい」と言った。何も知らないで、綺麗な着物で舞を舞いたいと思ったのだろう。母は丁寧に答えてくれた。「舞妓さんは祇園に生まれた女の子しかなれない事、小さい時から、踊りだけではなく三味線等、色んなお稽古をしなければならない事、見た目は綺麗だけれど、大変なお仕事である事」など教えてくれた。

結婚して間もなく、偶然に台所のラジオから「祇園の舞妓に成り手が少なく、一般の家庭からも、希望者を募る事になった」と言う放送を聞いた。過っての事を思い出し、今10代だったらなれるんだと思った。だから今の舞妓さん、芸者さんは置屋さん、お茶屋さんのお子だけではなく一般の家庭の子も居るはずである。

囃し方の芸子さんはさすがに粋な方ばかり、同じ女でも惚れ惚れします。殿方がお通いになるのは無理も無い。

舞妓さんの群舞を見ながら、私は10年ほど前のことを思い出していた。2年前まで所属していた会の世界大会が、其の年、日本で行われる事になった。其の前夜祭のレセプションで日本舞踊をすることになり、会誌にメンバーの募集が載っていた。入会間もない私だったが、踊りたい気持ちが抑えられず、クラブ会長に申し出た。他のカウンスルの主宰ゆえ、自分で手続きをするようにといわれ、私は自分で申し込んだ。なるほど、他カウンスルからの参加者は私だけだった。

15、6回位は練習場に通ったと思う。稽古は楽しかった。日舞のおっしょさんが教えに来れれ、元宝塚に居た方が纏め役で、見ていてダメ押しをした。おっしょさんは「いつも笑顔で踊ってください」って常に言われました。踊りの最後は扇で会の略字「ITC]の文字で締めくくります。私は{C]の一員でした。

浴衣も帯びもそろえました。この会での一番の想い出はこの踊りに参加した事だと思います。其の時のお仲間と年賀の友になっている方もいます。

遅い昼食は「かご盛り弁当」でした。籠の中には20種類の盛り合わせだが、目に付く色は「菜の花の緑」「卵焼きの黄色」で、何となく全体に茶色っぽく、目で食べる京料理としては色彩感覚が悪い。

帰りに「おつけもの」を買って、我家に急ぎました。
                        (350回)
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石原知事の発言の功罪

2007年04月11日 | 新聞から
            (見~つけた)
        何て繊細で可憐な花でしょう
          リンゴと同じですから
         花後に実がなるそうです
             楽しみです

東京都知事に再選された石原さんが、兵庫県井戸知事に関して『神戸の地震で(自衛隊派遣を求める)首長の判断が遅かったから2000人の余計な人が死んだ』と発言した。

他事ではなく我が県の事である。「えっつ!そうなん!」と思った。単純に信じたのは、隣の伊丹に駐屯所があるのに、何だかもたもたしていた記憶があるんです。けが人の受け入れ先の確保にももたつきがあったと覚えている。

井戸知事が反論した『自衛隊の派遣要請の速さと、犠牲者の数は阪神大震災では余り脈略の無い事』と。これは違うと思った。人命に関しては、迅速さは必要条件と思う。全ての人が即死したと言う想定でものを言っている。そんな単純なものではないと思う。すばやい判断で行動を起していれば、石原さんの言う犠牲者の1/3と言うのはオーバーとしても、死ななくても良かった人は居るはず、と私は考えます。

今朝の新聞に批判記事が出た。筆者も其の点を突いている。『自衛隊派遣が人命救助と「脈絡が無い」と言えるか』『震災当時の知事(貝原俊民)は公用車のお迎えを待って県庁に登庁したのは、地震発生から2時間以上経ってからだった。自衛隊への派遣要請はそれからなお2時間近く掛かり、しかも要請したのは一係長だった。

私は県知事が徒歩で県庁に駆けつけて、陣頭指揮に当ったと聞いていたのだが、誰か女性との対談だった。ではアレは嘘だった?それとも他の人だった?新聞にこうして書かれるくらいだから、公用車が本当だろう。それとも自動車が動けなくなった所からと言う意味だったのだろうか?いやいや、家から駆けつけたと聞いて、私痛く感心したものだった。

当時、貝原知事は自治省のお役人だったって書いてあるけど(二足のわらじ、それも高級なわらじ履けるんだ。知らなかった)でもそれって変、自治省に席を置いたままってこと?そんなはず無いよね。4期だから、16年も知事職にあったんですよ。大阪府の大田知事も元役人でしょう。役所を退職して、選挙に打って出るのと違うのですか?私は政治の世界には疎いんですけれど・・・。

時間に関しては、あの町の崩壊を知らない方には想像もつかないでしょうから、家からの時間は掛かったかもしれない。でも到着後の2時間は長すぎる。それでも決断できず、要請したのは一係長だと言う。県民は知事がそんなに決断力の鈍い人って知らなかった。総指揮官が優柔不断だったわけだ。其の時、井戸さんは副知事だったから、同罪だよね。だから不快感を表したんだ。

今思い出したけど、自衛隊の方からの出動の申し出を断ったんじゃなかった?何故なの?って思った記憶が甦ってきたけど・・・。阪神大震災があった事は忘れないが、其の細部については私の中でどんどん風化していってるんだな~と、この問答で気付きました。

石原さんは過って国会議員時代、弟の裕次郎さんが離島で病気か怪我をして輸送の手段が無かった時、自衛隊のヘリコプターを使いましたよね。これは悪い意味での機転、いや職権乱用だね。これを考えても、人の命にはすばやい対応は必要なんだわ。

記事はこう結んでいます『12年前の大失態をろくに反省していない首長を持つ兵庫県の人たちは夜も眠れなくなるのではないか』

私達は「反省の無い人」とは知らずに知事に選んでしまった。それに気付かせてくれた事は石原発言の功だと思います。

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