ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

写真

2007年04月27日 | 思い出話
             ハナミズキ
        尼崎の市の木、因みに花はベゴニア

さくらサクラと言っている内に「ハナミズキ」が咲き始めた。私がジム通いする立花から武庫之荘辺りまで「ハナミズキ」は一本も無い。市の花なのにですよ。写真を撮るつもりが、花が無くては話しにならない。

確か「ハナミズキ」が両側に植わっている場所がJRの北側にあった事を思い出した。うろ覚えの記憶を頼りに探した。在った! 所が何十年も見ない間に木は大きく高く成長していた。手の届かない位置に花が咲いている為、撮ろうとすると下から見上げる形になる為、葉裏ばかりである。仕方が無いので相当距離を置いて横から望遠で撮って、カメラでトリミングで大きくする方法をとったのが今日の写真である。毎日カメラをさわっていると、感が働きどうにか撮れるものだな~と思った。これも「継続は力成り」かな?

先日の「一葉桜を見る会」で「街頭写真」が話題に上がった。其の頃はまだまだ個人でカメラを持てる様な時代ではなかった。何かの写真を撮ろうとすれば写真館に行くか、写真やさんに家まで来てもらうかのどちらかだった。

だから繁華街を歩いている時、写真を撮ってもらうのは、案外一時期流行したように思う。カメラマンは撮ってる振りをして、対象者に近づく「良い写真が撮れた」と言って。対象者が「買う」と決まって、持っているメモ用紙に住所氏名を書き、料金を払うと、其処で初めて「もう一枚念の為に撮っておきましょう」とか何とか言って、初めてシャッターを切る。そらそうでしょう、無闇にシャッターを切っていたのでは、フイルムが幾らあっても堪ったものではない。其のからくりに気付いたのは大分してからである。

写真自体は「名刺型」の小さいものである。ペテンの様な撮影方法であったにしても、お金を頂いた人にはちゃんと送っているのだから、思えば良心的でもあったのです。

今、読んでいる対談本で、三国連太郎さんが其の頃カメラを持っていたそうで「写真が好きだったのか」と言う問いに「好きと言うより、其の頃はカメラ・時計の類は質にも入れられたし、財産の一種であったから」と言っておられた。

我家にも昭和二十年代の「フジカシックス」がある。この機種はジャバラが使われていて、そのジャバラが破れた時交換してもらうのだが、最後に修理を頼んだ時、ジャバラはもう製造中止になっているので、これが破れたらもうありませんよと言われた。今もまだ使えると思うが、「バカチョン」カメラの便利さに慣れれば使えないな~。この機種は「ブローニー型」の撮影も可能である。「ブローニー」は普通写真は縦型の矩形であるが、真四角に写せるのである。

主人が言うには「古いから、値打ちもんで高く売れる」と言い続けていた。大阪の古いカメラなどを扱っている店で「フジカシックス」を見つけ、値段を見ると2万円に満たない。売値がこれだと買い取りは押して知るべし。「おかしい、こんなはずは無い」と言いつつも「値打ちものだ!」とは言わなくなったし、ヨドバシカメラに行っても、古いカメラの陳列に近づこうともしなくなった。「そんな値打ちあるはず無い」と言っていた私の勝ち。

会社仲間のみよこさんも写真が趣味だった。名前は忘れたけれど「弁当箱」と言われた縦長の上から覗くタイプをもっていた。覗くと上下逆さまに写っていた。其のカメラで私の花嫁になっていく過程を撮影してくれた。

メキシコのオユキサンや私を撮ってくれていたすぎおさんのカメラは何と言うカメラだったのだろう。今度会ったら聞いてみよう。
コメント (6)
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