ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

都をどり

2007年04月12日 | 思い出話
             ユリオブスデージー
              並んだ~並んだ~

「都をどり」を見に行ったんです。婦人会の二期に渡る委員の皆様の慰労会です。総勢15名(一名欠席)、驚いた事に、皆さん初めてだそうです。京都が近いので何時でもいけると言う事からでしょか?

かくゆう私も結婚してからは初めてです。戦前にも行ったようですが、それは母の語る話で私自身には覚えがありません。中学2,3年の頃だと思います。戦後始まった「都をどり」の券を頂いたとかで、つれて行ってくれました。其の時もお茶席付きでした。

今日もそうだったのですが、私が覚えているのは畳のお部屋だったと思うのですが、今日はカーペットが敷いてあって、靴のまま、それも200人ほどが一度に「芸者さんの立礼のお点前」を見るというものでした。母と行った時は、少数で舞妓さんが前まで運んできたと記憶しているのですが、今日は、最前列の右端の方の前にだけ舞妓さんが運んできて、後はお茶子さんが運んできます。

お菓子はとても美味しかったです。和菓子の載ったお皿はお持ち帰りできるのは昔も今もかわりありません。しかし昔のお皿に比べて、今のお皿は手が込んでいない。昔のお皿は波紋の様なスジが入っていたと思うが、今日のは申し訳に一本のスジが入っているだけでのっぺりしている。

戦後見に行った時、私は母に「舞妓さんになりたい」と言った。何も知らないで、綺麗な着物で舞を舞いたいと思ったのだろう。母は丁寧に答えてくれた。「舞妓さんは祇園に生まれた女の子しかなれない事、小さい時から、踊りだけではなく三味線等、色んなお稽古をしなければならない事、見た目は綺麗だけれど、大変なお仕事である事」など教えてくれた。

結婚して間もなく、偶然に台所のラジオから「祇園の舞妓に成り手が少なく、一般の家庭からも、希望者を募る事になった」と言う放送を聞いた。過っての事を思い出し、今10代だったらなれるんだと思った。だから今の舞妓さん、芸者さんは置屋さん、お茶屋さんのお子だけではなく一般の家庭の子も居るはずである。

囃し方の芸子さんはさすがに粋な方ばかり、同じ女でも惚れ惚れします。殿方がお通いになるのは無理も無い。

舞妓さんの群舞を見ながら、私は10年ほど前のことを思い出していた。2年前まで所属していた会の世界大会が、其の年、日本で行われる事になった。其の前夜祭のレセプションで日本舞踊をすることになり、会誌にメンバーの募集が載っていた。入会間もない私だったが、踊りたい気持ちが抑えられず、クラブ会長に申し出た。他のカウンスルの主宰ゆえ、自分で手続きをするようにといわれ、私は自分で申し込んだ。なるほど、他カウンスルからの参加者は私だけだった。

15、6回位は練習場に通ったと思う。稽古は楽しかった。日舞のおっしょさんが教えに来れれ、元宝塚に居た方が纏め役で、見ていてダメ押しをした。おっしょさんは「いつも笑顔で踊ってください」って常に言われました。踊りの最後は扇で会の略字「ITC]の文字で締めくくります。私は{C]の一員でした。

浴衣も帯びもそろえました。この会での一番の想い出はこの踊りに参加した事だと思います。其の時のお仲間と年賀の友になっている方もいます。

遅い昼食は「かご盛り弁当」でした。籠の中には20種類の盛り合わせだが、目に付く色は「菜の花の緑」「卵焼きの黄色」で、何となく全体に茶色っぽく、目で食べる京料理としては色彩感覚が悪い。

帰りに「おつけもの」を買って、我家に急ぎました。
                        (350回)
コメント (2)
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