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読んだので書いてみる:「小学生が書いた「ごんぎつね」の感想で議論勃発 ごんは撃たれて当たり前?」

2013年05月10日 | 王様の耳はロバの耳
小学生が書いた「ごんぎつね」の感想で議論勃発 ごんは撃たれて当たり前?

[引用]
 小学校の国語の教科書では定番の童話「ごんぎつね」。この物語に対する1人の小学生の感想が、2ちゃんねるのスレッド「姪っ子のごんぎつねの感想が問題になっているんだが……」で議論を呼んでいます。

(中略)
 多くの子供は「ごんがかわいそう」という感想を持ったようですが、投稿者の姪は「やったことの報いは必ず受けるもの」「こそこそした罪滅ぼしは身勝手で自己満足でしかない、(兵十はごんの反省を知らないのだから)撃たれて当たり前 」とシビアな感想を抱いたようです。この感想が学校で物議を醸しているそうで、スレッド内でも大きな議論に発展しています。
[引用終]


先に自分の考えを書くと、この感想は「間違い」だと思う。

根本的なところとして、これは「国語」の課題です。
「国語」である以上、「書かれている文章を元に感想を書く」のは大前提。
そして「書かれている」ことは、「ごんを撃ってしまった兵十が嘆く」です。
従って、「哀しい」「可哀そう」という内容を読み取るのが正しい。
これは「こういう状況は可哀そうと思うのが道徳的に正しいから」ではなく、「国語的にそう書いてあるから」。

もしも、ごんぎつねを撃った兵十が「母さんの仇をとったぞ!」と喜び、ごんが涙するシーンで終わるのなら、上記の小学生の感想は分かる。
「兵十は知らなかったのだから喜ぶのも仕方がない」とか「その時のごんの心境はこれこれで…」とか。
ですがそのような描写で終わっていない(私の記憶が確かなら)。

「感想は自由なはずだ」という意見は良く見ます。
気持ちは分からなくはないですが、おそらく「国語」であることを忘れてる。
これが「道徳」の授業なら、まだ検討の余地はあるのですけれど。

例えば「ごんぎつねを読んで感想を書け」と、「物理」の時間に出題されたら答えは変わります。
「生物」の時間なら「ごんの生態はどうなっているのか」とか、「歴史」の時間なら「人と動物の関係性」とか、「美術」の時間なら「このシーンを絵画に書きたい」とか、それぞれ回答は違う。
そして「国語」の時間である以上、「書かれていることは何か」をベースにしないといけない。

(もちろん暗喩や行間の表現はあります。
また、直接的には書かれていない「少ない情報で判断することの危うさ」とか「取り返しのつかない殺生という手段の是非」を読み取ることはできる。
ですが「ごんぎつね」においては引用元のようなことは書かれていなかったはず)

似たような話題でいえば、「作者の心境を答えよ」⇒「書いた人にしか分かるはずがない」も同様。
作者が実際にどう思っていたかは、あんまり関係がないと思うのです。
日本語としてそうとしか読めなければ、それが答えなんです。仮に作者が違う事を考えていたとしても。

これは「1+1は幾つか?」と同じ。現実世界では「2」以外になることも珍しくはありません。
が、小学生の算数の四則演算では「2」が正解。
だってそういうルールなんだから。(厳密には1+1=2は公理ではありませんが)


といったわけで、「国語の感想として間違い」。

「人として可哀そうと思うべきだから」ではなく、「そんなことは読みとれないから」。
これは「国語」であって「道徳」ではないのだから、「感想は自由だ」といった反発はかなりズレてる。
少なくとも「1+1が2だと押し付けるな。自由なはずだ」「サッカーで手を使っちゃいけないのは何で?画一化は良くない」とゴネるのと同程度には。


…とはいえ、小学校の「国語」は「道徳」の要素が忍び込んでいるように思えるので、反発したくなる気持ちは分かります。
「世界史」で「日本と近隣諸国を中心に教育しよう」とか、「物理」で「日本人科学者の業績を中心に教えよう」とか、そういうのと同種の気持ち悪さは感じる。

そこで、あえて反発した回答で攻めるのなら、「作者の意図はこれこれと読みとれる」「しかしそれを表現したいのなら、兵十は喜ぶべきだったのではないか?理由はこうだ」とか、「兵十は本当に悲しんでいるのか?これこれの箇所にはこう書かれている」等でいくべきじゃないかな。


[追記]

質問を貰ったので追記。

●1+1が2にならない具体例
 1人でやると2時間かかる仕事が、2人でやると1時間で終わるとは限らない。(1仕事能力+1仕事能力は、2仕事能力にならない。タスクを個々の要素に分解して考えても同様)
 体温が36度から37度になった場合と、38度から39度になった場合では、どちらも「+1」ですが、影響は同じではない。等々。

●1+1=2の証明はどうするのか
 イプシロンデルタ論法を使う奴ですね。
 それをさらっとここで簡単に説明できる力が私にあるなら、理系の道を歩めた…。

●有理数体の議論なのか
 そこはあんまり気にしてないです。前提となる小学校算数の教育方針の詳細を踏まえた上でのことではないので。
 わざわざ「小学校の算数では」と断ったのは、「確率」が念頭にありました。
 確率計算だと、書式としては「1+1」とは書きませんが、概念として「1足す1」が「2」にならない典型なので。

 ちなみに「厳密にいえばこうだ」的な発想は、まさしく「出題課目や範囲によって答えが決まっている」例ですね。
コメント
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