穴にハマったアリスたち

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はてしない物語 とその続編

2005年10月05日 | 小説・本
はてしない物語に“続編” エンデの弟子らが出版


あの「はてしない物語」の続編が出る!?

本気でびっくりです。
あの話で続編なんて可能なんでしょうか。
さらにリンク先の『想像することの大切さを訴える本編の世界観』という説明文に二度びっくり。
あれってそういう話だったか?

というわけで、映画の方はかなり有名だと思うのですが、原作は意外と知られていないようなので、ちょっと解説してみます。


・あらすじ(前半)

引きこもりがちの根暗な少年バスチアンは偶然『はてしない物語』という名の小説を手に入れる。
本の舞台は、『虚無』に侵食され滅亡の危機に瀕しているファンタジー世界・ファンタージェン。
女王『幼ごころの君』の命の下、ファンタージェンを救う方法を求めて旅に出た英雄アトレーユと、その冒険譚に夢中になっていくバスチアン。

様々な冒険の末、やがてファンタージェンを救う方法が判明する。
ファンタージェンが滅亡しかけているのは、人間が空想することをやめてしまったから。
人々が物語を語らなくなれば、物語の世界であるファンタージェンは消滅してしまう。
それを救うためには人間にファンタージェンへと来てもらい、物語を紡いでもらうしかない。

本の中の世界が実在することを知り、怯え、困惑するバスチアン。
が、やがて意を決したバスチアンは、女王『幼ごころの君』の求めに応じて本の世界へと赴き、ファンタージェンを救う…。


以上までが、前半のあらすじ。
映画「ネバーエンディングストーリー」として有名なのも上記の部分ですね。
が、この話にとって上記部分は単なる前振りでしかありません。


・あらすじ(後半)

『幼ごころの君』の願いにこたえ、ファンタージェンへと渡ったバスチアン。
その見返りとしてバスチアンに与えられたのは、『物語をファンタージェンに反映させる力(=あらゆる願いをかなえる力)』。
それによって自分の願いを次々と叶えるバスチアン。
同時に、現実化した空想により、多彩に豊かに変化していくファンタージェン。

が、バスチアンには知らされていなかったトラップがあった。
実は願いを叶える代償として、人間としての記憶を失っていっていたのだ。
かつてファンタージェンを訪れ、救った他の『人間』達の存在と、その哀れな末路(人間としての全ての記憶を失い、廃人・狂人化)を知ったバスチアンは人間世界に戻る決意をする。
しかし、『人間世界に帰る』という願いを叶えるのにも記憶が代償として必要で…。

果たしてバスチアンは、ファンタージェンから生還することが出来るのか?


要は『ネットゲーに没入する社会不適合者と、そこからの社会復帰』を描いた物語です。
20年以上前にこんな本を書けたミヒャエル・エンデは化け物だ。

確かに『想像することの大切さを訴える本編の世界観』というのは間違いではないと思いますが、同時に『でもハマりすぎると死ぬよ?』というのも同じくらい大事なテーマなんじゃないでしょうか。
(なにせ、劇場版の「ファンタージェンの力で『現実世界の』いじめっ子に復讐をする」ラストは、原作者から裁判沙汰になるほど抗議されてますし。
そりゃ架空世界を現実世界に反映させてそれを全面的に肯定したら、テーマが崩壊するわ)
それに、『幼ごころの君』やファンタージェンの正体がネタバレしている状態で、いまさら続編なんてどうやるんだろう?
正直、駄作の匂いがかなりしますが、興味津々なので買ってみよう。


ところで余談ですが、『幼ごころの君』から与えられる『なんでも願いがかなう』力には悪質な落とし穴があり、特定の願いごとは叶わないように設定されています。
例えば、「『幼ごころの君』に再会する」。
多くの来訪者は、ファンタージェンに来た際に最初に出会うこの小娘に恋をし、もう一度会うことを目標に突き進むのですが、この願いは正攻法では決して叶いません。

かくして叶わない願いを叶える為に、願い事を浪費しまくり記憶を失いまくる来訪者たち。嗚呼、なんて酷い。
つうか、『儚げな美少女』と『願いを叶える力』の組み合わせで餌をちらつかされて我慢できる人なんているんでしょうか。
断言しますが、私は無理です。ノータイムです。むしろ最初に願う願望は『ソレ』です。

…なお、この悪質で性悪な『幼ごころの君』ですが、多分、幼き私の初恋の人です。
おかげでこんなに歪んだ性癖になってしまったじゃないか。
責任とってくれ。
コメント
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