豪州落人日記 (桝田礼三ブログ) : Down Under Nomad

1945年生れ。下北に12年→東京に15年→京都に1年→下北に5年→十和田に25年→シドニーに5年→ケアンズに15年…

十和田・四月馬鹿

1979-04-01 20:41:17 | Weblog
  十和田・四月馬鹿
         1979. 4. 1

 十和田市は冬期間も太陽が輝き、降雪量も少なく、三本木原台地にある街なので洪水や津波や山堋れなどの天災と無縁の土地である。街は碁盤の目のように区画整理され、道路も広く、経済的にも豊かで美しい街である。「緑と太陽の街」が十和田市のキャッチフレーズで、恐らく青森県で最も気候温暖な土地であろう。しかし、この街にはうそ寒い風が吹いている。

 この街は情報が早い。東京でボウリング場がはやっているとか、ビリヤードが再びブームを迎えているとか、新しい業種としてレンタルビデオ店が注目されている、などと雑誌に載る頃には既に数軒の同種の店が開店をしている。ボウリングもビリヤードもどうやら一過性のブームで終りそうだという情報が流れて来る頃には、揃って姿を消している。 
 ボクが来年北里大学の隣接地に病院建設を予定しているというウワサはとっくに抜け目のない十和田の市民に知れ渡っている。毎日沢山の業者が市立中央病院にボクを訪ねて来る。薬屋や機械屋や土建屋や車屋や、葬儀社までがやって来る。いつも多忙を理由に面会を拒絶しているが、そんなことで彼等はあきらめない。患者を装ってやって来たり、市会議員やロータリークラブの会員を伴って強引に面会を求めて来る。

夕方徒歩で帰宅の途中、三番街付近の路上で顔見知りの市の職員やプロパーが待ち構えている。「路上の立話は何なので」などと腕を取られて近くのバーに引っ張り込まれると、その店には偶然、地元の配管業者や電気工事屋が居合わせている。仕方なく名刺を受け取って、1~2杯つき合って「夕食時間だから」と帰ろうとすると、「十和田のうまい店を先生に是非紹介したい」と数人に囲まれて近くの料亭に連れ込まれると、そこには既に豪華なお膳が準備されている。

先日も夕方大阪屋に連れ込まれた。重症患者がいることを口実にして無理やり押しつけられたタクシー券を持って何とか店の外に逃げ出した。タクシーを呼ぼうと近所の小さなバーに入ったら「あら、桝田先生いらっしゃい」とカウンターのママに挨拶された。ボクは十和田のバーに入ったのは初めてのことだし、ママと面識もない。それほど若くはない女の子がビールを運んで来てボクの隣のシートに腰を降ろした。「ママさんはどういう人なの?」「街の人は歯が臭くて、目臭くて、ケツ臭え女だと言うけど、本当は良い人よ」「ケツクッセ?それは何ですか?ママさんは歯槽膿漏と結膜炎と痔瘻のある人なの?」「あら、先生って小馬鹿臭いこと言うのね。十和田の方言で“ハンカ臭え”って馬鹿っていうこと。“メ臭い”って醜いっていうこと。“ケツ臭え”というのはケチっていうことなの」「そうなんだ…」、「あたし、この店に来て、まだ1ケ月足らずなの。あたし生れも育ちも東京だけど、ツラツケのない女じゃないわ。このお店は良いお店だけど、ちょっと便所かまりがしてね」クサイ女は苦手だ。ボクは再び大急ぎでその店を逃げ出した。
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