むつ政経文科新聞 第6号 昭和53年(1979年)3月25日発行
「論説」下北無人島の出現 差別される下北人
薪でも石炭でも石油でも、100%がエネルギーになるのではなく燃えカスが残る。ウランの場合も例外ではなく、「死の灰」という燃えカスが残る。死の灰は石炭ガラや灯油のススのように簡単に捨てられるものではなく、放射能が無害化するまで少なくとも600年間は安全な場所へ隔離しなければならない。100万キロワットの原発が1年間稼働すると、広島型原爆100発分の死の灰が出る。安全な場所とは米国の基準では「周辺60kmに人が立ち入らない場所」となっている。現在わが国ではこのような捨て場所がなく、このお荷物は原発基地の片隅の立ち入り禁止区域に野積みにされている状態である。核燃料の「再処理」という言葉がある。使用済み核燃料からまだ使える成分を回収して、再び燃料として使うと言う意味である。しかし再処理工場では、原発をはるかに上回る死の灰を周辺に撒き散らす。また耐用年数の過ぎた原子炉や関連施設は放射能で完全に汚染されている。解体してスクラップにするわけにはいかない。放射能から環境を守るものは鉛の板か厚いコンクリートの壁だけである。結局耐用年数の過ぎた原子炉も、野積みにされていた使用済み核燃料も、コンクリートですっぽり覆って周辺60km以内は600年間立ち入り禁止の措置が取られることになる。このままいけば下北は近い将来コンクリートの巨大な丘が並ぶ「死の半島」となり、遺伝子の狂った花だけが咲き乱れることになろう。実際に我が国の既に稼働している原発基地周辺のムラサキツユクサには、染色体の異常が無数に認められるに至っている。原子炉は正常運転していても少しずつ環境に放射能を放出している。それはたとえ微量であっても確実に蓄積されていく。原発のある地域では、事故があるたびに縁談が壊れると言われている。わが国では「」という不幸な差別問題を抱えている。出身という理由だけで結婚や就職の時にいわれのない差別を受けている。原子力が将来「第二の差別問題」を引き起こすことは必至であろう。原子炉のある町で育った人々が、癌や白血病になる可能性が高いとか、悪い遺伝子を持っているとかの理由で社会から差別されるようになる。これはいわれのない差別ではなく、根拠のある差別であるから「問題」以上に厄介な社会問題になる。米国では原潜造船所の労働者の癌による死亡率が38.4%という驚くべき数字が公表されている。このようなことから原子力の利用は、科学や経済的なメリット論の問題ではなく、モラルの問題であると考えざるを得ない。一時的な繁栄を求めて、子供に600年間の死の灰の後始末という犠牲を強いることや、郷土を「原子力差別」に仕立て上げることは間違っていないだろうか?「私たちは科学者ではないから難しいことは分かりません」とは、「私は人間ではないからモラルは知りません」ということと同じ意味を持つ。そしてその言葉は、かつて事業団の責任ある人が言った「下北の人間は火を恐れる野獣だ」という差別発言と共通のものなのである。(むつ政経文科新聞 編集責任者 桝田礼三)
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