むつ政経文科新聞 第19号 昭和54年(1979年)4月25日発行
「論説」:「対岸の火事」か「他山の石」か
米ペンシルバニア州スリーマイル島で3月28日に発生した原子力発電所の大事故は、その状況が刻々と明るみになるにつれて全世界の原発を保有する国の心胆を寒からしめた。国益という美名のもとに原発を強圧的に推進してきた各国の政府は安全性の弁明にこれ努めるとともに再点検を余儀なくされ、原発慎重派・反対派は現在稼働中の原発には安全性が確証されるまで操業ストップ、計画段階のものには計画そのものの見直しを政府・企業者側に迫った。これら異常とも思える反響の大きさ、素早さは世界的規模で神話化されて来た原発の安全性が、無残な形で否定されたことに起因している。
日本は今や米国に次ぐ世界第二の原発大国である。現在総発電量の11%が原子力によって賄われ、昭和63年度にはこの比率が20%まで高められる計画である。私たちはこの状況をどのようにとらえたら良いのであろうか。
原発の事故は不気味である。想像を超えた不気味さがある。その第一は事故によって環境にばらまかれた放射能という猛毒が無色透明、無臭で私たち人間の五感では感知できないことである。第二は放射能から発せられる放射線は凄まじい透過力を有することである。厚さ12センチのスチール製の原子炉の壁、更に厚さ1.2mのコンクリート製の格納容器の壁をガンマー線が突き抜けていた。第三は毒が長寿命なことである。ことに原発事故で最も恐ろしい毒物とされるストロンチウム90は半減期が30年で、人体では骨に集中して蓄積し、白血病や骨癌をもたらす。今度の事故でもこのストロンチウム90やセシウム137、ヨウ素31など危険な核種が検出された。
原発の賛否を巡る論争には現在二律背反するものがあるかに見受けられる。それは意図的に喧伝される近い将来の電力危機、エネルギー危機、ひいては国民経済の破綻を招くのだから原発は必要なのだという論と、一度事故が起こればその規模からして社会的、経済的に大問題であるとする論である。私たちは後者を終始主張してきた。米国の事故を対岸の火事と軽視するか、他山の石とするか今一度“推進派”に問いたいものだ。(むつ政経文科新聞 編集責任者 桝田礼三)
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