豪州落人日記 (桝田礼三ブログ) : Down Under Nomad

1945年生れ。下北に12年→東京に15年→京都に1年→下北に5年→十和田に25年→シドニーに5年→ケアンズに15年…

1985.4.15 春ルンルン               

1985-04-15 21:38:52 | Weblog
1985.4.15 春ルンルン               


 太田牧場の仔馬が白く輝く八甲田をバックに踊り狂っている。春風が甘い馬糞の香りを 乗せて北里団地の坂を駆け登って来る。町内会の春のビックエベント・側溝清掃に参加 する人々にも軽装が目立つ。汚泥に混じってワンカップの容器がすくい上げられた。来 年からは親睦を兼ねて夕方に泥上げをやろうという前向きな提案を誰かが発した。良識 ある人々の冷ややかな視線に、この提案は黙殺された。枯草を踏み進む泥靴の大群もフ キノトウだけは避けて通る。

 ボクの庭にも福寿草が咲いた。春スキーも本格的なシーズンを迎える。お気に入りのス ターウォーズを聴きながら、武士と和巳はスキーの手入れに余念がない。ラジカセのボ リュームをMAXにして、ワックスを塗りたくっている。半年振りに衣服の日干しがで きるとあって、妻はご機嫌だ。妻は江戸っ子だから気が短い。過ぎたことはすぐ忘れ、 明日の苦労を患わない。おだてられればすぐに乗る。日記、家計簿、献立表などとは無 縁だし、貯金はしない。ケンカの仲裁はできない。もめ事があると必ず一方に荷担する。 言い出したら引き下がらない。短気・短足・単純ではボクも負けていない。だから二人 がいさかいを始めると意地の張り合いになって、決して降伏しない。数日前に無芸大食 のジョンに餌をやりながら、ボクはふと気がついた。過ちを認めない者を言い負かそう としても無駄なことだ。一年毎にボクは哲学者に近付く。 

 突然、門の外から人相の悪い男が侵入して来た。ボクも本名は知らないが、バクさんと 呼ばれる集金屋だ。15年前、全国の学園には造反の嵐が吹き荒れた。ボク達医学生は 例外なくその渦に巻きこまれた。1970年がバクさんの絶頂期だった。嵐が過ぎて、 彼はスターダムから転落した。冬の時代を彼は、全共闘の同窓生にカンパを求めるとい うドサ回りでしのいでいる。最初は毎月発行の機関紙を押し付けて、派手な宣伝文句も 威勢が良かった。今や他人を威圧する鋭い眼光にも精彩がなく、自慢の口ヒゲにも白い ものが混じっている。根が純真で陽性の彼は、狭い世界から抜け出せず、またそれを望 もうともしない。友人達の軽い尊敬と重々しい軽蔑を意に介さず、ひたすら夢を喰い続 けている。ガレージの陰で、子供達の疑わし気な視線から逃れると、彼はやっと昔の生 気に満ちた表情を取り戻した。「ボクが政権を取ったら、君を社会保障大臣に任命する よ」バクさんの冬眠は永久に醒めそうにない。五千円と引き換えに粗末なガリ刷りのパ ンフレットを置いて立ち去った。「今の人誰?」子供達が駆け寄って来た。「雪が融け ると来る友達。童話の本を作って売り歩く人さ」子供達はバクさんがジーパンのポッケ に金を押し込むのを見たらしい。「チリ紙交換の人かと思った」武士はなかなか鋭いこ とを言う。北里の学生がバイクに三人乗りをしてバクさんを追い抜いて行った。両手に ラケットを持った男子学生は、二人の女性にサンドイッチにされて、人目を引くような 派手な動作で奇声を上げた。団地の坂道でスケートボードをしていた子供達が、立ち上 がって三人に手を振った。

 明後日、カナダ・バンクーバーから20人の旅行団が十和田にやって来る。市役所から ホームステイを依頼され、珍しものがり屋の我が家では早速これに飛びついた。一宿一 飯の恩義が国際理解と親善に役立つかどうかは判らない。普段着の十和田の生活を見せ て下さいという市の観光課からの要望であったが、国際的虚栄心が許さない。町内のT さんに三時間で茶道の免許皆伝を願い出た。茶道ではなく邪道だが、Tさん夫妻は快諾 してくれた。立居振舞、茶の飲み方から立て方まで、短気速成コースの受講は三日前だ った。茶道の奥義は極められなかったが、その優麗さにボクはシビれた。正座の拷問に、 炉の前で立てなくなった。日頃の不節制と不作法の報いが下半身の弱さとなって現れた。 ボクは束の間の太平洋のかけ橋となる夢を実現すべく、翌日から早朝の駆け足を再開し た。Tさんから本番前にもう一度教授してくれるとの申出があった。その約束が今夜だ。 口直しにウイスキーでも持って行こう。春の陽気と馬糞の妖気は北里の住民を陽気にする。
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