豪州落人日記 (桝田礼三ブログ) : Down Under Nomad

1945年生れ。下北に12年→東京に15年→京都に1年→下北に5年→十和田に25年→シドニーに5年→ケアンズに15年…

バターン死の行進

2014-09-15 07:43:17 | 歴史

 

9月15日(月)快晴
 
1941年日本軍は、フィリピン侵攻作戦で投降した米比軍捕虜76,000人を炎天下の60kmを5日間徒歩で移動させた。収容所にたどり着いたのは76,000人のうち54,000人。逃亡者を除く1万人が、マラリアや飢え、疲労、殴打、処刑などで虐殺された。戦後のマニラ軍事裁判で、行進の責任者の河根少将は死刑となった。2010年に民主党の岡田外相が捕虜に謝罪したが、自民党の一部には「米国のでっち上げ」という「自虐史観」見直しの声もくすぶっている。

 
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