海を泳いでアラスカへ 1978. 9.13
6月、マキは運転免許を取得した。ボクはその時、乗用車を大型車から中型車に買い換えた。大型車だと小柄のマキは運転席を一番前に調整してもクラッチに足が届かなかったからだ。マキの行動範囲はとたんに広くなった。それは彼女の魔性の危険の及ぶ範囲が拡大したことをも意味していた。5才のタケシと3才のカズミはマキの運転する車に乗ろうとしなかった。
彼女は着飾ってあちこちにドライブや買物に出掛けた。和服に帯を締めてぞうりで運転することは平気だった。夜会服姿でハイヒールでも運転したし、長い毛皮のコート姿で毛皮のブーツでも運転をした。彼女は運転免許取得後3ヶ月間に14回の事故を起こしている。幸い人身事故はなかったが、他人の家のへいを壊し、交通標識を折り曲げ、電話ボックスを潰し、漁師の船を壊した。
「どうして船にまで追突するんだい。君は小型船舶の免許は持っていないだろう」
とさすがのボクもあきれた。
彼女はパンクした車を運転して平然と帰宅したし、キーをつけたままドアロックした時には道端の石で助手席の窓ガラスを叩き割って帰宅した。側溝に落ちた彼女を助けにボクが駆けつけると、車を乗り捨てて、タクシーでパーティー会場に出掛けた後だった。
ボクは彼女の運転技術を向上させるために、しばしば原子力船母港のすぐ前にある太平岸壁に連れて行き、海辺の広い埋立地で運転テクニックを教えた。
「レイ、あなたって本当に運転が上手なのね」、
「運転がうまいとか下手とかという問題じゃないんだよ。安全でていねいな運転が必要なんだよ」、
「そういうことって私にはできないの。運転法規や安全な運転技術だとか考えながら運転するってことは私に向いていないの。それより、レイあなたここらか城ヶ沢まで泳いで。私は車で先に行ってあなたが泳ぎ着くのを待っているから」
ボクは水着に着替えると1人で沖に泳ぎ出した。太平岸壁から城ヶ沢海岸までは約8キロ。1時間のんびり泳いで芦崎沖に達すると、潮流に押し戻されて前進が困難になった。ボクは芦崎に上陸すると砂浜を6キロ駆けて、城ヶ沢小学校の前から再び海に入ってマキの待っている城ヶ沢海岸にたどり着いた。
「随分遅かったじゃないの。私1時間半も待たされたのよ」とマキは不機嫌だった。
「海は潮が流れているんだぜ。8キロを2時間なら早い方さ」
「ねえ。レイ。青森まで海を渡って行ったら何時間位かかる?」
「大体30キロというところかな」
「12時間?それじゃレイ。私のために青森まで泳いで」
「伴走船を頼まなきゃ無理だよ」
「それじゃ船をチャーターして。私合浦公園であなたを待っているから」
「君は船に乗らないのかい。君が見ていないと、ボクは途中のほとんどを船に乗ってズルをやらかすよ」
「そんなことレイがするはずないわ。私は船に弱いから合浦公園で海を眺めながら待っているの。レイ、あなたは海を泳いで渡って私に会いに来るの。そしてアラスカで食事をして、私の運転でまた下北に戻って来るの」
アラスカとは青森のレストランの名前である。
1週間後の午前4時半、ボクは小船をチャーターして、マキに見送られて脇野沢漁港から泳ぎ出した。海はベタナギで水温も低くはなかった。陸奥湾を知り尽しているボクは潮流に乗って8時間で青森にたどり着ける自信があった。夕方5時にマキは合浦公園の海水浴場で待っているとのことだ。1時に青森に到着したら昼食を済ませて映画を見て時間を潰して、5時になったら近くの岸壁から海に飛び込んで合浦公園の砂浜まで泳いで行こうとボクは計算をしていた。事はすべて順調に進んだ。
しかし青森に到着しているはずの午後1時にボクと漁船はまだ陸奥湾のど真中を漂っていた。午前10時から午後2時までの4時間海上は激しい雨が降り、波が高くなった。午後3時夏泊半島の東沖まで押し流されていた。西から東に流れる潮流を避けるために海岸線ぎりぎりを更に4時間泳ぎ続けて午後7時にやっとボクは合浦公園にたどり着いた。
「レイ、随分遅かったじゃないの」
マキは波打ち際で立ち上がる元気もなく座り込んでいるボクに駆け寄ってキスをした。「ビフテキはいらない。ラーメンとビールとそれからタバコが欲しい」
しかしマキはボクに白いタキシードを着せて、アラスカ会館に向った。
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