非国民通信

ノーモア・コイズミ

権力の側だけが変わるのではないと思うのだ

2011-06-10 23:47:29 | ニュース

権力者はなぜ「堕落」するのか:心理学実験(WIRED VISION)

権力者が正しくない行動をするというニュースは大量にある。彼らが、自分より地位が下にある者に対して横暴にふるまい、権力をかさにとった性的行動をとったりすることは、気が重くなることではあるが、驚くことではまったくない。問題は、このようなひどい行ないはなぜ起こるのかということだ。権力はなぜ堕落するのだろう?

心理学者たちによると、権力者の問題のひとつは、他者の状況や感情に対する共感性が低くなることだという。いくつかの研究によれば、権力的な地位にある人は、ほかの人を判断する際に、ステレオタイプ的な判断を行ないやすく、一般化しやすいという。

(中略)

人間は大抵の場合、正しい行ないは何か(ズルは悪だということ)を知っているが、自分が権力を手にしていると感じると、倫理的な過ちを正当化しやすくなる。例えば、約束の時間に遅れてスピード違反をする行為について、両グループの被験者に評価をさせたところ、権力を想起したグループは、その行為をする当事者が自分ではなく他人であった場合に、より厳しい評価を下す傾向を一貫して示した。つまり、ほかの者は法律に従うべきだが、自分は重要な人物であり重要な行動をしているので、スピード違反にも適切な理由がある、と感じやすいというのだ。

 まぁ、とかく勧善懲悪的な世界観への傾倒を深める昨今の世論を鑑みれば、ここで引用したような類の説明は受け入れられやすいのではないでしょうか。これもバーナム効果の一つなのかも知れませんが、当てはまりそうな事例は容易に思い浮かびます。単純に権力「者」という個人の場合もさることながら、自分が権力者になったような気分、自分が多数派である、自分が世間の支持を得ていると感じている人々にもまた、「堕落する権力者」的なものは備わっている気がします。典型的なのが脱原発/反原発論の盛り上がりに乗っている人々で、そのデマゴーグぶりや独善家ぶりには呆れるほかありませんが、かつてはもうちょっと分別があってメインストリームから外れた部分にも配慮できる人々ではなかったかと私には思われるのです。多数派の傲り、ヒステリーと憎悪、十字軍的あるいはボリシェヴィキ的な正義感や陰謀論に占領された脱原発論を前にすると私は、そこに堕落する権力を見いださざるを得ません。

 でも、少し考え直してみましょう。本当に権力(もしくは多数派的な地位を占めるに到ったムーブメント)は堕落したのでしょうか。権力を得るに到った人が変わってしまったのではなく、それを評価する我々の目線が変わった可能性もあるはずです。例えば農水相に任命された途端、金銭問題を蒸し返されてわずか8日で辞任に到った人がいます。彼が大臣の座についた、すなわち権力を手にしたゆえに堕落したと考えるのは、かなり無理があるはずです。ただヒラ議員のしょっぱい金銭疑惑などニュースバリューがないけれど大臣となると話は別だと、そう周りが判断した結果として彼の醜い部分が大きく取り沙汰されるようになっただけのことでしょう。小沢一郎の政治資金問題も然り、自民党が盤石であった時代、氏の献金問題を追及してきたのは共産党だけ、至ってローカルな話だったわけです。しかるに次の選挙で民主党が勝つのが確実、すなわち小沢がトップに立つのが確実な情勢となるや、小沢の政治資金が持つニュースバリューは飛躍的に跳ね上がりました。小沢が急に金に汚い政治家になったのではなく、周りの注目度が上がった、そうすることで醜い部分にも光が当てられるようになった、そしてあたかも堕落したかの如き印象を与える結果になったのだと言えます。

 「堕落する権力者」のイメージは、周囲の勝手な期待と現実との落差によって生み出されるのかも知れません。往々にして世論は政府与党の悪い部分に関心を払っても、追求する側の人間の汚い部分にはあまり関心を持たないものです(まぁ肝心なのは与党であって野党はあくまで野党ですから、与党に注視するのは間違っていません)。だから意気揚々と政府与党を追求している限り、与党議員とは違ってクリーンな人だと、そう批判する側の人間に世間は期待をかけるわけです。ところが批判する側の人間も、いざ自らが責任を負うべき側に立つとなると物事は簡単には進みません。気楽な野党時代とは比べものにならない注目と、「結果」への要求が突きつけられます。そうなると野党時代には自分の良いところだけアピールしていれば済んだものが、与党(=権力)になると悪いところまでを世間に晒すことになる、この結果として権力を得たが故に堕落したかの如き錯覚が生まれるのではないでしょうか。

 民主党に裏切られたと感じている人は、とりわけネット上で政治を語る人の中には多いと思います。ただ民主党が政権交代後に変節したか、堕落したかと問われれば、それは違うと断言できます。民主党とは、元からこういう政党だったのだ、と。ただ周りが政権交代への熱狂に駆られて、民主党を頭の中で勝手に美化していっただけ、それが与党となった民主党の一挙一動が注目されるとなるや、否応なしに民主党が出した「結果」に向き合わざるを得なくなり、頭の中で作られた理想の民主党像と現実の民主党の中の食い違いが大きくなる、ゆえに裏切られた、堕落した、変節したと感じてしまうものなのではないでしょうか。民主党が有権者を騙したのではない、周りが勝手に民主党を信じたのだと、私はそう思うのです。

 だから私も反省しています。もちろん民主党は一度たりとも支持したことがありませんが(だって私の住む自治体では一貫して自民党と組んでる万年与党ですし)、その他の面では勝手に期待をかけ、勝手に信じてきた部分もありますから。たとえばJALのリストラに反対の声を上げてきた人なら労働者の権利をわかってくれるだろうと勝手に期待していたものですが、東電を初めとした電力会社に突きつけられたリストラ要求を前には沈黙を続ける人が大半です。あるいは公務員叩きのトリックを見抜ける人にも私は勝手に期待していたものですが、放射線濃度や影響の度合いを高く見せかけるトリックには乗る人の方が多いようです。それからネットのコピペには乗らず真偽を確認できるような人にも勝手に期待していたものですが、しかるに「原発がどんなものか知ってほしい」みたいな怪文書を自ら広めようとしていたり。他にも人権意識が高い人と思いきや、反原発や節電の煽りを受ける弱者の立場はまるで無視、国旗国歌の強制には反対しながら原発周辺域からの強制移住や強制疎開を主張していたり等々(それがどれほど住民にとって重い負担かを考えたことはあるのでしょうか)。片方の手で脅威を煽っておきながら、もう片方の手で救いを差し出しているかのごとく装う、典型的なマッチポンプとして振る舞う人の姿を見ることも多くなり、私は大いに失望しているところです。自分が嫌悪する対象を貶めるためなら平気で嘘を吐く、それでは在特会レベルと何が違うのか―― でもそれは私が相手の勝手なイメージを抱いていただけの話です。原発事故後に私が信頼していた人が堕落したわけでなく、事故以前の私の思い込みが間違っていたのでしょう。その辺り、私は大いに反省しています。

 さて、この「勝手な期待」と現実との落差で、今後は評価を落とすであろうものの一つとして、いわゆる再生可能エネルギーが挙げられると思います。原発に対する否定的な評価への反動として風力や太陽光、地熱といった再生可能エネルギーの類が過剰に持ち上げられているわけですけれど、反原発論者が示唆するように原発さえ潰せば再生可能エネルギーが伸びてくると言うものではありません。上で触れたように期待と現実の落差が世論を反動化させる可能性は高い、いずれは今の民主党に対して世間が抱いているような失望感が再生可能エネルギーに対しても向けられることになるのではないでしょうか。そうなることは再生可能エネルギーにとっても不幸なことです。

 再生可能エネルギーの実現や効率の上昇に向けて日夜研究が続けられていく中で、あたかもそれが簡単に出来る、もうできあがっていることであるかのごとくに語る輩もいます。それは新技術の実用化に向けて頑張っている人をバカにした話であるようにも思われるのですが、その筋の人の頭の中ではそういうことになっているのでしょう。ただ技術的な問題は「いつか」解消するとしても(少なくともそれは今から新しく作った原発が寿命を迎えるくらいの時間は要することでしょうけれど)、お金が動く限り絶対に「利権」が発生することだけは間違いのないところです。原発だから利権が発生する、他は道徳的にクリーンな発電方法である、なんてことはあり得ません。「稼働率が上がれば地元経済への波及効果があるだろう」として火力発電所の稼働率アップを要求し続けてきた自治体首長もいますし、風力発電所だってガンガン補助金が投入されているわけです。お金が動く限り、そこで「おいしい思い」をする人は絶対に出てくるものなのです。そして何かと原発の「粗」が探される昨今ですけれど、それは政府与党の「粗」が探されるのと同じです。かつてはクリーンであると思い込まれていた野党が、いざ与党となってみると汚い部分が次々と明るみに出ていくように、原発「以外」の発電手段であっても必然的なこととして、その注目が高まるほどダメな部分へと光が当てられることになるでしょう。そこで「堕落した」かの如き評価をされ、道徳的に断罪されたり事業仕分の対象にされるようであれば、現行の発電手段に代わる新たなものは永遠に生まれてこないと言えます。

 

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4 コメント

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Unknown (非国民通信管理人)
2011-06-12 22:46:09
>ノエルザブレイヴさん

 なかなか成果が上がるまでには時間が掛かるものも多い、あるいは成果が上がるのかどうか不確かなものも多い、それが学問なんですよね。しかるに短期的で目に見える成果を出せるもの以外はムダとされ、そこに投じられたお金は利権と誹られるのですから未来は暗いです。再生可能エネルギーも、そうすぐに輝かしい成果を上げることは出来ないでしょうけれど、世論は時間を要することを理解しようとせず「何か利権を持った悪い奴が妨害しているからだ」みたいに考えて新たな悪者を探すばかり、そんな繰り返しが今後も続きそうです。
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Unknown (ノエルザブレイヴ)
2011-06-12 16:19:57
とあるきっかけで「インターバル速歩」なるトレーニング法を研究している予防医学系の教授の話を聞いたのですが、そこで教授が私的にちょっと管理人さんに紹介したくなるエピソードをいくつか話してくれました。

・予防医学は10年論文が書けない(データが形になるのに時間がかかるからか)と言われていて、教授の場合もそうなった。
・序盤の研究では大学のある市の協力を得てやったがそれに従事する市職員の人件費を含めると一人当たり6万円くらいかかった。参加者が300人なので1800万円。それは税金から出た。(それ以外にも多額のお金がかかったとか)
・「文化的カリキュラム」というのを企画する際にボランティアを募ったが例えばレストランの経営者は料理教室を一生懸命やってくれた。参加者のうち何人かでもそのレストランのリピーターになってくれると大きいからである。
・NPO法人は「面白そうだな、得しそうだな」という少しの野心を刺激してあげないとつぶれてしまうものである。
・「休んでいいよ」と言ったほうがトレーニングをしてくれるということは一つ発見だった。

ちなみにこの教授の成果はhttp://www.jtrc.or.jp/index.htmlに結実していますがここに至るまで16年かかっているそうです。今ならば結果も出ていますし事業仕分けからも余裕で逃れられるのでしょうが、これから結果を出さなくてはならない分野(恐らく自然エネルギーもその段階では無いかと)で「10年論文が書けず」「結構な税金が吹っ飛ぶ」というシチュエーションが現出した場合、果たして短気な世論は耐えられるのでしょうか?
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Unknown (非国民通信管理人)
2011-06-11 14:35:08
>リンデさん

 何事も一朝一夕に果実が得られるわけではないですからね。その辺は長い目で見ることや、些細なことで咎め立てして潰しをかけるようなことがないようにすべきだと思うのですが、どうにも「利権が、利権が」の河野太郎みたいなのが持て囃されるようでは、先行きは難しそうです。再生可能エネルギーだって色々と問題が出ていく中で、そこに過剰な失望や怒りを向けることなく地道に続けていくしかないのですから。
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Unknown (リンデ)
2011-06-11 08:11:17
 再生可能エネルギーに関しては、研究開発や投資等に直接関与できない私たちはただ黙って事の成り行きを見守ることくらいしか出来ないように思われます。ですが後になって落胆だけを残さないためにも、長い目で事態を見守っていく悠長さを養っていく必要があるんでしょうね。かなり難しいとは思いますが。
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