イランとの戦争回避のため、あらゆる手段講じる必要=仏首相(ロイター)
フランスのフィヨン首相は17日、イランとの戦争の可能性を避けるため、あらゆる手段を講じなければならないと述べた。クシュネル外相は前日、フランスはイランとの交戦する可能性に備えるべきと発言していた。
(中略)
フィヨン首相は記者団に「戦争回避のため、あらゆる手段を講じなければならない。フランスの役割は、世界にとって著しく危険となる状況を平和裏に解決することだ」と述べた。
イラン核問題 戦争も念頭と警告 仏外相、強硬姿勢を示す(産経新聞)
フランスのクシュネル外相は16日夜、仏ラジオ、テレビとの会見で、イラン核問題について、交渉による解決を目指すとしながらも、「われわれは最悪の事態に備えなければならない。最悪の事態とは戦争だ」と警告した。クシュネル発言は、あくまで最後の手段として武力による解決もあり得るという見解を表明することにより、イランに圧力をかける狙いとみられ、フランスがサルコジ大統領の下で、急速に対イラン強硬姿勢に転じつつあることを示している。
特定の国に的を絞って、その脅威を煽る、危険視する傾向は他所の国にもあるようです。日本の場合は北朝鮮、アメリカの場合はイラク、そしてフランスの場合はイランでしょうか。相撲好きという以外に日本との接点を見いだしにくかったシラクから、相撲は嫌いだが親米右派という点で日本と外交方針の一致するサルコジにバトンが渡ったことも少なからず影響しているような気がします。
さて、産経新聞とその他のメディアとで強調するポイントが大きく異なっているのですが、フランスのフィヨン首相は「戦争回避のため、あらゆる手段を講じなければならない」と語り、そしてクシュネル外相は戦争に備えなければならないと語りました。フランス政府内部でも意見は分かれるようですね。
そこで私が疑問に思うのは、このクシュネル外相が本当に「最悪」だと思っているのかと言うことです。クシュネル外相は「最悪の事態に備えなければならない。最悪の事態とは戦争だ」と語り、一応は戦争を最悪の事態と位置づけているわけですが、どうにもヤル気に満ちて聞こえます。「最悪」と語りつつも、その状況に対して随分と積極的な印象を受けるのですがどうでしょうか? この辺は翻訳記事なので元のニュアンスは違うのかも知れませんけれど。
何度でも言いますが、あの9.11のテロの2ヶ月後、アメリカが戦争へと突き進む中でブッシュ大統領は「ローラと私にとっては信じられないほど素晴らしい一年だった」と語りました。そして我らが麻生外相ですが、北朝鮮のミサイル実験が強行され同国への反発が強まるや「金正日に感謝しないといけないな」と、そして北朝鮮が六者協議に復帰するや「赤飯を炊いて喜ぶような話じゃない」と語りました。両者が望んだのはどちらなのでしょうか?
開戦の機会を探っている人にとっては、自国への何らかの攻撃はむしろ歓迎すべき事なのかも知れません。自分から攻めるのであれば周囲からの非難囂々でしょうけれど、相手から攻めてきたのであれば話は別です。自分は戦争など望まないが、平和を脅かす相手から「守る」ために仕方なく戦っているのだと、そういう筋書きが作れます。開戦の機会を探っていた人にとって自国への攻撃はすなわち格好の大義名分となり、平和を願うと表面では装いつつ他国に攻め込めるわけです。ですからある種の人にとって自国が何らかの形で脅威に晒されることは好都合なことであり、そして解決のための努力もポーズだけに止まるのでしょう。
どことは言いませんが、頑なに対話を拒んで一方的に相手を非難するだけの国もあります。こういうやり口は自国に向けられた「脅威」の解消には何の役割も果たしませんが、それでも自国民に対して平和のために尽力しているかのごとく装うことはできます。そして「脅威」を未解決のまま育つに任せ、攻め込む大義名分が手に入る日を待ち続けるわけです。自分達は平和を願ったけれど、相手が分かってくれなかったのでダメだったよ!と。
フィヨン首相の場合はいざ知らず、クシュネル外相が本当にイランの問題を交渉によって解決したがっているのかどうか、今回の記事を読むだけでは大いに疑わしく感じます。クシュネル外相にとって理想的なのは、交渉したけれどダメだった、かくなる上は最悪の事態(=戦争)に備えなければならない、戦争はしたくないけれど、戦争回避のために交渉はしたけれど、でもダメだったから他に手段がない、そういう形で「最悪の事態」に踏み込むことなのではないかと邪推してしまいます。北朝鮮が強硬な態度をとると麻生外相その他が喜んだように、イランとの交渉が決裂すればクシュネル外相も内心では喜ぶのではないでしょうか? 自分の本当の願いに近づいた、と。私にはこのような人こそが本当の脅威に感じられてなりません。
丁寧なご回答を頂きまして、ありがとうございました。
正直なところ、武力行使しか手段が残されていない場合には、仕方がない、とするrebellionさんのご返事にいささか安心いたしました。
さて、自問せよ、とのことでございますが、私は、もちろん、イランや北朝鮮…が妥協して、核兵器を放棄することを望んでおります。ただし、心配されることは、融和策が、こうした諸国に核開発を進める余地を与え、むしろ、増長させてしまう結果を招くことです。善(融和策)から悪(核保有の既成事実化)を引き出すことは、悪魔の仕事とされていますので、心配なのです。
旧日本軍にもそれらしき振る舞いがありますし、いずれにせよ開戦の理由を正直に語る指導者はいない、口先で平和を望むフリをして、相手国に開戦の責任を負わせようとするようですね。国民がこの虚偽に気づければいいのですが、アメリカ人がアフガン侵攻、イラク侵攻の虚偽に気づくのにも随分と年月を要しました。日本はどうでしょう?
>ドコモダケさん
イスラエルが不当な占拠を続ける、アメリカがイスラム諸国に舞台を駐屯させる、その辺がイランに「防衛」の大義名分を与えているところもありますね。ヨーロッパ諸国はいわゆる「ユダヤ人」に負い目があるのかイスラエルにあまり強く出ないところもありますし、アメリカも生半可なことでは止められない。ならば日本がキーになっても良さそうな気がしますが、相変わらずアメリカの後ろをついて行くばかりなのが現状でしょうか……
>kuranishi masakoさん
ここで私が危険視しているのは、核兵器そのものではなく、それを望む人々です。クシュネル外相もkuranishiさんも、武力に訴える以外に方法がないという前提で話を進めていますが、確かにそれしか方法がないのであれば武力行使を選ぶしかないでしょう。しかし、実際には選択肢がたくさんある中で、その他の選択によって問題を解決する努力を怠り、一足飛びに「武力行使しかない」という結論に飛びつこうとする欲望を露わにしている人がいます。平和のためと言いながら、実際は宥和政策が破れることを強く願っている人々こそが本当の脅威なのです。
回答は結構ですが、自問してください。kuranishiさんはイランが(あるいは、北朝鮮が)妥協することを望んでいますか? イランが(北朝鮮が)折れることで問題が兵割りに解決することを本当に望んでいますか? それとも、イランが(北朝鮮が)強硬な態度をとり続けること、そして「平和への努力」が失敗に終わり、「武力行使しかない」という状況に陥ることを内心で望んでいますか?
>焚火派GALゲー戦線さん
独自外交のシラク路線から、対米追従のサルコジ路線への変更でしょうかね? 日本と北朝鮮の関係とフランスとイランの関係がますます似たものに見えてきます。来年のアメリカ大統領戦後の展開まで視野に入れた方がクレバーだとも思うのですが……
これは、イラクでの失敗「挽回」のために半ばヤケクソでイラン戦争を起こそうと画策している米国のネオコン派に尻尾を振っているわけです。(「ぜひともお供させていただきますよ」)
現在のフランスの国力では米国に追随して湾岸戦争に参戦したのと同程度のパターンがせいぜい。(そういや、古いところではインドシナ戦争も米国の援助なしにはできなかった。)
ここで、絶対平和主義の立場から、戦争をするよりも、イランの核保有を許した方がよい、という判断を行ったとしましょう。その結果、イランから一方的に周辺国が核攻撃を受けることもあり得るのですから、融和政策のみが平和のための唯一の手段であるとは言い切れないように思うのです。
結構、宗教間で昔からドンパチやってますからな
これにプラスしてユダヤが入ったらもう
戦争カクテルの出来上がりですわ・・・
戦争を越えるための知恵が求められる時代だと
思っております
そのキーとなるのはやはり日本でしょうか?
ベトナム戦争の時のトンキン湾事件でも、攻撃すらないのに、米国は事件そのものをでっち上げましたからね。まあ、ひどい連中です。
ついでですが、和田春樹著『朝鮮戦争全史』を読みますと、北朝鮮が韓国に攻め込んだ時、韓国の李大統領は「これは国土統一のチャンスだ」と考えたとか考えなかったとか。軍事力では当時北朝鮮の方がずっと上でしたから、米国が軍事介入することが韓国主導の朝鮮半島統一の必須条件ではありましたが・・・。