非国民通信

ノーモア・コイズミ

リスキリングとはなんぞや

2023-08-20 23:33:37 | 雇用・経済

 PCを使うようになってから漢字が書けなくなった云々とは20年以上前から言われることですけれど、これに限らず使われない能力が衰えるのは普通のことです。昔は出来たことでも、長年ご無沙汰なら出来なくなっていて当たり前、他にも当てはまるものはあるでしょう。私も高校入試や大学入試の問題は、多分一部を除いては解けない気がします。どれほど一所懸命に勉強したところで卒業後に触れる機会のないものは時間と共に忘れられてしまう、そういうものです。

 会社で働くようになってから取得した資格も幾つかありますが、いずれも今再び試験を受けたら合格できる気はしません。一から勉強し直せば話は別としても、過去に勉強したものがどれだけ自分の頭に残っているかは疑わしく、手元にあるのは資格の合格証書だけ、という代物も少なくないです。そもそも同じ資格でも制度の変更や技術の進歩で中身は変わってしまうことも多い、過去の試験に合格した時点での記憶が残っていたところで、それが現在も通用するかは定かでないと言えます。

 さて社員のリスキリングが重要なのだと、我が国の政府が旗を振っているわけです。まぁ従業員に新たなスキルを身につけてもらうこと自体は必要な話に見えますけれど、しかし新入社員「以外」にマトモな実務研修を行っている会社は極めて稀なのではないでしょうか。大半はコンサルタントに説教させるだけ、通俗心理学とくだらない精神論を拝聴させられるだけの研修で満足しているように思います。少なくとも会社主導のリスキリングというのは、滅多にお目にかかることが出来ません。

 独学で取れる資格の定番としては簿記検定なんかがあります。ただ簿記の資格を持っていれば経理関連の部署に配属されるかと言えばそんなことはなく、むしろ資格などなくとも実務経験のある人の方が優先されるわけです。社外での勉強から何かを得られることもあるにせよ、実際の仕事の中で培われたものには及ばないところもあるのでしょうか。そもそも冒頭に触れたように使われない能力は衰えてゆくもの、そして制度や技術の進歩に合わせて知識も更新されないと役に立たなくなっていくものです。

 勉強して自身のスキルを増やしていくこと自体は悪いことではありません。しかし、得たスキルを活用する場がなければいずれは忘れられてしまう、あるいは技術の進歩によって陳腐化してしまいます。これを防ぐためには「仕事で使う」以外にないでしょう。だからこそ雇用側、とりわけ配属を決める権限を持った側が適切に道を示す必要があるはずです。誰にどのようなスキルを求めているのか、そこを明らかに出来ないと社員は何を学べば良いのか分からない、何かを学んでも職場で使う機会がなく腐らせてしまうばかりです。

 プロスポーツであれば、試合よりも練習に多くの時間が割かれます。普通の会社の営業活動の場合はどうでしょう。プロスポーツがコーチまで雇って選手の強化に力を注ぐのは、試合で結果を出すためです。もし練習は全て選手任せ、選手の自腹でやらせていれば、そのチームが勝てるようになることは考えられません。しかるに一般の営利企業の場合はどうでしょう、組織の役目として社員の強化に努めているのか、あるいは社員が独自に何かのスキルを身につけることを期待しているだけなのか、少なくともスポーツであれば後者は完全にアマチュア以下、「草」の世界の考え方です。

 まぁ政財界の本音は別のところにあるのかも知れません。中高年社員がリスキリングによって新たな分野で活躍してくれることを期待しているのではない、むしろ会社から追い出す口実としてリスキリングの不足を持ち出そうとしているだけ、という気もします。企業がホワイトカラーとして確保したがっているのは給料の低い若者だけ、中高年には介護や運輸、警備や清掃に回って欲しいというのが我々の社会の思惑です。ただ中高年を切り捨てる理由として「給料と年齢が上がったから」では格好が付かない、そこでリスキリング云々を持ち出しているだけなのかも知れません。

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