あくまで一般論ではありますが、若い人の方が革新的、年齢が高いほど保守的、そんなイメージはないでしょうか。私の一応の専門であるロシア文学でも、少なくとも設定上はそうですね。古い権威の象徴として父親があり、主人公であるその息子が「新しい」考え方の持ち主、そういう役割分担は珍しくありません。たぶん、他所の文化圏でも目立った違いはないでしょう。でも、時にこれが疑わしく思われるのです。そう、今の日本だったら、若い世代の方が保守的、中高年の方がリベラルな傾向が強いのではないでしょうか。例えば若い世代ほど保守政党への支持が高い、国家主義に傾きやすいなど、保守的で閉鎖的なイメージは、むしろ若い世代の方が相応しいような気がします。生まれ育った世代の新旧よりも、人間としての成熟度の方がものを言うのかも知れません。
それはさておき、ソ連→ロシアの話です。ロシアに留学してきた先輩から聞いたことではありますが、若い世代ほど排外主義的な傾向が強いとか。なんでもソ連時代は人種や民族による差別が「良くないこと」として公式に否定されていた、それが建前に過ぎないとしても、建前が力を持ち、信じられ実行されてきた結果として、差別的態度を表に出すような人は少なかったそうです。ところがソ連が崩壊し、日本で謳歌されているような「人を差別する言論の自由」がロシアにももたらされ、ソ連時代には否定されていたような言説が大手を振って罷り通るようになったわけです。ソ連時代の思考法に染まった世代は「差別は良くない」と言い切る一方で、ロシア時代に生まれ育った世代は排他的民族主義に走る傾向が強く、中にはネオナチを称してアジア人――移民は元より、同じロシア人でも中央アジア地域の出身者、そして日本人留学生など――を襲うなど、ソ連時代よりも劣化している部分があるとか。
イスラエルのテルアビブ地方裁判所は23日、ユダヤ人大虐殺(ホロコースト)を行ったナチス・ドイツの指導者ヒトラーを崇拝し、イスラエルでホームレスや麻薬中毒患者、超正統派ユダヤ教徒らを襲撃した旧ソ連からのユダヤ系移民の少年8人に禁固7年から1年の判決を下した。
事件は昨年9月、警察が少年らを逮捕したことで明るみに出た。「反ユダヤ主義からユダヤ人を守るための国」として建国されたはずのイスラエルで、ヒトラーを信奉するネオナチが出現したことは社会に衝撃を与えた。少年らは、シナゴーグ(ユダヤ教会)にナチスのカギ十字を落書きしたり、襲撃の様子を撮影してネットに流したりしていたことも判明した。
現代イスラエルの“ユダヤ人定義”は(1)母親がユダヤ人(2)正統派のラビ(宗教指導者)のもとでユダヤ教に改宗-のどちらかに限られる。しかし、イスラエルは祖父母の一人がユダヤ人であれば自動的に国籍が取得できる「帰還法」でユダヤ系の移民を促進してきた経緯もある。
特に、1991年のソ連崩壊に伴い、多数のユダヤ系ロシア人が“経済難民”に近い形で大量に流入。イスラエル政府も国内のアラブ人に対する人口的優位を維持するために積極的に受け入れ、旧ソ連系は現在、人口約600万のうち100万人を占めるまでになっている。だが、その中には“ユダヤ人としての意識”が薄い層も多く、若者の一部は少数派として孤立感を強め、社会への反感がネオナチに結びついたとの見方もある。
……で、そんなロシア人がイスラエルに移住した結果がこれです。イスラエルもソ連も、イデオロギーによって結びつけられた国家――「国民国家」のように民族的な繋がりを根拠とするのではなく、シオニズムもしくはコミュニズムといったイデオロギーによって結びつけられた国家――という点では似たようなところがあります。ですから、「ソ連世代」であればイスラエル社会への適応は、「ロシア世代」のそれに比べて容易かも知れません。ともすると古い世代よりも若い世代の方が環境変化への適応力が高そうなイメージがありますが、ここでイスラエル社会に適応できなかったのは若い世代だったようです。
まぁ一口に社会への不適応といっても、決して唾棄すべきものばかりではありません。時にそれは、問題のある社会をより生きやすくするための原動力にもなります。そこに適応していくために著しく自己を歪めねばならないような社会に「適応しない」こと、そうして反旗を翻すことで社会を変えていこうとするなら、むしろ讃えられるべきなのです。もっとも今回のように、シオニズムの支配に挑戦するのならともかく、ネオナチを名乗って社会的弱者を襲撃するような手合いとあっては、何ら期待できるものではありませんけれど。
あ~、安倍家もそうですね、今が右傾化しすぎているからかも知れませんし、比較の対象がアレなだけかも知れませんが、安倍晋太郎がリベラルに見えてきます。昨今では父権的なものが美化されがちで、父親の考え方をそのまま受け継ぐ世襲政治家も目立つような気がしますが、次の波は来るのでしょうか。
何かA級先般合祀をめぐる昭和天皇の富田メモを思い出します。
一人の在日朝鮮人として感想を言わせてもらうなら
「晋太郎は慎重に対処してくれたと聞いたが
その子の総理がどう考えたのか
易々と
安倍家は平和に強い考えがあったと思うのに
親の心子知らずと思っている
だから 我々は昔から日本政府&国家を信用していない(あくまでも政府&国家。「国民」に非ず)
それが在日朝鮮・韓国人の心だ」
たしかに親の世代への反発から保守と革新が交互に来るところはありますね。ただ世代だけで見ると交互に波が来るようでいて、有権者全体で見ると常に保守の方が多かったりするのが日本でもありますね……
>ZEDさん
ロシア以外の旧ソ連圏、とりわけ中央アジア地域の国家は民主化するどころか全体主義化する傾向が強いですよね。ともするとソ連時代が否定されているようなイメージもありますが、一方でソ連時代以上に強権的な体制が選択されている、この辺も一般的なイメージとは食い違うわけで、色々と考えてみる必要がありそうです。
>Bill McCrearyさん
逆説に過ぎないかも知れませんが、通説に反して、子供より大人の方が発想が柔軟、子供の方が周りの教えを鵜呑みにして、型にはまった考え方をするのではないかと、そんなことを思ったりもします。同様に若い世代も、でしょうかね。
>flagburnerさん
たしかに、それが向けられる対象が違うだけで、ナチズムとシオニズムには共通するところも多い、見方によってはこのネオナチ少年も、質の悪いシオニストと同じ考え方をしていると言えそうです。それでも彼らが排除されるのは、考え方の一致ではなく、どちらの陣営に立つか、旗色の一致が問われるから、でしょうか。
シオニズム自体には、他者の排除を前提とする論理が含まれているんですよね。
一方で、ネオナチの論理も他者の排除が盛り込まれてるのも否定できませんし。
そう考えると、事件を起こして禁固刑を言い渡された8人は、むしろイスラエル社会に良く適合してた、という皮肉な面を示してると思います。
その結果、彼らがイスラエル社会から(一時的に)排除されてしまったのは、二重の意味で皮肉ですが・・・。
詳しいことはわかりませんが、若い世代のほうが、時代の流れに容易に影響されてしまう側面はあるのでしょうね。
ロシアの極右ユダヤ人と言えばジリノフスキーという先例もありました。最近日本ではあまり噂になりませんが今でも議員なのでしょうか。当の広瀬隆氏からは極右と呼ぶには半端すぎるとバカにされていた程度の存在でしたが。
旧ソ連圏の国々が連邦崩壊後になぜかトルクメンはじめとしてスターリン時代のような全体主義体制に逆行した所が多いのとあわせて興味深い事例でしょう。
何でも革新を標榜するのが良いとは思いませんが、ちょっと考えさせられる話です。親よりも子の世代の方が保守的というのは今に限らないのかな?と。やっぱり問題は、環境じゃないかと思います。比較の問題ですが、江戸時代よりは戦国時代の方が革新的でしょうし、ヴァイマール政府時代よりナチ時代の方が保守的でしょう。
それぞれの親の世代に反発してるだけかも知れないな、と思ったりします。保守と革新が交互にやってくるのかな?と思います。
しかし、ネオナチに味方するのは如何なものかと思いますよ。亡霊のようにナチスを蘇らせても、「二度目は喜劇」にしか成り得ないのに・・・・・・。