非国民通信

ノーモア・コイズミ

静かに暮らす権利はありません

2017-12-24 22:40:28 | 社会

園児が遊ぶ声「うるさい」 訴えた男性、敗訴確定(朝日新聞)

 「園庭で遊んでいる園児の声がうるさい」として、神戸市の男性が近隣の保育園を相手取り、慰謝料100万円と防音設備の設置を求めた訴訟の上告審で、男性の敗訴が確定した。最高裁第三小法廷(木内道祥裁判長)が19日付の決定で、男性の上告を退けた。

 一、二審判決によると、保育園(定員約120人)は2006年4月、神戸市東灘区の住宅街に開園。高さ約3メートルの防音壁が設けられたが、約10メートル離れた場所で暮らす男性は「園児の声や太鼓、スピーカーの音などの騒音で、平穏な生活が送れなくなった」と提訴した。

 今年2月の一審・神戸地裁判決は、園周辺の騒音を測定した結果、園児が園庭で遊んでいる時間帯は国の環境基準を上回ったが、昼間の平均では下回ったとして、「耐えられる限度を超えた騒音とは認められない」と結論づけた。

 7月の二審・大阪高裁判決は、園児が遊ぶ声は「一般に不規則かつ大幅に変動し、衝撃性が高いうえに高音だが、不愉快と感じる人もいれば、健全な発育を感じてほほえましいと言う人もいる」と指摘。公共性の高い施設の騒音は、反社会性が低いと判断し、一審判決を支持した。(岡本玄)

 

 何とも非道な判決が出たものです。まぁ、人権意識の希薄な裁判官なんて珍しくもありません。裁く側の思想信条次第で結果が左右されるのは今になって始まったことではないのでしょう。元より、我々の社会において騒音問題は自力救済が鉄則です。静かに暮らす権利を現行憲法は保障してくれませんし、最高裁もその権利の無効をここに判例法として確定させたわけです。静かに暮らす権利は、住民自身の不断の努力によって、これを保持しなければならないと言えます。

 今回の判決によって「公共性」を口実とした人権の制約が公的に認められたことは、今後に何をもたらすでしょうか。例えば米軍/自衛隊基地なり風力発電施設なり騒音源は色々とあります。これらはいずれも、「公共性」があることになっています(私は幾分か疑問ですけれど)。そして近隣住民との間で少なからぬトラブルもあるのですが、「公共性の高い施設の騒音は、反社会性が低い」との理由で住民の訴えを退けることが正当であると、最高裁の判例として積み上げられたわけです。

 まぁ、沖縄の米軍基地を巡る問題と今回の訴訟を合わせて考えると、ある意味で一貫性はあるのかも知れません。軍事基地からの騒音も不愉快と感じる人もいれば、反対に好感を抱く人は間違いなくいます。不快と感じる人がいたとしても、快く思う人もいるのなら騒音源への対策を取る必要はない、住民の訴えを退けても問題ないと、そうした判断は一貫しており、これが保育園と原告男性に対しても適用されたと言えるでしょう。

 ともあれ国の環境基準を上回ろうとも、「耐えられる限度を超えた騒音とは認められない」で済ますことが可能であると、日本の司法が定めたわけです。いったい何のための環境基準なのでしょうね? いずれにせよ、自宅の隣に保育園が建設される可能性は誰にだってありますし、シフト勤務に回されて夜に働き昼に寝る生活になろうとも、保育園からの騒音を止めてくれる人はいませんし、もちろん法的な保障は一切ありません。日本に暮らす誰もが、自力救済の手段を考えなければならないのです。

 騒音問題は近隣住民だけが被害を被るものであって、離れたところで暮らす人にとっては完全に他人事です。米軍基地の負担なんて沖縄県外の人間にとってはどうでも良いように、保育園の近所に住む人の生活なんて国民の99.99%には無関係です。ほんの一握りの人に犠牲になってもらえば、全ては丸く収まります。誰もが騒音に悩まされない社会を目指すのは難しいですが、ごく少数の近隣住民さえ犠牲にすれば保育園の設置は簡単です。子供のために、近所の人は犠牲になってください!

・・・・・

 なお前々から書いてきたことではありますが、日本社会はあまりにも子供を大切にするが故に、「子供の周りにいる大人」が辛い思いをしていると言えます。「お客様は神様です」ならぬ「お子様は神様です」ってところですね。劣悪な職場では「お客様」の満足のために従業員が無理を強いられるわけですが、実は「子供様」に対しても同じことを発生「させている」のではないでしょうか。「お客様のため」も「子供のため」も、根っこでは同じような文脈で使われているのですから。

 「家庭的な」会社とはブラック企業の定番フレーズと言われますが、総じて日本の家族関係はブラック要素を豊富に持っているのかも知れません。仕事を負担に思うことが許容され、だからこそ仕事を楽にすることが認められている職場もあれば、仕事を負担に思ってはいけない、何事も「はい喜んで」と答えなければならない職場もあります。では日本の子育て環境はどうなのか、子育ては負担だから楽にしようと考える人が許されているのか、それとも子供に対して常に「はい喜んで」と感じるのが当然とされている社会なのか――

 とりあえず日本は、「子供の周りにいる大人」の負担軽減のために子供ファーストから脱却する必要があるんじゃないかと思います。行き過ぎた「お客様第一」が従業員に多大な負担を強いるように、日本の子供ファーストは「子供の周りにいる大人」にブラックな生活を押しつけるものです。それは、子供を持つことへの負担増にしか繋がりません。しかし「客」や「経営者」の目線で過剰サービスを当然視する人が多いのと同じように、「子供の周りにいる大人」にも同様のものを要求する部外者が目立ちますね。


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3 コメント

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Unknown (Unknown)
2017-12-30 23:13:55
こういう騒音被害者は泣き寝入りするしかないんだからそりゃ、子連れにも冷たくなりますわな
Unknown (リッチ)
2018-02-13 11:13:07
園児の声はともかく、太鼓やスピーカーは規制してもいいんじゃないかな。幼稚園じゃなくて保育園なんだし。
いずれにしても法律ではなく空気を読んだ判決だね。
子供の騒音 (怒り新党)
2019-09-16 15:07:40
保育園を運営している経営者にも問題があります。
今の保育園は新規の業者が多く、補助金目当ての金儲けです、60人の認定保育園で月700万円、建設費に至っては8割が補助金です。こんな美味しい金儲けに業者が群がっているのです。住宅街だろうが、保育園を作ってしまえば、確実に儲かる。後はどうなろうと、知ったことでわないのです。

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