lens, align.

Lang ist Die Zeit, es ereignet sich aber Das Wahre.

rubbish talk_2.

2010-04-22 17:28:12 | Science
□ 生物種についての『知性の高度』は、適応度地形を実相させている相互作用種の振る舞いの、環境への繰り込みの「程度」とリンクしているのかもしれない。


この議論には多くの条件やパラメータを規定する必要がある。

1) 如何なる体系(プロトコル)を共有するか
2) 思考経過のタイムスケールは
3) 発生の手順
4) 周環境への依存度
5) 周環境への干渉性 etcetc...


思考ゲームとして、人間の脳の処理能力を遥かに超えた知能のような存在を定義する時に、(4、5)の項目はもっと重大な意味を持つようになる。

仮に人間にとって一万年分の思考活動を数秒で実行できる生命体を想定した場合に、彼(彼ら)が寿命や身体的限界といった、ライフゲームのアポトーシスとも言うべき、自己に課せられた種々の制約を如何にクリアするか(或はしてきたか)というモデルを整理してみることは、人間社会というコミュニティの有する可能性との比較の上で、意外と有益な経路となるかもしれない。


究極的な命題は「思考の果て」である。
無知性は、物理的必然性に準ずるあらゆる局所的適応のパラメータ極限値にある。対して高知性は特定の記号体系に接地して物理的干渉性を伴う何らかの変動パラメータを生成する存在であり、周囲を良く映す『磨かれた鏡』とでも称すべきものだ。

もしくは知性の高度が増すごとに無知性のパラメータ領域に帰還する、ある種の共振作用を生成している可能性も考えられる。



かつて述べたように、あらゆる思考活動は「二重のコード」化された信号処理、謂わば「もつれた環」の自律帰還的挙動に置き換えられる。あるいは億万劫の時間をかけても、そのような知的生命体は存在しえないよう宇宙的制約に縛られているのかもしれないし、意識活動が高度な程、それが実効する為の複雑性とdifficultyが乗数的に増して行くモデルも考えられる。「認知と行動」の不一致も一つの大きな障害だ。

神といえども、詰んだ状態のチェスゲームを翻すことは不可能だ。せいぜいルールを把握するだけである。


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