"HEART is the engine of your body but BRAIN is the engine of your life."
-ENIGMA / "Between Mind & Heart"
□ 私は刹那主義なのかもしれないけど、こと色恋に関しては、誰かを、その人物のステータスや「持てるもの」で値踏みをしたことは、ただの一度たりとて無い。惹かれた理由や魅力的な要素は幾らでも後付けできるけど、本当のところ理屈じゃなくて、「気付いたら好きだった」し、否定するにも理屈は通らない
(※ とは言っても、私自身は値踏みされるのは嫌な気はしない。寧ろしてくださいって勢い。)
人が価値観を行使して生きる世の中は、この宇宙にだって、人間の価値の尺度を担保する確かなものなんて、ただの一つも無いんだよ。その茫漠の中で奇跡的に出会えた唯一確かな感情を、そんな不確かな価値なんかとトレードオフするなんて勿体ない。愛はそれ自体で豊穣だけど、豊かさは愛を保障しないよ
でも、価値の尺度の定向性は感情を基盤にしているから、愛と量的価値のトレードは一応成り立つものではあると考える。可塑性を認めるかどうかという問題。
もっと踏み込むと、遺伝子を遺すために優勢な価値を選択するというのは、愛を喚起する本能の仕業ではあるが、だからといって本能それ自体は愛ではない。生命現象の体系上の機構としては愛と本能が一致する解釈が成り立つが、人間の定量的な主観の不完全性に立つと、愛とは本能を欺いて居座る何かである
□ 20歳にとって40歳はダブルスコアだけど、10年、20年経って、お互いの年齢は寿命という尺度に置いて少しずつ近づいていく。ゆえに、人間は経験量によって誰かより賢明になれるというのは全くの幻想であり、その程度は予め限界をアサインされている。
□ 組織体制に弊害があると分かっていても、型枠である組織構造そのものに意思決定が反映されないシステムって、それだけで自己撞着だよね。組織主導で論理性のもとにコンセンサスを導く場面で、組織の任期や体制そのものに根拠がないとか、政治のオープンフレームワーク化との歪みが必ず深刻化してくる。
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