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Lang ist Die Zeit, es ereignet sich aber Das Wahre.

このウサ。。。!!

2005-04-11 08:38:42 | Science

うわーん。゜゜(´□`。)°゜。
最近blogpetのムーニィタンが反抗的だ。
「ウザ♪」
ほんとはしゃべれんだろあーん?ウサよう…(メ▼_▼)ノノ

ってことで昨日は免許取りたて、車買いたてホヤホヤの
妹の運転で買い物したわけですが、結論から言うと怖かったです。
なぜか夕食が感動的に美味しかったです。海の蒼さに涙が出ました。
元々運転は人に任せてはいられないタチなのですが。。
以下、運転中に発せられた珍問答。

妹「タイヤの“高気圧”減るとどうなるの?」
私「低気圧になります…。燃費が悪くなります。」

妹「エンストしそうで怖い・・・」
私「オイオイ、オートマはエンストしないです。(-_-)ノ」

妹「メーターとれないの?」
私「何もしなければ取れない(-_-)」

妹「お風呂に便所虫が…」
私「掃除しろ(;´-`)」

□ 

某とーるさんのノルウェーからのお土産が届いた。
とってもオサレなIKEAのスタンド、電球別売りです!

ヽ(`Д´)ノ 

組みたてたらレビューしますニャ☆



□ Mnemosyne

皆さん、やたら時間感覚の長い夢を短時間で見たことがありませんか?たいてい夢の中で体験している時間の方が短く感じるものだと思うのですが、時に“目覚めた時点に規定される”かのように、夢の過程が記憶されるように感じることがあります。記憶について。人間の脳は常に自身の記憶を操作しています。夢については、現在が過去のイメージに干渉し、常に時間認識を組み替えている大脳新皮質の活動がより深く関わっている可能性があります。

参考:逆流する時間?未来の記憶?
http://www.kitnet.jp/rg2004/rg2002/2002_pdf_300/P05-06.pdf

上のリンクでは(私は他の文献で読んだけど)、大脳に与える色覚への刺激が、特定の条件でその順序を入れ替えて記憶に刻んでしまう現象が実験で示されたことを挙げて、過去の鏡映を明らかにすることこそ未来を知ることだ、と、幾分サルトル的に結んでいるが、私はもう一つ論考を押し進めたい。以降、前に述べた「知覚と関係性」、「表象の抱える情報」の二点を噛み合わせて簡潔に展開していく。

脳の認識から導かれる世界の様相とは何か、これを転じる。即ち、
世界の様相が導く脳の見るイメージとは何か。
前者は大脳生理学、心理学などが扱う領域だが、後者の見方は実際に歴史上、科学体系においてはあまり顧みてこられなかったものだ。量子論を基底に敷いて述べるならば、確率的に実現される宇宙においては『相が意味を導く』のであって、その逆は有り得ない。

ここで「脳」という表現で、用いられる学識を基準に単位境界を規定はしているが、これをそのまま、あらゆる全体性に対しての『一部』と言い換えてみよう。『個』の持つ情報は、『全体』に対して相補的である。『個』が『全体』にたいして同一性を保つ所以は、お互いの『関係性』である。

『記憶』と『脳』について話を戻そう。脳の保持する電気的な記憶は動的なもので、私達は感覚的にそれが移ろうことを知っています。そして「記憶が無くなる」ということは、その人にとっては体験そのものの消失を意味する。例えば事故に遭遇し、病院で目覚めた者にとっては消えることのある事故の瞬間の記憶、しかし死んだ者にとっては、その時間は紛れもないリアルとして襲いかかっていたのかもしれない。夢は目覚めた後に忘れなければ、(夢を見ている時点で)夢を長く感じることになる。忘れてしまえば夢を見ている時の時間感覚は壊れている。または、時間と共に儚く消えて行く。物理的な因果関係の上では、その人の記憶として電気変換された事象が「起こった」ことは消えようのない事実だ。アカシック・レコードのような存在を仮想的に定義出来るのも、主観と客観が常に、斯様に、相補的な関係性を構築しているからだ。

抽象的な言いまわしが過ぎたが、ここに決定論的な見方を挟むことで、一気に核心を述べたい。この『個』がそれぞれ知っている情報としての時間、その差異が、個の帰属する全体性に対して各々のセグメントを形成しています。つまりこの全体性の中に生じるセグメントの描く相が、記憶を規定するもの、個と全体との、時間に基づいた「関係性」そのものなのだ。だから厳密には未来が現在、過去を規定しているのではない。各々の時間において、その記憶が失われるか、それとも操作されるのかが決定しているのである。この全体性の中に、一定の規律で個を定義して捉えるパースペクティヴ、その一部が人間個人の主観と記憶だ。そして何より私に畏れを抱かせるのは、こうして記述している考えは現実と断絶しており、その現実によって、時間を労して刻まれるという今この瞬間の現象である(爆)

※「関係性」についての言及は、あらゆる言い換えを可能にする点で文章そのものが詭弁に陥りやすい。。たとえば全体性の観点で捉えるならば、最近扱った天動説、地動説も、どちらも正しくない。が、同時にどちらも正しくなる。地動説について突っ込むと、太陽自身も、銀河系も運動しているのだから、ある意味で天動説と同じ背理を孕んでいる。が、系全体が動いていると言うのなら、定点観測に用いる観測条件を定義して、一部と全体との関係性を記述することは可能であって、方法論が一貫して正しくさえあれば、それはどの時間・場所を選んでも、常にそれぞれに対して等価な法則を導き出すことになる。そして、主観者がそれぞれの世界観・表象に当てる焦点の差異は、その情報を扱う文脈での実効性の評価によって齎される。

物理定数間の関係性を取り上げると、それは実現されている相であって、異なる物理準位で捉えても意味論的な構造を保持し続ける。無論現代科学はこうした観念を暗黙の了解のうちに敷いている。学際それぞれが相互に独自の方法論を展開しながら、その様相が全体でデータ・ドリヴンとして働く振舞いに如何なる認識の焦点を結ぶのかは、時間の経過によって露わになるしかない。が、それは私達の知覚できない形でお互いの関係性を内包している。

※ mnemosyneとは、ギリシャ神話の記憶を司る女神。
ゼウスとの間に芸術・学問を司る9人のムーサを産む。


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