lens, align.

Lang ist Die Zeit, es ereignet sich aber Das Wahre.

sin.

2006-01-13 00:47:56 | art music

───罪の支払う報酬は死である。

       (ローマ人への手紙:6章23節)

人は生きる上で必然的に罪と過ちを犯している。
間接・直接に関わらず、罪とは観念的に『奪う』行為と直結し、
ある種の罪には、時に抗い難い恍惚が伴う。
恥辱と代償、告解と忘却。
罪の意識は人間に本能的、生理的反応を強制する。

罪への戒めと評価は、自己と他者のそれぞれで吟味され、
一定の客観と規律のもとに相対的な代価を決定するが、
それが残酷なものであれ、些細なものであれ、
自己の規律に反する行為は、本人にとって一律に
重い呵責となる。しかしどんなに悔い改めたつもりで
あっても、それが自分の中で思ったことでしかない限り、
恣意の中に罪を免れる余地を許してしまう。
贖罪は具現化されてこそ意味を持つのだ。

他者にとっては、罪人の犯した罪は
かれを取り巻く世界への好ましくない負荷を与える因子であり、
社会秩序を構成する「規律の変位」を制御するために
相応の裁きを必要とする。自己と他者、代価の基準となる
それぞれの規律はしばしば背反、拮抗し、結果として
お互いに変位を迫られる。『罪と罰』はぶつかり合う
ルールとルールの対評価である。

罪から目を背けるとき、
またはその罪によって何かが達せられるとき、
罪に対する肯定という評価が行われる。
その瞬間もまた、規律の変位する時である。

私達は常に誰かの罪を請け負って生きている。
知らず知らずの内に、良識の皮を被った背理に
操作されているかもしれない。誰が歴史を評価をするのか。
私達は何を食潰しながら生きているのか。
世界を見回して、人間の孤独な規律は、人間自身が
顧みるしかないのだから。



□ Tunes of the Day

□ Henryk Mikolaj Gorecki
/ "Symphony No.3 Op.36- Symphony of sorrowful songs"

Lento

グレツキ交響曲第3番作品36『悲歌のシンフォニー』。
カジミエシュ・コルト指揮、
ワルシャワ・フィルハーモニ管弦楽団、
ソプラノ、ヨアンナ・コショウスカによる演奏から、
第1楽章"Lento"。

クラスター等、前衛音楽の方法論を古典的な書法
に対する音楽的効果として用いるに留め、
情緒を重視した作曲技法で支持を得ているグレツキ。
1976年に作曲されたこの作品は、母と子の喪失を
テーマに、聖十字架修道院の哀歌、ザコパネ『パレス』の
第3独房の壁に彫刻された祈り、ポーランド、
オポーレ地方の伝統歌(聖母の祈りの冒頭)など、
楽章毎にそれぞれ異なる出典で詩を引用しています。

第1楽章はコントラバスがリードする定旋律から
導入されるカノンが中間部を挟むシンメトリー。
中間部手前に浮上するエオリア旋法の旋律が
とても綺麗。

───お前はすでに私から遠ざかる
     私の大事な希望よ

(15世紀、聖十字架修道院『リサゴーラ聖歌』より『哀歌』)



□ Patrick O'Hearn

Beautiful World



□ Amber

Sexual (Afterlife Mix)



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