lens, align.

Lang ist Die Zeit, es ereignet sich aber Das Wahre.

ロイヤルゼリーを飲み続けたハチだけが女王になれるCanto XXXIII.

2005-04-08 09:15:11 | art music
──その愛は動かす、太陽と他のかの星々を。  -ダンテ『神曲 天国篇』

忙しいことを言い訳にサボッていたジムに寄ってみる。
やたらオバサンが絡んできたり、未だに高校生に間違えられたり、
おのこの劣情を煽るようなTPOを弁えない格好をした人がいたり。
「ウザイ!」と思う自分に現代の若者の心の病巣を見た気がした春。
ってか体力落ちました。。まだインターバル?そんなん知らんわ!(T-T
パークハイアットのプールが恋しい。。。


dante2020signorelli
□ ガリレイの相対性原理を予言していたダンテ
History of science: Dante's insight into galilean invariance
LEONARDO RICCI Dipartimento di Fisica, (April 8,2005)
Universita di Trento, I-38050 Trento-Povo, Italy

「あらゆる慣性系に対し、物理法則は不変である。」
1632年、長年の天文観測による成果を綴った『二つの宇宙体系についての対話』にて辿りついた結論。ニュートン力学と共変性を持ち、現代物理学にも多大な直感的恩恵を与えたガリレイの理論は、以後ローレンツやアインシュタインが現れるまでガリレイ変換として活用され、古典物理学に置いて重要な位置を担ってきた。

しかしその3世紀前、ダンテが『神曲』において、その法則を直感的に記述していたという説がこの度発表されました。まだ要約しか読めないのでどの部分を指しているのかは不明ですが、恐らく彼が描写している地獄の運行に読み取れるのかな?

実はガリレオ・ガリレイ、父のヴィンツェンツォ・ガリレイが『神曲 地獄篇』の舞台劇を書いていることなどから、幼少の頃からダンテの作品に深い影響を受けているのではないかなと思う。ヴィンツェンツォが属していたフィレンツェの演劇集団“カメラータ”は、古代ギリシア様式を規範として、当時発展を見せていた対位法音楽に対抗していますが、彼は『神曲 地獄篇』上演(1582年)の直前の年、1581年にA.D.130年にギリシアで書かれたメソミデスの『太陽神への讃歌』のビザンティン写本を公開しています。この曲も天体の運行をテーマにしていて、“太陽神が太陽の戦車を駆って大空を巡り、星々のコロスがオリンポスで戦い、月が四季を導く様を”歌っている様子が、ガリレオにどんなインスピレーションを与えたのかは想像に難くありません。当時ガリレオは17歳、振り子の等時性に気付いたと言われる年です。相対性原理を唱える悠に50年前ではあるけど。 (※古代ギリシャでは既にアリスタルコスに代表されるアレクサンドリア学派の天文学者が、エジプト文明の継承を踏まえて、天体観測から地動説を導き出していました。)

♪ メソミデス / 『太陽神への讃歌』
(Atrium musicae de madrid;Gregorio Paniagua)


□ The screen behind the lens alignment.

与太話追加。ブログでの自己発信について。
SNS隆盛の昨今、私は諸々の事情から世を忍ぶ仮の姿、匿名性を保持しているのだけど、扱う話題や文体の特徴から、ある程度の人となりは察して頂けると思う。それと現実はまた別だけど。メディアを媒体とした表現行為は情報の供給という外部へのベクトルの逆を辿って、一方で自身の虚像を結んでいるように思える。モニターを通して介入する観察者もまた、その両端にある発信者と発信された情報との等価な関係性を構築しているのではないだろうか。外部の相は自己の業の反射だ。あらゆるコンテンツに関わる評価、影響は全て受け手側の領分にあって、それが露わにするのは受け手自身の内面・業に他ならない。情報の享受という内部へのベクトルはその逆で、受け手自身の実像を表象媒体に投げかけている。こうして発信者の想定する受け手と、受け手の想定する発信者は表象媒体の上で重なり、あるいは断絶している。これらの認識の一致と一体感は、互いの制御、自己実現を実感させることで、より高く心理的なモチベーションを保持させるのかもしれない。ここではサルトルの言う、「見られることによって、見る自分を認識する。」ことの双方向性が成り立つ。この三相、発信者、表象、受信者はこうした規約の上に、その役を交換しながら一定の関係性を構築して振舞う。

リアルでのコミュニケーションも同様のモデルに還元出来そう。両者は互いに相手の表象を知ることしか出来ず、その表象を受けて反射的に呼び起こされる自己の内面を知ることで、自我同一性を築いていくような。つまり表象媒体の存在意義は、社会的、物理的なノードとしての必要性とともに、実現された対話手段で如何に互いの関係をコントロール出来るのか、にある。


□ 形象の知るもの ―静寂とアーキテクチャ

ヴァイオリンがそこに置かれているとする。その楽器が今奏でているのは"静寂"だろうか。静寂は音の無い状態ではなく、静寂自身を奏でるものではないかと思う。ヴァイオリンはその材料によって切り出され、楽器という性質を持って形を成す。それ以前は自然界の混沌とした響きの中にいたはず。彼はその形を与えられることで、その秩序の中に静寂を捕えたのかもしれない。


□ 人間の生き難さって。。。

人が幸福を感じる瞬間って、自身の振舞いが高度な秩序化を成し遂げた
時だと思うことがあります。たとえば社会的な成功、恋の成就、
人が人の価値観で捉える肯定的な事象は、"数学的な起こりににくさ"から
常に負のスパイラルに落ち込む危険を、高い確率で内包しているのかも。
机から何度も落ちるペン、手から滑りやすいリンゴ、
とかく人々はランダムな方向にながされやすい自然の性質、
エントロピー増大と戦っている印象を受けます。
それは人間という存在自体が危うい秩序形成の上に立っているものだから?
代表的なトンデモ理論「マーフィーの法則」に共感できてしまうのは
そういう原理が実際に働いているからではないでしょうか。。


□ Tunes of the Day

rosjkdthudis


♪ Rodrigo Leao & Vox Ensemble / Solitarium

マドレデウスでシンセサイザーを務めていたロドリーゴ・レアンのソロ2作目、"Theatrum"から。曲タイトルは「孤独」の意味。
“心の底からの いと高き愛 我は愛し憎む 我が咎によらじ”
ナザレをモチーフにした、黒服の老人の行き交う寂れた架空の漁村が舞台。
そこに十二人の登場人物の昏い夜と悲哀に彩られた物語が唄われています。


♪ Afterlife / Speck of Gold

イビサ・チルの最早殿堂といっても良いAfterlife。2004年発売の
2ndアルバム、"Speck of Gold"から。ヴォーカルはCathy Battisterra。


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□ Pierre Kaerin / Gregoriani Cantus

♪ Passer Invenit
♪ Sanctus XVIII

グレゴリオ聖歌と様々な様式のコラールを録音したスイスの作曲家、
ピエール・カエリンの1979年の作品から。:::::TUDOR::::: Musique Oblige:::::
enigmaファンはハッとするはず。そう、enigma3 "Le Roi est Mort,VIVE Le Roi!"
でサンプリングされていたものです。

因みにe3のタイトルは元々、代々フランスで国王崩御の際、王の空位期間を怖れるあまりに、他の勢力への牽制として叫ばれる言葉だったとか。世襲され、形骸化した王の権威に、父から子へ受け渡されるのは、何も変わらない現実。また"Child in us"の子供とは、私達が未来を受け渡すべき子孫のことを歌っているように思えます。"remember the future"とはさしずめ、「未来に投影され、評価される、自身の行いを顧みよ。」ということか。


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